◆第八章 新たな旅路
第60話
あれから数日が経った。
ジッパ、コーラル、ラーナは無事『未踏地図の冒険家』になって、ダンジョンを脱出した日は傷の治療をすることもなく泥のように眠った。
翌日、王国の手当を受けてから、三人は打ち上げとばかりに酒場で盛大に騒いだ。喜びを、苦労を分かち合って、飲めもしない酒で腹を満たした。
初めて酒場に訪れたとき、周りの冒険家がしていたみたいに、バカ笑いをして、乾杯した。
手にしたばかりで、まっさらの《蜃気楼の地図》をテーブルの上で広げて、三人で色々と妄想をしてみたり、勝手にラーナが落書きをはじめたりした。都度起こる小さな出来事に、吹き出してしまい、時には涙を流しながら三人はずっと笑っていた。
今までクリムと二人きりで何もかもをやってきたジッパだったが、同じ目標を共に乗り切ったパーティーという存在に、何とも言いがたい居心地の良さを感じていたのだ。
とても楽しくて、幸せなひととき。
だが、そんな日常も長くは続かなかった。
コーラルが突然姿を消していたのだ。何の前触れもなく。次の日になっても、同じだった。
そのときジッパは、もう二度とコーラルとは会えない気がしたのだ。
何となく、心のどこかで思っていた。コーラルが一国の王女であることがわかってから。
「…………コーラルはどこにいったの」
「……どこ行ったんだろうね」
「…………もうおわかれ? もうこないの」
「…………」
「…………ジッパ、かなしい?」
「…………どっか、旅にでも出ようか」
ラーナが心配そうに背を伸ばしてジッパの顔を覗き込もうとしてくる。ジッパは顔を反らして、なんとかやり過ごす。ジッパはそんなことをする自身に一番驚いていた。
コーラルが居なくなってしまっただけで、少し泣きそうだったからだ。
「……ジッパよ、あまり気にすることでもないだろう」
「なんのことだよ、うるさいなあクリムは。……ほら、街で買い物でもして旅立とうよ」
こういうとき不意に優しいのは反則だ、とジッパは思う。裏腹に表情だけは明るく整える。
ジッパは自分の感情が理解出来ない。一体どうしてしまったのか。何故コーラルがいないと、こんなにも悲しい気持ちになってしまうのか。
解答にはすぐ辿り着いた。だが、その気持ちを未だに整理しきれない。こんなにもわかりやすい感情を、ジッパは今まで芽生えさせたこともなかったのだから、当然である。
「ほら、行くよ。二人とも」
ジッパは二人を引き連れて市場へと歩き出す。
早朝だというのに、行商人で溢れかえる賑やかな市場を歩きながら、ジッパはどこか上の空だった。クリムやラーナが珍しそうな品々をジッパに見せつけても、ぼうっとするだけで、耳を通り抜けるだけのようだった。
「重傷だな、この男」
「…………やばいの?」
クリムとラーナが、うーんと小さな頭を一緒に傾げたときだった。
「あら、貴方は……」
隣の露店で、薔薇騎士、ヴァレンティーナ・ローズが並んでいる商品を吟味している姿と出くわした。しかし、以前見た堅苦しい表情ではなく、ジッパにとても驚いている様子である。
「あ、えーっと、ヴァレンティーナさんでしたっけ。先日はどうも」
「……い、いえ。こちらこそすいません。こんな恰好で……今日は非番なもので」
そういえば前見たときは、かっちりした軽鎧と赤のロングスカートだったことを思い出した。 だが目前のヴァレンティーナは、安そうな麻の服を一枚纏った自然な装いである。
「なにかお探しですか?」
「あ、あの……こ、これは……ええと」そそくさと手に持った物を背後に隠して、「妹への誕生日プレゼントを……贈ろうと……」と、曖昧に言葉をぼかすヴァレンティーナ。
「妹さんが居るんですね、優しいお姉さんだ。僕にも弟が居るんです、だからわかります、悩みますよねえ~、贈り物は」
「え、ええ……」
ヴァレンティーナは、困ったように、もじもじと身体を揺すっている。
「……どうかしたんですか?」
「い、いえっ、なんでもないですわ!」
ヴァレンティーナは跳ねるように返事をして、頬を紅潮させる。
「…………あー、なんかへんなのもってる」
「きゃっ」
ラーナはいつの間にかヴァレンティーナの背後に回り、彼女の持つものを奪い取ってジッパに手渡してくる。「……人形?」
麻で縫われたとても可愛らしい幼児向けの遊具だった。
「……年の離れた妹さんなんですね、きっと喜びますよ」
「そ、そうですか……あ、ありがとうございます」
ジッパから人形を受け取ると、ヴァレンティーナはチラチラとラーナに視線を飛ばす。
「……うちのラーナがどうかしました?」
「…………なに」
ラーナは無表情でヴァレンティーナを凝視する。
「…………ッくぅ」
ヴァレンティーナは声にならない声を、どこからか変な声を出した。
「この子狼人のハーフなんです。珍しいかもしれないけど、あまり偏見の目で見ないであげてくれますか」
「いえ……そ、そうではなくて……………………か、かわぃぃ」
押し殺すような声でヴァレンティーナは、悶えるようにしてラーナに手を伸ばす。
「…………やだ」
なにやら不穏なものを感じたラーナは直ぐにジッパの後ろに隠れるようにして、ヴァレンティーナから距離を取って、片目をじいっと彼女に向ける。
「……す、すいません、怖がらせるつもりはなかったの」
ヴァレンティーナは目を瞑って、胸一杯に空気を吸い込んでから、はあと息を吐いて、潤みがちな瞳を、もう一度ラーナに向ける。少しおかしな気もするが、その眼差しは好意的なものだった。初対面ではとても堅苦しい人だと思っていたが、そうでもないらしい。
「……コーラル、戻ってますか」
突然切り出してみる。心臓がとくんと鳴って、ヴァレンティーナに横目を向ける。
「……コーラルではなく、パール姫様です。本日のご予定は非番なので聞いておりませんが、先日の朝方に城にお戻りになっていましたわ」
先ほどまでの柔らかい表情は消えて、ヴァレンティーナは凛とした言葉遣いで続ける。
「件の用件では、ご協力とても感謝しております。ですが……申し訳ありませんがこれ以上、パール姫様への接触は控えていただけると助かります。王からの謝礼が足りないのであれば、私のほうで申しておきます」
ジッパは唇を噛みしめる。返ってくる答えは予想できたもので、それ以上のことは望めないことがよくわかった。
「……では彼女によろしくと――」
「コーラルにあいたい」
ジッパの言葉を遮って、ラーナがきらきらした純真な瞳でヴァレンティーナを上目で見る。
「……そ、そんなっ、……かわいい目をしたって……わ、私は……」
「……おねがい、きいてほしい」
途端に怯んだような表情をするヴァレンティーナはくらくらと体勢を不安定にさせて、
「別れの……ご挨拶だけですよ」
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