出撃
対馬に到着した第一遊撃部隊の伊藤を出迎えたのは対馬警備隊の高橋と名乗る中将だった。
伊藤だって全ての海軍中将を把握しているわけではないが高橋という名は聞いたことがなかった。それに対馬警備隊なんかも本当かどうか怪しい。
だが実際、対馬にあったのは巨大な浮きドックと大和型戦艦だった。
何かしらの部隊があることは分かった。
高橋に聞いても軍機ですからの一点張りで詳細についても理由についても一切説明はなされなかった。
その時点で伊藤は何かがおかしいことに気づいた。
そもそも連合艦隊司令部が菊水作戦の中止命令を出すなど今になって考えるとありえないことなのだ。
連合艦隊司令部からの指示はまだ来なかった。
食料は毎日十分な量のものが内火艇で対馬から運搬されてきた。
対馬には兵站基地があるわけでも、広大な畑があるわけでもないので不思議なものである。本土からわざわざ輸送船が運んでくることは考えられない。
第一遊撃部隊の乗員は暇つぶしに対馬の住民と畑作業をしたり、釣りをしたりしていた。
そうしているうちに皆、もはや連合艦隊司令部は第一遊撃部隊のことを忘れてしまったのではないか、沖縄に特攻して玉砕したと思っているのではないかと考え始めた。
ただ、たまに偵察に来る米軍機をどっかの航空隊の零戦が撃墜するのを見て、なんとなくまだ戦争が続いていることを思い出させた。
伊藤が高橋に呼び出されたのはちょうど対馬に来てから4ヶ月のことだった。
「今度は何用で?」
「まあ座ってくれ、そう急ぐものでもない」
伊藤はソファーに腰をかけると、テーブルの上にあるものに目を見張った。
「...コーヒーですか?」
「そうだ、入手するの大変だったんだぞ」
カップを手に取り口へ運ぶ。鼻腔全体を満たすような香ばしい香りがした。
「美味しいですね、やはり本物は...」
代用コーヒーの粗末な味と違って、戦前にはどこでも入手できた本物のコーヒーの味だった。5年ぶりぐらいだろうか。
「それで、話とは?」
伊藤はコーヒーのカップを置き、そう訪ねた。
「君も薄々気づいているだろう、私がヤブ軍人だってことに」
高橋はそういうと、ドリップを出し、自分のコップにもコーヒーを注いだ。
「ええ、ですがただのヤブ軍人ではなさそうですね。一般人はあんな物を持ってませんし」
伊藤は顎をしゃくった。先にあるのは暗い海面にポツリと浮かぶ大和型戦艦だった。
「あれは武蔵なんですか?」
「武蔵、ではないな。武蔵はレイテ沖で沈んだはずだ、君は見てないだろうが」
「武蔵が沈むのを見たことがあるんですね?」
高橋はコーヒーを啜った。
「見たわけではないがな、なにせ沈んだ側だったんだからな」
「元武蔵乗組員という訳ですか...。それで、あの船は一体?」
高橋は少し押し黙ると、再び話を続けた。
「111号艦。大和型戦艦4番艦、紀伊だ」
「なんでそれが...建造中止になったのでは?」
確か111号艦はミッドウェー海戦後に建造中止になった筈だ。
「ああ、そうとも、確かに建造中止になったさ。で、作りかけの船体を私が買い取ったよ」
「そして完成させたと?」
「いや、あれはただのハリボテさ。主砲も副砲も
伊藤はまたしても高橋の意図とその全体像が掴めなかった。
「あんな巨大なオモチャを作ったと。笑えない冗談ですね...。一体あなたは何者なんですか?」
「おっと、それは永遠の秘密だ。それで...本題だが」
突如、あたりが明るくなった。長崎の方の空が赤く染まっていた。
「どうやら、落とされたようだな」
「なんなんですか?」
「あれは街を一つ消し飛ばす爆発の明かりだよ、これを見たまえ」
高橋はそういうと伊藤に新聞の切り抜きを見せた。
「広島に新型爆弾投下?」
そう見出しに書いてあった。
「3日前に広島は消滅したよ、本土の方では大変な騒ぎらしいな。そしてたった今、長崎もだ」
高橋は懐から写真を取り出した。一面焼け野原の街のものだった。
「アメさんはポツダム宣言を早く飲むように急かしているんだよ。しっかし、御前会議では意見は真っ向から割れるし、陛下はなかなかお決めになられず、未だに決定できずにいる」
伊藤は理解ができなかった。この男が自分になにを望んでいるかを。
「で、アメさんはなかなか飲んでくれないから2発目を落とした。だが、あの軍部と政府だ。2つ都市が無くなったところで意見がそう固まるわけではないだろう。そしたら3発目、4発目が落とされるかもしれんな」
伊藤はすっかり冷めたコーヒーを啜った。
「小官にどうしろと?」
「なあに、簡単なことさ。時間稼ぎだよ」
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