精霊姫イリスと誓いの絆~一途な王太子は彼女への愛を心に刻む~

鰯野つみれ

プロローグ「秘密のお茶会」

 子供の頃、たった一度だけだけど、お父様とお母様に連れられてお城に行ったことがある。


 それは王妃様が主催した、美しい薔薇園で開催されたお茶会に招かれてのことだった。

 アルウィン王子殿下に同じ年頃の貴族の子供たちを引き合わせる名目だったみたい。


「わぁ……おはな、いっぱい」


 まだ十歳に満たない私は、難しいことは何も分からなかったけれど、それでも色とりどり、大きさも様々の薔薇が咲き乱れた庭園は心地よかった。


 私の中の精霊族の血がそう思わせたのかもしれない。

 精霊はより自然を、よりマナが満ちた場を好むという。

 精霊女王の血を受け継いだ精霊族の私も同様なのだろう。


 最初は大人たちの側でおとなしく出されたおやつを食べていたのだけれど、ある程度満腹になって段々と退屈になった私はするりとその場を離れた。


 アルウィン殿下の年齢により近い、私より数歳年上の子供たちは既にお互いのことを知っているようで、男の子も女の子も数人のグループになっている。

 子供たちの両親である大人たちもそれぞれ話に花を咲かせていて、私はひとりぼっちだった。


 私は自然と会場になっていた広場の喧騒から離れて、静かでマナが濃い方へと歩き出す。


 緑色に黄色の花が映えた蔓薔薇のフラワーアーチを潜り抜けて、どんどん進む。

 特に目的はなく、ちょうちょを追いかけたり、風で煽られた花びらを追いかけたり。

 あちこちの花壇に寄り道をしながら、私はとことこと歩いていく。


 やがて目についた奥のガゼボへ。

 八角形の屋根は灰色、柱などの構造は白で塗られたそこには、白の猫足のテーブルと椅子があった。


 そこには先客がいた。

 サラサラでキラキラの金髪で、澄んだ湖の水と同じ色の瞳の男の子。


 それまで、彼はすこし気だるげに椅子に座っていたのだけれど、私と目が合った瞬間、居住まいを正す。

 水色の目は大きく見開かれていた。

 私が現れるなんて、思ってもいなかったみたいだ。


 おうじさまだ。


 私はお城への道中、馬車の中で両親に「王妃様と王子様にお会いしたら、きちんとご挨拶をするのよ」と言い含められていた。

 金髪で水色の瞳の人がそうなんだって。


「こんにちは、はじめまして、おうじさま。わたし、ストレリチア家の長女、イリスともうします」


 私は覚えたばかりの「淑女の礼」とあいさつの言葉を披露する。

 最近習ってできるようになって、「ちゃんとできてえらいわ、お城の人にも見せてあげましょうね」と言われていたからだ。


 失敗なく挨拶ができて得意げにむふー、と満足の笑みを浮かべる私に、彼が応える。

 微笑んで、その胸に手を当てて正式な「紳士の礼」で。


「初めまして、こんにちは、イリス嬢」


 その後、アルウィン殿下は私にオレンジのジュースを用意して下さった。

 芝生に座ってそれを飲んでいると、隣に殿下が座った。

 すっかり喉が渇いていたから、とても美味しかったことを、今でもしっかり覚えている。


「はい、こちらをどうぞ、姫君。昔、乳母から作り方を教えてもらっていたのだけど……意外と覚えていたよ」


 ちょうど飲み終わった頃に、アルウィン殿下に何かを差し出された。

 シロツメクサの花冠だった。


「わぁ」


 私はそれを頭にかぶせてもらって、声を立てて笑う。


「それじゃあ、そろそろみんなの前に戻ろうか。……そもそも、これは私のための会なのだものね」


 そうして、私はこう呟いた殿下と手を繋いで、黄色の蔓薔薇のアーチを再びくぐって会場に戻った。


「あのね、アルさまがね、おはなのかんむり、くれたの」


 迷子になっていたことにも、殿下に連れられて戻ったことにも、アル様という愛称呼びについても、色んな意味で、両親はびっくりして申し訳ありませんと頭を下げていたのだけれど、むしろ王妃様は「いいえ、イリスちゃんのおかげで逃げていたアルウィンも戻って来られたようだから、助かったわ」とどこかホッとしているようだった。


 それ以降、会が終わるまで、殿下は他の子どもたちとニコニコと歓談していて、私がそこに加わることはなかった。

 疲れて子供らしく眠くなってしまっていたからだ。


 そうして、その思い出は「他の誰も知らない秘密のお茶会」として、私と殿下、ただ二人だけの記憶の中に閉じ込められて、二度と浮上することはないのだろうと、私は思っていた。


 殿下がその日のことを覚えていたのだと、初めて知ったあの時までは。

 そうして、私が再び忘れてしまったその記憶をすっかり思い出す、その時までは。

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