第51話

「姫様ァ!! お怪我は大丈夫でございますか!」

「げっ……デイドラ……何で来たの」と、コーラルは露骨に嫌な顔をして目を細める。

「自分も姫様の戦いに参戦いたします!」


 真っ白に揃った歯を輝かせながらデイドラはコーラルの元に近寄る。


「デイドラさん、助かります。先ほど消毒したので、だいじょうぶだと思います。デイドラさんは……両手剣を扱うんですよね」

「勘違いするな、この力、姫様の為にこの自分の力を行使するまで」

「ありがたいです。どうしても竜族の防御力を超える圧倒的攻撃力が欲しかったところです」

「ほう……貴様わかっているではないか」


 悪い気はしなかったらしく、デイドラはふんと鼻息をならし、屈強な逆三角の体型で、鉄の塊と言っても良いくらいの存在感を放つ剣を火竜へと向けた。


「……ドラゴン、とってもかたい。まほうも……あんまりきかない」


 ラーナは無表情ながら、不服そうな口調でジッパの袖をついついと引っ張る。


「フン、流石は我が同族だ。圧倒的力にひれ伏せ人間どもが、くっくっく」

「こーら、君は一体どっちの味方なんだよ」


 ジッパはデイドラの物珍しそうな視線を余所にクリムに言う。


「……クリム、アレやってみようと思うんだけど」

「なに、貴様まさかアレをやるというのか、賭けだぞ」

「アレ……?」

「…………あれ」


 コーラルとラーナは一緒に頭を傾ける。


「僕の《気紛れ道化師の帽子》を脱ぐときが来たんだ」


 ジッパの発言に辺りは静まり返る。


「……え、そのぼろぼろの帽子ってそんなにすごいものだったの?」

「いや……そういうわけではないんだけど……ね」と、頬を掻きながらジッパは言う。「この帽子、数千年前にとある貴族の館にやってきた気紛れな道化師が残していったらしいものなんだけど、その……でるらしいんだ。不思議アイテムが」

「でる?」コーラルが頬を上げながらわくわくした顔をジッパに注いでくる。

「この帽子はね、脱ぐときに頭の上に何かしらのアイテムがある、と念じながら脱ぐと……そこにはアイテムがあったり、無かったりするんだよ」

「……? よくわかんない。無いかもしれないの? 全然おもしろくない」

「そうも言ってられないよ、出現したアイテムは使わないと呪われてしまうからね。何度も使ったことがあるとはいえ、毎回どきどきするアイテムなんだ」


 帽子のつばを摘まみながら、目を瞑りイメージを作り始めるジッパ。


「ええい、何を面倒くさいことを言っているのだ。さっさと脱げ、軽犯罪者の分際で」

「……あっ、えっ、ちょっと」


 デイドラの手によりぼろぼろの帽子は脱がされ、赤みがかったブラウンの髪が跳ねる。

 その頭の上には――。


「わっ、ほんとだ。なんかあるよ。なんだろ? 薬草かな?」


 ジッパは頭の上に乗っている赤色の葉っぱを摘まみ、「……クリムこれは?」とジッパは視覚が使えないため、傍のクリムに訊ねる。


「……信じられん、アレが来たぞ、ジッパ」


「む? なんなのだ、それは」とデイドラ。

「ありがとうデイドラさん。……勝機が見えてきたよ」


 ジッパの封印された瞳が、光を取り戻した瞬間だった。



 * * *



 風に吹き飛ばされそうになる帽子を抑えながら、ジッパは目を懲らした。


「クリム、火球が来る、避けて!!」

「フン、うるさい奴よ……こんなもの」


 クリムは高度を上げて長い首で舵を取るように、火球が舞う中空を突破していく。


「ひぇぇ~、高い! 怖い! きゃ~!」

「…………すいこまれそう」


 コーラルは騒ぎながらも嬉しそうに悲鳴をあげ、ラーナは狼耳を風で揺らしながら下方を覗き込んでいる。


「き、貴様すべてが終わったら覚えていろッ、こんな巨大なドラゴンを隠し持っていたとは! サンドライトに戻り次第、即刻独房行きだッ!」


 デイドラはクリムの背翼の付け根にしがみ付きながら叫ぶ。


「ジッパよ、此奴落とすか?」

「こら、デイドラさんのおかげで君はこの姿で居られるんだから、ちゃんと感謝するんだよ」


 ジッパはへらへらと笑いながらクリムの首筋の鱗をこつんと叩く。


 先ほど出現した《竜族の血薬シリーズ》(ジッパ命名)は、噛むことで竜族の力を得ることが出来る不思議アイテムである。ジッパは以前にも似たアイテムを手に入れた経験があり、小腹を空かせたクリムが勝手に食べてしまったとき、巨大な竜と化したことで、その効力を実感したというわけである。今回も例外ではなく、クリムは全長十メルラほどの飛竜へと変貌を遂げた。


 そして、ジッパ率いるパーティーメンバーたちと宙を制する空の戦いに繰り出た。


「クリム、焔で牽制してよ」

「簡単に言うでないわ、やる側はそれなりに辛いものがあるものなのだぞ。喉が痛むしな」

「えー、クリムちゃんホントに焔が吹けるの!? 早くやってよ~! わたし見たい!」


 コーラルは屈託のない笑顔で笑いつつ、白い頬を汚れたブラウスの袖で拭った。汗と血で滲んだ彼女だったが、誰よりもこの状況を楽しんでいる。ジッパはそんな彼女の横顔を見て思った。


 ――彼女ともう少し一緒に旅をしていたい。

 サンドライトの王女だということは十分に理解している。最初出会ったときから少しの違和感はあった。金を一切持っていなかったのも、人のことは言えないが、世間知らずだったのにも合点がいった。


 それでも、彼女との出会いにジッパは心から感謝していた。

 ジッパは冒険家になりたいなどと、思ったことは過去に一度としてなかった。


 何となく日々を生きていく中で、自分がしていることは冒険家稼業なのだということを認識し始め、何の疑問も持たず今までやってきた。


 それは師の存在が強かったのかも知れないが、ジッパにとって冒険家という職業は目指すものではなかった。


 王都に出てからというもの、自身と世界との認識の食い違いを痛感し、自称冒険家に過ぎなかったということが判明したジッパは、一体どうしたらいいのかわからなくなっていた。


 そんなとき、冒険家になりたいと強く願うコーラルと出会ったのだ――。

 初対面同然で同じ宿に寝泊まりをし、ときには危険なことにも顔を突っ込み、笑顔でジッパの手を掴んで、ずいずいと先に進んで行ってしまう刺激的な女性。


 根は寂しがりだが、饒舌なジッパは、基本的には人付き合いは得意な部類に入るが、長くを共に過ごせる人間というと、極端に数は減る。その役をクリムがこなしていたが、たった数日間の付き合いで、コーラルの純粋な心の歩みは、確実にジッパの心の中に踏み込んできている。


 そして、ジッパは改めてこう思った。


 ――コーラルと一緒に冒険家になりたい。


 のんびり屋な性格も相俟って、過去に情熱的な思いを持ったことが一度もなかったジッパにとって、この不思議な高揚は覚えのないものだった。そしてこうも思う。


 プロの冒険家になれれば、自身の密かな夢であった、未だ見ぬ世界を回る、という漠然とした願いも叶えられるのだということに気がつく。


 ……もしも、そんなおぼろげな夢をコーラルと一緒叶えることができたなら、どれほどいいだろう。きっと楽しいとジッパは思う。一体どんなふうになるのか全く予想が付かないが、奇妙なダンジョンや、数々の不思議アイテムに魅了されるコーラルの驚く顔や、笑ったが見てみたい。とても苦労するかも知れない。だけど、それでもいい。


 この気持ちだけで、ジッパは心が無邪気な子供のようにうずうずとしてしまう。

 きっとコーラルに出会えたから、今の思考が生まれたのだろう。特に抱いていなかった冒険家への熱い気持ちを宿すことができた。ラーナや、カイネルにも出会うことはなかっただろう。


 今までクリムと一緒に一人と一匹でずっと旅をしてきたが、ジッパはパーティーでのダンジョン攻略に想像以上の面白さを感じ始めていた。


 それらをすべてジッパに与えてくれたのコーラルで、笑顔がとてもよく似合い、泥を被ることも厭わない溌剌な女の子。気がつけば見とれていることにジッパは気がついた。


「……ジッパ、どしたの?」

「ん?」

「なんか凄く嬉しそうだから」コーラルはそう言ってから、にっと笑みを返してくる。

「ふふふ、べつに。なんでもないよ」

「えぇ~、なんか笑われたんですけど! すっごい気になっちゃうんですけどっ」


 ジッパは、窮地に追いやられているはずの状況下で、つい笑みがこぼれた。


「……コーラル、絶対に……一緒に冒険家になろうね」

「ん? あたりまえでしょ~! ジッパってばなにいってるの~!」


 コーラルは、むっと頬を膨らませながら、ジッパをじっと睨み付ける。


「…………そろそろ? ねえ……そろそろ?」


 ラーナがジッパの袖を懸命に引っ張りながら、必死に何かを訴えかけてくる。


「うん、そうだね。 じゃあ、みんな打ち合わせ通りに」

「おっけー!」「…………ん」「お、落ちるぅぅぉぉ、がぁぁぁ」


 各々反応を見せながら、計画までの時間は刻一刻と迫ってくる。


「いいかい、チャンスはきっと一度だけ。この方法くらいしか、現状でダンジョンの主を倒すことは難しいと思う。……コーラル、君の役割がきっと一番難しいと思うけど」


 コーラルはジッパの言葉を遮って、ふんと鼻息を漏らして、息を吸う。

「だいじょぶだいじょぶ。これでもわたしやるときはやる子なんだから! どかーんと一発お見舞いしちゃうよ、その“引き出す”ってやつ!」


 両手を顔の横で交互に振るのが、彼女なりの気合いの入れ方なのか、やたらと張りきった表情で一連の動作を終えると、最後に頬をパチンと叩く。デイドラはその様子を眺めながら、やがてわざとらしい咳払いをひとつ。


「姫様、何度でも言わせていただきますが、しっかりとお考えはしていますか。こうして竜に乗っていること自体、王女として考えられない危険行為。もはや騎士隊長一人の首ひとつでは到底すまない事態になっております」

「わかってるよ」

「この自分が命を賭けて姫様のお体をお守りさせていただくとはいえ、姫様はこの作戦の要でございます。ご自身に危害が降りかからないとは限りません。……そのこと、しっかりと理解していらっしゃいますか」


 デイドラは厳つい眼光でコーラルを睨み、彼女の心に問う言葉を投げかける。


「デイドラ……わたしね、決めたの。わたし、したいことをする。パパの頑な意見も、デイドラの心配してくれる気持ちもしっかりわかってるつもりだよ」


 そう語るコーラルの横顔がジッパには一瞬王女のそれに見えた。


「……それでも、わたしは、生きているうちに行きたいところに行って、見たいものを見て、欲しいものを手に入れてから、死にたい。そのために、わたしはどんなことをしてでも、冒険家になりたいの」

「……どんな危険が目の前にあったとしても、姫様は、その信念を貫き通すというのですか」

「……そうだよ。たとえ、わたしが怪我を負うことになっても、挫けそうになっても」


 夜空に瞬く星々の煌めきのような群青の瞳をデイドラへ向ける。


「……姫様」


 その美しい瞳に宿った揺るがない魂に、デイドラは気圧されたようだ。しかし、少し寂しそうな表情をしたようにも見える。それはきっと、雛鳥が巣立つ瞬間の親鳥の気持ちと同じようなものではないだろうか、とジッパは思った。


「デイドラもパパも、どーせ、しつこく止めてくるんだろうけどね! むっふっふ~、いまに見てなよ! 最近思いついた最新脱走計画なんか冗談抜きでかなりすごいんだから! あれであなたたちを欺いてやるの。これでもわたし、けっこう策士なんだから」

「ふっ、いいでしょう。受けて立ちましょう。姫様を王国から一歩たりとも出しませぬ」

「絶対負けないもんッ」


 デイドラは先ほどまでの堅苦しい表情を緩めて、笑顔のコーラルと顔をつき合わせたところ、「……おしろ、もうでてる」と、ラーナが適確な横やりを入れた。


 これにはデイドラもずり落ちるように体勢を崩した。


「やっ、ちょっとあっち行ってよデイドラ!! ぉ、落ちちゃう!」

「おお、これは申し訳ありませぬ……」

「…………へんなひと……このひと」

「むむッ……先ほどから黙って聞いていれば、なんだこのちっこいのは。貴様にそのようなことを言われる筋合いはないわ!」


 デイドラは憤怒の矛先をラーナへと向けてずかずかとクリムの上で歩行を進める。


「…………ジッパー、こいつがいじめてくる」


 無表情でしがみついてくるラーナを撫でながら、ジッパは瞳の色を変えた。


「はい。和やかな時間はもうおしまい。みんな、作戦決行だよ」

「……姫様に一番危険な行程をお任せするのは致し方ないとは言え、他に作戦はないのか」

「……正直言えばあるよ。何パターンか試してみたいことは。でも、コレが一番成功確率が高いと思うし、なにより……僕は個人的にコーラルにはこれを挑戦して欲しいと思ってる」

「……なッ、そんな貴様の気分で――」


 コーラルはデイドラを白い手で制して、「やるから。わたし、絶対やるから」


 これにはサンドライト騎士団の隊長殿も、了承する他ないらしかった。

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