第50話

 目の前で幼子の頃から仕えてきた可憐な少女が、綺麗な装いを汚してまで強い瞳で赤竜に走り込んでいく。


 帽子の青年が小さな狼人の少女と、一国の王女に何やら指示を飛ばしながら作戦を遂行しているようだった。


 思い返せば、幼い頃はとても大人しく、気の小さな少女だった。身体も弱く、剣を持つことなど想像することも出来なかった。


 だが、我らがサンドライトの王女は、ある人物との出会いを境に喋り方も性格も活発になったようで、全く興味のなかったはずの剣術を教えて欲しいとせがむようになった。


 当初はデイドラが手解きしていたが、昔から何かと嫌われているらしく、新任してきたばかりのヴァレンティーナにその役を奪われたことは、今でもやりきれない。


 王の前では決して言うことなど出来ないが、娘同然に育ててきたも同然である。壊れてしまいそうな宝石を丁寧に磨くように、落とさないように大切に抱え込んで毎日過ごしてきたのだ。


 そこでデイドラは思考を巡らせてみた。サンドライトの王女であるコーラルという存在は、例え王国に自らが仕えていない身分であったとしても、命をかけることができるのだろうか……と。愚かな考えであることはわかっていたが、今一度考えてみることがデイドラには必要だった。――答えは実に簡単だった。命を落としてでも守るべき存在であることに変わりはない。


 自らの過保護過ぎる考えが彼女の可能性の芽を摘み取ってしまうのだとしても、一国の王女である以前に、一人の人間として、デイドラはコーラルに忠誠を尽くしているのだ。


「コーラル、竜族の硬い鱗はその刺突剣では突くことができない。コレを使ってみて」


 ジッパは鞄の中から瓶を取りだして、それをコーラルへと投げた。


「なに? これ」

「油だよ、《狂人蛙(ケルトロルス・フロッグ)の油》。刀身に塗って使うんだ。鱗もドロっと溶かしちゃうくらいの貫通性を付与することができる」

「へぇ、すごーい! 蛙の脂で?」


 いつの間にかできあがっている交友関係にも驚いたが、あんなに笑顔で誰かと会話しているのをデイドラは久しぶりに見た。近頃の姫君の表情といえば、怒っているか、憂鬱そうにしていることが多かった気がする。デイドラの前でだけだったのかもしれないが。


「コーラル、よそ見してないで、尻尾にも気をつけるんだよ」

「だいじょぶだいじょぶ――」べしん、と途轍もない破裂音が響いた。


 言っている傍からコーラルは赤竜の尻尾に叩きつけられ、最果てまで飛んでいく。


「あぁ、姫様ッ!!」


 思わず声が出る。そして思う。何故自分はあの場所に居ないのか。何故己が守るべき人物が剣を取り立ち向かっているのか。


「コーラルッ!!」


 ジッパの叫び声にも応答はなく、瞳を閉じたまま立ち上がろうとしない。


「ほら、デイドラ何をしているのですか。さっさと寝ている姫様を担いでらして」


 ヴァレンティーナはこの光景を待っていたかのように用意された台詞をデイドラに投げる。


「なに」

「これでパール姫もお気が済んだでしょう。あとは姫様さえお連れすれば王からの命は終わりなのですから、早急に帰還するのが鉄則ですわ」

「うむ……。それも……そうだな」

「だいたい冒険家だなんて……一体いつからそのような考えが及ぶようになったのでしょう。王国から出たこともない箱入りのお姫様が言うことはわかったものではありませんわ」


 ヴァレンティーナは冷酷に言い放つ。言葉はかなり悪いが、デイドラもそれには同意だった。


 デイドラたちの視線の先では寝転んでいたコーラルが、剣を突き立てて負傷した身体を起こしたところだった。額には切り傷が出来ており鮮血がだらだらと表面を流れていく。


「……だ、だいじょぶ、へへ。……痛ったぁ」


 顔を伝う血を心配そうに恐る恐る触れようとしているところにジッパが駆け寄る。


「ダメだよ、コーラル。傷口に触れちゃ行けない、ばい菌が入って化膿する」

「か、かのー? なあに、それ……わ、わたしだいじょぶだよね!? ね!?」


 突然不安そうな顔でジッパにすがりつくような目を向けた。


 そしてデイドラは、数十年仕えてきてあのような視線を受けたことは一度としてなかった。それは、過保護すぎるからなのか、鬱陶しいと思われているからなのか。仲間ではないからか。


「……でも、わたし、がんばるよ。冒険家になりたいから」


 デイドラはコーラルの力強い青い瞳と屈託のない笑顔を見て、疑念が核心に変わった。

 ――自分の考えは誤っていた。


「ヴァレンティーナよ、先に王国へ戻っていろ」

「どういうつもりですか」

「サンドライト王国の騎士として生きてきて十五年――自分の騎士道は間違っていたのかも知れない。姫様の言うとおり、規律や王族としてのなんたるかを強要するばかりで、姫様の言葉に耳を傾けたことが、思い返せばなかった気がするのだ」

「……だからなんですの?」

「姫様のあのようなお顔、見たことがない」


 デイドラの精悍な顔つきの先には、白い歯をむき出しに確かな執念を燃やす一国の姫君の姿。


「今回ばかりは、姫様の言葉に耳を傾けてみようかと思うのだ」

「自分が何を言っているかわかっていますの? さっき自分で言った言葉をお忘れですか? あなた姫様に怪我でもあればどう責任をとるつもりとかなんとか――」

「……責任は自分がすべて取るッ!!」


 デイドラはその一言を吐き捨てると背に担ぐ身の程の大剣に片手を掲げる。


「……本当に呆れますわ、デイドラ。どうなっても知りませんよ。仕事意外であなたと関わりを持つつもりはないですから。姫様を本当に冒険家なんて野蛮な職に就かすつもりですか?」


「どうとでも言え。そして言っておこう。そんなつもりは毛頭ないと」


 ヴァレンティーナは、デイドラの大きな背中を見たままぼやく。


「……ジェード王には私から言っておきますわ。姫様を連れて直ぐに戻りますと」

「いつになく素直ではないか、一体どうしたのだ」

「あなたの剣の腕だけは信用に値しますからね。それでは、ご武運を祈りますわ」


 それだけ言うと、ヴァレンティーナはカイネルを連れて去って行った。

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