第52話

 クリムと赤竜は、フロア内を縦横無尽に旋回しながら、対面し合う度に焔で牽制し合う。天には二匹の竜の火焔が飛び交っている。


「クリム、もう少し近づいて」

「丸焦げになっても知らんぞ」


 ある程度の距離を取りながら、火焔合戦に望んでいたクリムだったが、これではいつまで経っても作戦決行ができない。


「悟られないよう、少しずつこっちが高い位置を取れるように飛んでみて」

「注文の多い奴だ」


 クリムは喉を鳴らしながら、ぐいと距離を近づける。


「あっ、来るッ!」


 コーラルの叫びを聞きながら、ジッパは赤竜の口内に猛炎が燃え上がり始めたのを確認した。


「クリム、このままでいい」


 回避行動を取ろうとするクリムを制して、ジッパは《異界への鞄》に手を突っ込んだ。


 放たれた火球をジッパは使用済みのボロ傘で受け止めて、すれ違い様に赤竜の口へひょいと投げ込んだ。


 そして口から爆発と共に黒煙を撒き散らしながら怒りを露わにする赤竜を、満足そうに眺める。


「《逆さ蝙蝠の傘》は使用済み後、一度くらいなら使えそうだね。それも攻撃目的で。でも直ぐに手離さないとああなるのか、なるほどなー」


 ジッパは帽子のつばを指で弾きながら、にんまりと表情を緩めた。


「……呆れたな。鬼畜だぞ此奴。確証もないのに使用後のアイテムを使いおったわ」

「アイテムに一つだけしか使いみちがないと思ったら大間違いだよ、何ごともやってみないとわからないじゃない。おかげであのドラゴンに致命的なダメージを与えることに繋がったんだから、日々考えて挑戦しながら生きていかないとね」


 ジッパは満足そうに指を立てる。

 おぉー、とコーラルとラーナがジッパに尊敬の眼差しを向ける中、デイドラがジッパの胸ぐらを掴む。


「き~さ~ま~ッ!! それでもし姫様が火傷でもしたらどうするつもりだったのだ!!」

「……そういうところに居るってことだよ、デイドラさん。あなたもね」


 ジッパは茶化すことなく無垢な瞳をデイドラに合わせる。

 冒険家は純粋に狂っている。そんな言葉がデイドラの表情から窺えた。

 やがてクリムが赤竜を見下ろせるまでの高度になったとき、待っていたととばかりにジッパが叫ぶ。


「今だっ、デイドラさん! 行って!」

「う……いいか、貴様の先ほどの行動は万死に値す――」

「いいから早く行くの! オトナでしょ!」

「あっ、姫様、あっ……あんまり押さないでいただき、ああっ、いや、やめて、ああっ!!」


 デイドラはコーラルに背を押されながら、蒼白した顔面のまま落ちていく。


 まずは行動力を奪う必要がある。何故なら人間とドラゴンでは圧倒的に機動性に差があるのからだ。地を歩くことしか出来ない人間に対し、重い躰を中空で支えられるほど強靱な翼を持ち、自由自在に空を移動することができるのは、それだけで利点だ。あの翼を奪って、まずは相手の行動に制限をかける必要がある。


「うぉぉぉぉぉぉぉぉ!!」


 デイドラの恐怖と豪快な雄叫びがダンジョン内部に響き渡る。デイドラの瞳は地を向き、両手に握った鉄塊を構えながら、赤竜の背を目指して降下していく。


 デイドラは赤竜の背に鉄鉛のような剣を突き立て、着地時の衝撃音と共に叫んだ。赤竜は苦しむように唸りを上げる。《重みのパン》により、体重を従来の十倍に増やしていたデイドラの着地に驚愕を隠せないようだ。


 赤竜は強制的に飛行を中断し、そのまま地面へと落下していく。


「ラーナ。座標わかる?」

「…………へいき」


 ラーナは指を滑らせながら瞳を閉じる。

 するとデイドラと赤竜の落下速度を殺し、ふわりと地に到達した。


 ジッパはすかさず小石を地表に撒き散らした。先ほど即席で作った蟲の体液と、数種の薬草とで作成した塗料を塗りたくった《痺れつぶて》である。体液が付着するだけで行動の自由を奪える。甲冑を着ているデイドラには効力が現れず、鱗も躰の一部である赤竜にとっては大きな痛手であるはずだ。


「……あとは」


 ジッパは精神集中をしているコーラルに目をやる。

 ……凄い集中力だ。改めてジッパはコーラルに関心してしまう。普段落ち着きのない彼女からは想像できなかったが、この様子だと精神集中に精を出す時間を日々設けているのかも知れない。


 コーラルは、《くすんだ金色の刺突剣》に隠された真の能力を“引きだす”ために、できる限り自然体で、まるで空気と同化するように瞳を閉じていた。


「…………コーラル……さっきからずっとめをつむっているよ。これが“ツクモ”?」


 ラーナはついついとジッパの裾を引きながらコーラルを見つめる。


 ――ツクモ。それは魔粒子を纏った不思議アイテムに宿るとされる特殊な力であり、長い年月が経った物質や、魔粒子の濃度が高いところで発見されたアイテムにとくに備わりやすい。


 そんなアイテムが持つ隠し能力は、まさに十人十色。生命体のように、呼吸をしているといっていい。そして、冒険家はそのアイテムに語りかけるように――。


 眠ったままの真の能力を“引き出す”ことができる。


「いまコーラルはアイテムに宿っている“ツクモ”と共鳴してるんだよ。お互いの内も外もすべてさらけ出して……裸になっているんだ」

「…………はだか」ラーナは自らの平らな胸部に目をやって手を当てる。

「この剣は長い年月をかけて魔粒子から創られたアイテムだろうから、きっと強いツクモが宿っているはずなんだ。僕がこの剣を拾ったときから、コーラルとは微妙に共鳴反応を起こしていたから、まさかとは思ったんだけど……ほんとにすごい」


 ジッパも不思議アイテムとの共鳴自体は経験があったが、コーラルのものとは天と地ほどの差がある。そこにジッパは沸き立つ好奇心を抑えられない。


(魔粒子がコーラルとあの剣を中心に巡っているのがわかる。ここまで強力に引き合う共鳴……この剣とコーラルの間に一体どんな因果関係が……?)


「……んっ」


 コーラルは瞼を薄く開けて、ふわりと金の髪を揺らした。


「コーラル、平気?」

「うん……引き出せそう……自分でも……ビックリしてるくらい……すんなり」

「なにか見えた?」


 アイテムと共鳴を果たしたとき、常人では体験しがたい不思議な感覚が全身を包み、まるで世界の外側で一人取り残されたような状態に陥った感覚を覚えたことがジッパにはあった。


 泣き叫びたくなる悪夢だったこともあったし、気持ちのいい雨に撃たれているような状態だった場合もあった。それはアイテムに宿ったツクモによって違ってくるのだろう。


 コーラルは一体どんな物を見てきたのか。聞きたくて仕方が無かった。ジッパは頭の中にいくつかの質問事項を用意しつつ、うずうずとしている唇を開いたとき――。


 コーラルの頬をふいに水の流線が走った。


「コーラル? どうしたの」


「…………ううん、……なにも」


 コーラルは目元を汚れた袖で拭って言葉を濁す。


「…………コーラル、かなしいの?」

「ラーナちゃん……ううん、わたしはだいじょぶだよっ」


 無理矢理な笑顔をラーナに見せて、ぴょこりと空を向く狼耳を撫でて、コーラルは腰布からジッパから渡された光る塗料を剣に塗りたくった。


「ジッパ……わたし、行くよ」

「だいじょうぶ、君ならできる」


 ジッパは少し前まで小さく感じていたコーラルの背中を思い出して、微笑ましく思った。


 ジッパがクリムに手で合図をすると、ゆっくりと高度を落としてデイドラと赤竜が倒れる場所へと着陸した。


「……ぎ、ぎさ、まッ……よ、よ……くも」


 赤竜の上で完全に伸びているデイドラはどうやら《痺れつぶて》の回避に失敗したらしい。甲冑を着ているからといって、油断したのだろう。指定の場所へ早急に移動しなかったのだから自業自得である。


「あはは……あとで《除痺液》で拭きとるから、ちょっと我慢しててください」


 ジッパは愛想笑いを浮かべながら、顔の筋肉を硬直させたまま微動だにしないデイドラの重たい身体を赤竜から引きづり降ろした。


「……ふぅ」


 コーラルは大剣の突き立った赤竜の背に上ると、古き金の宝剣を掲げた。


「……ごめんね」


 コーラルは少し頬を落として、剣の刀身に指を触れる。――りん。という音が鳴って、くすんだ真鍮色の刀身が脱皮しながら神々しい彩りを放ち始める。


 コーラルの手元からは紫煙が立ち上がり、コーラルの髪を乱暴に掻き乱す。


 赤竜は抵抗することなく、隙間無く鱗が張り巡らされた首をコーラルへと向ける。そして竜族の青緑の眼光がコーラルを凝視した。


 竜の瞳に敵意は無かった。おそらく、コーラルも肌で感じ取っただろう。


 ――だが、コーラルの手元で陽を浴びたように輝く金の宝剣は、自らを中心に渦巻く紫煙を切り裂きながら――静かに、赤竜の躰へと差し込まれていく。


「……寂しかったよね、なんて言ったらいいかわからないけど、この子が教えてくれるから」


 赤竜はコーラルの言葉を受け入れるように静かに瞳を閉じた。「わたしはわたしにできることをするだけだよ」コーラルのその言葉を最後に、赤竜はその体躯を魔粒子へ還元させていく。


 青緑の瞳から一雫の水滴が零れて凝固する。


 その場には《赤竜の鱗》と、《純潔竜の泪雫》だけが残った。

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