第1章「逃亡劇からの襲撃、そして死に戻り」

第1話◇精霊女王・ストレリチアの怒り

 すでに息は上がり切ってえずきそうになるくらい苦しかったけれども、この足を止めることはできない。

 薄暗い森、人が使う道からはとっくに外れて、道なき道を進んでいく。


「イリス、がんばってっ」


 そう呼びかけてきたアルムの声もまた、苦し気だ。単に走っているからというだけでなく、彼は切りかかってきた者から私をかばったことで傷まで負ってしまっている。

 じわじわとその肩の刀傷から血があふれて赤黒く上着を染めていく。


 どうやら、叔父様は私が「王家からお預かりしている国宝の宝玉を盗んだ」と疑っているらしかった。


 でも、決して盗んではいない。

 今も上着のポケットに入れられたままのそれは、もう何年も前のまだ両親が生きていた頃、誕生日プレゼントとして贈られたものだ。

 きっと「宝玉違い」だと思う。


 私は盗人じゃないのにっ……!!


 けれど、何故か叔父様は信用して下さらなかった。

 私を処罰して部屋を徹底的に探る予定だという話を聞いた幼なじみのアルムは、何とか私を領地から逃がそうと馬車を手配してくれた。けれど、それも叔父様にはバレていたらしい。


 隣の領地に向かう予定が、御者は買収されていてうっそうとした見通しがきかない森へ。

 そして現在、馬車を飛び降りた私とアルムは、覆面で顔を隠した者たちに追われている。


 殺しに慣れ切っているらしいこの一団は叔父様の手持ちの部下たちよりもずっと隙がなくて、容赦がなかった。


 やがて逃げ道はなくなる。

 追い詰められた袋小路、追手の男が短剣を一閃してアルムの喉を掻き切った。


「に、げ……イ、リ、……」


 最期の声がこの耳に届いて振り向いた時、私の足を払うように追手の長剣が振られるのを見た。

 そしてわけがわからないうちに、私は地面に倒れ伏していた。


「っ、あああ……!!」


 酷い痛みに叫び声を上げながらドッと肩から地面に落ちた頃、ようやく右の足の腱が断ち切られた事実を悟る。


 喚き、自然と痛みにもがく両手と頭と左足。

 落ち葉がガサガサと乱暴な音を立てながら舞う。


 朽ち葉色の視界。

 その体が暴れないようにと足で押さえつけるようにされて、とどめの刃が私の腹部に突き立てられた。

 瞬間、私はその襲撃者の足に赤いトカゲらしき入れ墨を見る。


 ああ。わたし、死ぬんだわ……。


 悟ったはずだったが、しかしほんの少し、もう数分だけ私は生き長らえることになった。

 集まってきた襲撃者たちはもはやぐったりとして動けない私の服を探って宝玉を奪おうとしたが、突然、恐ろしい鳥の化け物が空に現れたのだ。


 その鳥はあっという間に周囲の男たちを蹂躙した。

 朽ちた落ち葉が紅葉のように鮮やかな血の色に染まっていく。

 やがて全ての命を狩り尽くすと、鳥は何故かこちらに近づいてきて寄り添う形で私をその翼に包み込んだ。


 ……ストレリチア、だ。


 私はその化け物の名を知っていた。

 我がストレリチア一族は精霊女王、つまり精霊のうち最高位の存在の血を受け継いでいる一族だと伝えられている。


 その女王の名前こそが、ストレリチア。


 美しい人族の女性に似た姿と、恐ろしい鳥の化け物という二種類の姿で現わされる、人ならぬ存在。

 その力が私の身を守ろうとしているらしい。


 血の海の中、私は化け物に守るように抱かれて、最期の時を過ごしていた。

 残虐な存在のはずのストレリチアを妙に温かいものに感じて、何故か私の心は安らいでいた。


 しかし、そこにある一団が駆けつける。

 我が国の第一王子・アルウィン殿下とその部下たちだった。

 護衛たちが「アルウィン殿下を守れ!」と、名を叫んだのを聞いた。


 王国トノ盟約ハ、イトシ子ノ血ニ穢サレタ、始祖王ノ血ノ者ヨ、我ヲ裏切ッタナ、許サジ、許サジ……!!王族ナド、根絶ヤシニシテクレル!!


 が、化け物は一喝。

 途端、生み出されたつむじ風が無数の刃と化した。


 暴風は身構えた護衛たちを周囲の木々もろとも吹き飛ばしながら、全てを切り刻む。

 悲鳴。

 高く巻き上げられた風は辺りに散った血を無造作に吸い上げて、その一部がびしゃりと私の顔にかかった。


 目と鼻の先、金髪のその人が倒れ伏す。

 その時、ちょうど顔が見えた。


 本当に、アルウィン殿下、だ……。


 新聞や売り物の姿絵で何度か見たことがある聡明と評判の王子様のお姿は、高貴な装いを身に纏って真剣な顔つきで前を見据えているものだ。

 さらさらとしていそうな金髪と澄んだ湖のような水色の瞳を持った、とても美しい人だった。


 今はその全身が赤色にまみれて、金髪は乱れ切って一部は血で頬に張り付いている。激しく息を切らしている。

 恐らく重症なのだろう。


 そんな……。王家の方まで殺されてしまうなんて。

 完全に巻き込んでしまった形になっている。

 私自身も、きっともう助からない……。


 一体どうして、こんなことに……。

 ごめんなさい。ごめんなさい。


 ひっ、と思わず漏れた泣き声に気付いたのか、アルウィン殿下がこちらを見た。

 強い痛みがあるのか耐えるように細められたふたつの瞳、水色が私の姿を捉えたけれど、すぐに私の「助かりそうになさ」をも悟ったようで、瞳の湖の色合いはじわじわと絶望の色に濁っていく。

 私の声はとうに枯れ切っていたが、涙だけはとめどなく流れ続けていた。


 アルウィン殿下は必死に這いつくばってその体を引きずるようにしながらも、何とか私に向かって近づいてこようとしていた。

 けれど、結局、果たせなかった。


 彼の右手がこちらに伸ばされる。

 まるで残った全ての体力と気力を振り絞るようにして。指先は大きく震えていた。


「ああ、間に合わな、かった……貴女はこのように、はかなくなる人ではなかった、はずなのに……」


 そう血に汚れた王子の唇が最期に小さく悔し気に呟いたのを、私は遠ざかる意識の中で聞いた。

 やがて意識は途切れていく。

 この恐ろしい状況もこれでようやく終わりなんだと知って、そのままそっと目を閉じる。


 ところが、私はまたしても「決してこの世のものではない存在」の声を聞くことになった。


「運命のいたずらによりわたくしの元にその足を踏み入れることになったあなたは、しかし再び本来の道へと戻らなければなりません。あなたに加護を与えます。今度こそ、正しき道を選びなさい」


 突如響く女性と思われる声。

 その姿を私は見た。


 そして霞む視界に立ったその方は教会に設置してある女神様の像にとてもよく似たお姿をしていると、確かに思ったのだった。

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