◆第七章 冒険家の掌で

第53話

 コーラルに握られていた金の宝剣が、砂のようにさらさらと細い指先を落ちていく。


 ツクモを引き出した後の不思議アイテムのあるべき姿に帰結したのだ。


 黄金色の砂の中から飴玉ほどの珠が顔を出していて、ラーナがそれを不思議そうに覗き込む。


「…………おわりなの?」


 ラーナが佇んだままのコーラルに近づいて見上げる。

 コーラルは力なく笑って、寄り添ってくるラーナの狼耳を撫でた。


「……ジッパ、あとでお話したい」

「うん」


 コーラルはジッパの方を見ることなく名前を呼ぶ。彼女の中をかき回しているであろう何層にも重なった思いが、か細い身体から溢れ出しそうだ。今にも押し潰してしまうくらいの感情の嵐。それはきっと気持ちのいいものでもないのだろう。


 だが、ジッパはそれでも自分に打ち明けてくれることが嬉しかった。


「でも……やったね、これでダンジョンクリアだっ」


 コーラルはくるりと身体を回して、にかっと笑った。無垢な子供のようでありながら、血筋は隠せないのか、まるで美しい陽の光のようだと、ジッパは思った。


 じわりとコーラルの傍に“魔粒子の渦”が現れた。


「わっ、なにこれ」と、コーラルは身体全体で驚いてみせる。

「魔粒子の渦っていうんだ。これに触れればダンジョンの外に出られるんだよ」


 ――そうしたら、コーラルとの冒険も終わってしまうんだろうか。

 ふとジッパは、そんなことを考え始めた自分に驚いた。今までここまで特定の誰かに感情移入をしたことがなかったからだ。そんなジッパを余所にラーナがきらりと光る方向を指差す。


「…………あれは?」

「ダンジョンの主のドロップアイテムだよ。これで依頼主が求めてた……って、あれ」


 ジッパは自分で言いつつ表情を固める。目の前のコーラルは、未だに信じがたいがサンドライト王国、第十七代王女、パール・ルステン・サンドライトその人なのだ。


 ――では、酒場で出会ったあの人物は……一体誰だったんだ。


「ここにいるわ」


 どこからともなく女の声がする。

 いつからそこに居たのか、まったく気配を感じることがなかった。

 ジッパたちの目の前に忽然として現れた女は頭巾を捲って、素顔を露わにした。

 コーラルやジッパたちと視線を交差させながら佇む。


「…………ええと、パール……姫?」


 曖昧な語尾で発言する。目の前で微笑を浮かべる色白の美女は、紛れもなく酒場でジッパたちに依頼を投げかけてきた張本人で間違いない。どちらが本物のパール王女なのか判断が付かないが、どちらかといえば魅惑的で、大人びた表情の方が王女っぽい風格を成している、というのがジッパの本音だ。


「ふふ……似ているのね、何だかおかしいわ」


 パール姫は、酒場で対話したときとは異なる声色で、くすくすと喉を鳴らしている。


「……?」

「じゃあ、種明かしといこうかしら」


 紅の唇を曲げつつパール姫は、薬指にはまる銀の指輪を外した。

 途端にジッパの眼中に見たこともない女が出現し、脳裏を揺るがす。――しかし、パール姫だった人物が上から塗り変わっただけなのだということに思考が行き着いた。


 パール姫だった人物は、ゆらりとした桜色の異国衣装を羽織り、紅色の胸当て、腰には刀がさげられていて、その装いによく似合った黒髪は、ダンジョン内のおぼろげな光源を反射して、光の輪を写していた。


「あ、あなたはッ…………だ、だれなんだ」

「えっ、ジッパの知り合いじゃないの?」

「違うよ、コーラルの知り合いじゃないの? パール姫とかなんとかって言ってるし」

「ええっ、わたしだって知らないよ……でもあなたってやっぱり――」


 コーラルは心中にある言葉を告げようとしたとき、履き潰れた革靴が地面を踏む音が聞こえた。


「ったく……ずーっと見てたけどよ、まだまだだよな、テメーはよ」


 カラフルな民族衣装のローブと、特徴的な深緑のバンダナを揺らしながら、がしがしと乱雑に癖の付いた赤茶の短髪を掻きむしる。


「……あっ」


 コーラルが驚いた口をわなわなとさせながら、近づいてくる男に目を見開く。

 このとき、ジッパは少なからず疑念に感じていたすべてを悟った。


「よう、元気してたか。嬢ちゃん」


 巷では伝説の冒険家。またあるところでは変人と証される男、ファスナル・エトワールが伸びきった無精ひげを撫でながら言った。


「ファスナル…………やっぱり……来てくれたんだ……」


 コーラルは念願の夢が叶ったといわんばかりに顔を綻ばせ、瞳をほのかに潤ませる。


「おいおい、なーに泣きそうな面になってやがんだ。せっかく年頃の女になったんだから、がきんちょみてーに泣くんじゃねーよ」

「な、泣いてないよっ、別に……ち、ちがうもん、これは……ビックリして出た汗だし」


 ぐすぐすと鼻を鳴らしながらコーラルは裾で目元を隠すようにするが、口元には笑みが見える。


「……そんでだ。おいこら、テメーだよ、聞いてんのか。耳千切れでもしたか」


 ファスナルはジッパの後頭部をぱしんと叩く。


「……なんですか」ジッパはずれる帽子を被り直して、大きな溜息と共に憎まれ口を叩く。


「《異界への鞄》も《気紛れ道化師の帽子》も俺の物じゃねえかよ、何勝手に使ってんだ」

「よく意味がわからないですね、てゆーかあなた誰なんですか? さっきから突然出てきてうるさいんですけど、どっか行ってくれます?」

「はあ!? テメー、その歳になって反抗期ってか? くっだんねーことしやがって! 師匠の顔を忘れたとは言わせねーぞ、こら」

「師……ああ、そういえばそんな存在でしたね、あなた」


 暗い排水溝で沸いた異物を見るように、ジッパはファスナルを軽蔑する。


「ちょっとまって、どーいうこと? なんでジッパがファスナルと」

「ああ、こいつな、俺の一番弟子だ。つーかコイツしかいねーんだけどな、ははは」

「ちょっといい加減にしてくれる? こんなときばっかり師匠面するわけ? アンタ一回だってまともに僕に何か教えてくれたことあったっけ」

「そんなもんあっただろ……なんか……あっただろ」

「無いよ、バカ親父」


 ジッパはそう吐き捨てて目を合わそうともしない。コーラルは二人の間に挟まれ、ごくりと喉を鳴らした。


「えっ……ジッパ――まさか、ファスナルの子供なの!?」

「……父親らしいことなんて何にもしてもらったことないけどね」

「ま、まあ、いいじゃねえか。こまけーことは」

「ぜんぜん細かくないよ、ほんとアンタ何考えてんの? チャックがいつもどれだけ心配してると思ってんの? たびたび音信不通の消息不明になるたった一人の肉親の帰りを健気に今日も待ってるんだよ、ちょっとは心配したり、あいつどうしてるかな、とか思わないわけ?」

「……おう、チャックは元気か。ならよろしく言っといてやってく――」

「相変わらず人の話を聞かないねアンタは。息子に顔見せてやれって言ってんだよ、てゆーか家に一度帰れ。最低でも一年に一回は」


 加速していく棘あるジッパの言葉にファスナルはたじろぎながら責められ続ける。


 隅のコーラルも目の前で繰り広げられる親子の会話劇を、もぬけの殻のようにただ黙って聞いて居るだけで、精一杯だった。


「……はい、そこまでよ」


 異国衣装の女が、ぱんと両手を叩いて親子の間に入り、ファスナルに視線を散らした。


「へいへい、テメーも大概うるせえからなぁ」


 観念したように溜息をついて、ファスナルは主の落とした《純潔竜の泪雫》を拾い上げた。


「っつーわけだ。二人ともご苦労さん。……ラーナもありがとな」

「…………ラーナ、これからどーすればいいの」

「……復讐は、もういいのか」

「…………もう、いい……」


 ファスナルは事前に用意していたような企み顔で、ジッパに視線を戻す。


「だったらそこの男についてけ」


 ファスナルは通り過ぎ様にラーナの頭をぐしゃりと撫でて、白い歯を見せる。ラーナもかなり心を許しているらしく、甘えるように頭を預ける。


「えっ、ちょ、ちょっと待ってよ、全然わかんないよ」


 コーラルが慌てふためきながら、去りゆくファスナルを止めてくれと言わんばかりにジッパに救いを求める。


(……全部、アンタの思い通りってわけか)


 ジッパは拳を握りながら、ただファスナルの背中を呆然と眺めている。


「おい、約束。果たしたぜ。こいつらが俺たちのせがれだ」


 ファスナルは誰に言うこともなく宙に向かって話しかけた。

 その言葉にダンジョンの魔粒子が反応するように空間が揺れる。目には決して見えないが、身体がそう感じる。

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