その命にかえて
B29、機体番号017137、ジャビットⅢはサイパン基地第2滑走路にてエンジンの始動を終え、離陸段階に入っていた。
ある任務、戦争を終わらせるための使命があった。
その日のために搭乗員は半年にわたって
ボックスカーとエラノゲイの奴らに先を越されてしまったが、3番目を落とせるだけでも名誉なことだった。
爆弾倉に積まれた大きな鉄の樽、ファットマン型原爆の2発目≪スキニー≫。
その破壊力を知るものは今回の任務が如何に戦争に影響するかを理解していた。
そして、何十万もの憎き
フィリピン、真珠湾、沖縄、南京。奴らの非情さと残虐さは仲間の犠牲によって証明された、人ではない者たちを殺すことに何のためらいもなかった。
「
機長が操縦桿を前に引き、計器を操作して主輪を収容する。
時速200km/s、風向きは南東、機体に異常なし、全ては順調だった。
強いて言えば出撃前に基地のB29が根こそぎ緊急発進していったことと、遠くから砲撃音や爆発音が聞こえることであったが、先日、ハルゼーの第3艦隊が訓練の為にマリアナ沖に展開していると知らされていたので、特におかしなことでは無かった。
戦争の終わりも近いので、弾薬を豪勢に使って射撃演習でもしてるのだろう。
「あれはなんでしょうか?」
副操縦士が、東の海に、ポツリと浮かぶ巨艦を見たのと、後方で大爆発が起こったのは、ほぼ同時だった。
一瞬にしてあたりが砂煙で覆われ、視界がゼロに近くなる。
砂煙から抜けた時、機長は確かに東に浮かぶ巨大な戦艦を見た。
どの米戦艦にも似ても似つかない形容で、その独特な見た目は米軍の誰しもが記憶しているものだった。
「ヤマト?なんでここに、沈んだはずじゃなかったのか!?」
「機長、あれを見てください」
副操縦士が指す先にはサウスダコタ級やノースカロライナ級の戦艦が四隻、ヤマトを追うように波しぶきををあげながら全速力でこちらに向かっていた。
ただ、副操縦士が指したのはその艦隊の更に後方の光景だった。
幾つもの煙と炎が水平線上に見え、無数の黒点が炎上している。
ときおり爆発音が響き、戦艦と思わしき黒点が大爆発を起こして沈んでいった。
第3艦隊が何かしらの勢力と戦闘をしていることは明らかであり、加えてそこにいるのが「ヤマト」である以上、それは日本軍の仕業としか考えられなかった。
そして機長の目には、「ヤマト」の砲塔が旋回し、砲口がこちらに向けられていることがくっきりと写っていた。
※ ※ ※
「特三式弾装填完了、射撃準備よし」
「撃て」
片撃ち射撃だ、三連装砲塔の左砲のみが砲撃を行う。
放たれた四六センチ砲弾は三発、目標のB29を伊藤は睨むが、爆発は無かった。
外したようだ。
それもそうだ、時速五〇〇km/s近い速度で飛んでいて、加えて遠ざかっている目標を撃ち落とすなんてのは至難の業だ。
着弾修正なんてものは空中目標には不可能だ。
だがやらないよりはマシだ。
「一番、二番、三番中砲、撃てえ」
斉射はいちいち砲の俯角を戻さないといけないので、断続的に射撃を行うには交互射撃が最もだった。
対馬での改装の際に、尾栓に補助装填機構が設置され、大口径砲で大変な装填も、若干やりやすくなっている。
「右砲撃て」
第二射の成否を待たずに第三射が放たれる。
着弾まではおよそ40秒がかかる、のこのこと待ってはいられなかった。
それから3回の射撃が行われた。
だが、命中することはなかった。
放たれた砲弾は起爆することなく虚空に消えた。
虚しく遠くの海面に水柱がたつだけである。
B29はそのままサイパンから遠ざかっている。
射程圏外に出てしまうのも時間の問題だった。
そして、追い打ちをかけるように後部見張所から報告が届く、敵艦隊が後方から接近しているというのだ。
第二艦隊は敗れたのかもしれない。
「まずいな...」
特三式弾は残り僅か、更に後方からは四隻の戦艦。
桜花改はこの状況では使えない、周りに燃えている艦が無数にあるから赤外線シーカーがまともに目標を捉えないのだ。
伊藤には解決策は無かった。
その時、「大和」を護衛していた第二水雷戦隊の七隻の駆逐艦が艦首を敵艦隊の方に向けて反転した。
完全な命令逸脱だったが伊藤にそれを咎める気はなかった。
第二水雷戦隊の指揮を「矢矧」の吉村大佐から継いだのは、第二一駆逐隊司令の小滝久雄大佐だった。
彼の乗艦の「朝霜」から発せられたのはただ一言、そして後に彼の遺言になるものだった。
「ワレ、敵艦隊二突入ス」
※ ※ ※
第8戦艦群を率いるジョン・F・シャフロス・ジュニア少将はこちらに向かってくる7隻ほどの駆逐艦を見て舌打ちをした。
あのカミカゼ爆弾とカミカゼ魚雷は一撃で戦艦もを大破させる威力を誇っている、まだどのぐらい残っているかは分からないが、敵艦が近づくだけでも脅威だった。
だが、ハルゼーの絶対命令だ、撤退の選択肢はない。
「ヤマトを沈めるのはお預けだ。あの駆逐艦群を迎撃せよ」
突如戦場に乱入した「ナガト」を始めとする日本艦隊の攻撃で第3艦隊は一時大混乱に陥ったが、第8戦艦群は戦艦同士の砲撃戦に持ち込んだ結果、コンゴウ級の戦艦を一隻沈め、更に複数の巡洋艦や駆逐艦を返り討ちにすることに成功した。
だが、あと少しでトドメを刺せるというところでヤマトを追撃するようにハルゼーから命令された。
仕方なく「サウスダコタ」「インディアナ」「マサチューセッツ」「ノースカロライナ」は10隻ほどの巡洋艦と駆逐艦を連れてヤマトの追撃に向かい今に至る。
「ナガト」の艦隊には数十隻の駆逐艦が攻撃を行っているので、遠からず殲滅はできるのだろうが、麾下の戦艦で仕留められないのは悔しいことだった。
4隻の戦艦は36門の16インチ砲を咆哮させた。
着弾の衝撃で敵駆逐艦の一隻が一瞬で海の藻屑に変わる。
チカリと太陽光が反射したのか、何かが銀色に光った。
1機のB29がサイパンから遠ざかっていた。
※ ※ ※
「着弾、今」
目標のB29には何の変化も起きなかった。
少しして、大きくそれた海面に水しぶきがあがる。
「だめか...」
有賀はそう吐く。
特三式弾はこれで全てだ。
次からは通常の三式弾の射撃となるが、ただでさえ低い命中率が極限まで下がるということだ。
もはや撃墜は絶望的だった。
だが「大和」の乗員が諦めることはない、最後の最後まで全力を尽くすのみだ。
「砲術。斉射に移行だ、何としてでも撃墜せよ」
「了解」
三式弾は時限信管式だから一度に大量に撃ち込んだほうが弾幕が張れて効果的だ。
装填時間は伸びるが、有賀はこの射撃に賭けることにした。
「装填完了」
「撃て」
三基の主砲塔の九門の砲門が火を吹く。
「頼むぞ...」
副長はストップウォッチを片手に砲弾が放たれた方を見つめていた。
そしてとてつもなく長く感じる四〇秒が過ぎた。
「着弾、今」
何も起きなかった。
ただ九発の四六センチ砲弾は海面を叩いただけで終わった。
「次弾装填急げ」
「艦長、もう間に合いません...。射程圏外です」
砲術長が電話ごしにそう答える。
「そうか...」
有賀は項垂れると、がっくりと自分の席に腰を降ろした。
「ですが、あの方法を使えば何とかなるかもしれません」
席に座ったのと砲術長が何か呟いたのはほぼ同時だった。
「あの方法?何のことだ?」
「あまりいい策では無いのですが...装薬を砲身に詰め込んで起爆すれば射程以上に飛ばせるはずです。スガリオ海峡夜戦で山城が沈没直前にその方法で米艦隊に一矢報いたとか噂されています」
あの砲術長がいうことだ。信憑性は無いに等しい。
装薬を必要以上に使うということは砲の耐久性を超える、つまり撃った瞬間内部から爆発するということである。
まさしく一撃しか行えず、「大和」自体が内部から爆沈するかもしれない。
だが、つべこべ言っている余裕はなかった。
有賀は伊藤の方を見た。
またしても伊藤は浅く頷いた。
「分かった、その方法でやれ」
尾栓をいったん取り外し、9門の砲身にありったけの装薬が詰められる。
こんな方法で起爆したら誰だって砲塔内部の人員はタダでは済まないことが分かるだろう。
だがそれは「大和」の全乗組員にとっても同じだ。
弾薬庫に火が回れば内部から爆沈する。隔壁を封鎖する余裕などなかった。
「装填完了」
遠くから重低音が響く、米戦艦群が大和を屠るべく射撃を開始したのだ。
距離にして2万メートル、「大和」の装甲は意味をなさない。
「撃て」
有賀はそれを命じた瞬間、艦橋に飛び込んできた一発の16インチ砲弾によって第一遊撃部隊司令部共々消滅した。
4隻の戦艦から放たれた36発の16インチ砲弾のうち、「大和」に命中したのは5発だった。
うち一発は装甲が無いに等しい艦橋を吹き飛ばし、一瞬で「大和」の指揮系統を崩壊させた。
残りの4発はその初速によって船体の装甲版を撃ち破り、内部構造を人間もろとも貫いた。
生まれて初めての痛みと衝撃に「大和」は鋼鉄の身体を唸らせた。
ただ、有賀の命令は伝わっていた。
被弾の衝撃が3基の砲塔に伝わった瞬間には、9発の46センチ砲弾が音速を超える速さで砲身から飛び出した。
同時に3基の主砲塔は大爆発を起こし、のちに被弾の衝撃と弾薬庫の誘爆と相まって、瞬間的に「大和」を火柱に変えた。
その爆発のキノコ雲は硫黄島からも見えたという。
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