第54話
突然、声が聞こえた。
――感謝する。よくぞ妾血族を連れてきた。ファスナルよ。
不思議な声音は頭の中に直接語りかけてくる。今まで体感したことのない畏怖感を覚えつつ、その澄んだ女神のような神々しい声柄に聞き入ってしまう。
「感謝されるような事はしてねーぜ、報酬のために約束を果たしただけだ」
――そうだな、ではそう思うことにしよう。またいつか会うこともあるだろう。
「ねーよ、テメーの次の復活じゃ一体いつになんだよ、まさかまた十年後とかいうんじゃねーだろうな、いよいよ俺も本格的に老いぼれ始めちまう。これでお別れだよ」
ファスナルは城下町を徘徊する野良犬のようにぎろりと目を尖らせて、天の声に応える。
――そうか。それは残念だ。そなたの愉快な思考や仕草は見ていて飽きないのだがな。
天の声はまるで幼子の反応を楽しむように微笑を浮かべるような声を頭へ響かせる。
「けっ、くだらねえ、人間よか人間っぽいぜ。テメー」
――ふふふ、そうか。それよりよいのか、この子らになんの説明も無いなのか?
そこに存在するのが当然とばかりに、いつの間にか、宙に少女が浮かび上がっていた。
「……なっ!!」
霞がかった青色でぼんやりと発光しながらも、麗しく長い髪を中空に靡かせながらくすくすと笑う。その姿は、コーラルに瓜二つだった。
「あなたは……わたしの夢の中に出てきた」
空を自由に舞う亡霊少女は、コーラルの前で制止すると楽しそうに周囲を浮遊し始める。
その光景を見ていたファスナルは、黙考してから、汚れだらけの外套から腕を突き出す。
「……そいつはここ、古代サンドライト王国の王女、トパーズ姫だ。嬢ちゃん、テメーのご先祖様だよ。数千年前のな」
「……ご先祖さま」
「数千年前にこの地で起きた“外来生物災害戦争”はもう知ってるな。伝説では清廉潔白の王女が生まれて初めて持った憎悪と悲しみから、赤い泪を流して死んだとされてる。だがそいつは憎悪と悲しみに数千年間生き続けたんだ。竜族に転生し、この【封印のダンジョン】の主になったてわけだ。これが伝説の真相だ」
ファスナルは、先ほど拾い上げた緋色に輝く石を指で挟み、目を細める。
「そんでこいつがトパーズ姫の泪だ。こいつはとんでもねーシロモノだぜ、もしこの石が割れて魔粒子が溢れ出しでもしたら、このローグライグリムの世界全土が魔粒子に蔓延することになっちまう。イントラへヴンがアウターヘル化するって言ったらわかりやすいか」
「ファスナルは……それを手に入れるためにここに?」
コーラルが訝しむ表情でファスナルに訊ねる。ファスナルは顎ひげをなぞりながら、
「まあ、そうなるな。テメーらには俺がこのアイテムを手に入れるためだけに、ここまで動いてもらったってわけだ」
「……なんでわたしたちなの?」
「そいつがどうしてもサンドライトの血族を一目見ないとこのアイテムをよこさねーって聞かなくてな、じゃあそのための舞台と役者を用意することにした」
「……わたしが子供のころから計画してたってこと?」
「……そうなるな。あとはテメーで考えてくれ。もうめんどくせー」
一体いつからの計画なのか、ジッパにはファスナルの思考回路の中を完全に理解することが出来なかった。しかし、わかったことがある。この男はやはり最低で、最悪だということだ。
ファスナルがコーラルに冒険家へのあこがれを抱かせたのは、自らの物欲のためにコーラルを利用するためであり、そのための舞台を用意し、役者を用意し、ファスナルが思い描いた脚本通りに各々が勝手に動き出す。そして十数年を超えた壮大な冒険活劇をやり遂げた。
どこまでがファスナルの思惑なのかはわからないが、ジッパとコーラルとの邂逅もきっと計算通りだったのだろう。姿を変えた異国衣装の女と偶然出会わせるようにすることで、コーラルとの約束を果たすように見せた。
そして、ダンジョンに潜る為、おそらくカイネル率いる『心許ない爪元』の団員に紛れ込んでいたのだろう。もしかすると団そのものに属している可能性だってある。戦闘が始まれば何かしらの不思議アイテムで身を隠し、事が終われば顔を出してトパーズ姫から報酬を受け取る。
(本当に……この人は……一体どこまで……)
ジッパは拳をぎゅっと握りしめる。なんとなくだが、師であり、父のファスナルがこの件に関わっている気がしていたのだ。そこまでわかっていながら、父の脚本通りに動かされていたのがとても腹立たしく、情けない。
「じゃ、じゃあ、わたしとの約束は?」
「……お前、そんなに俺と一緒がいいのかよ」
自分の父に憧れているコーラルを直視することができず、ジッパは二人の会話を聞き流し、ただ押し黙って地面を見つめるのみ。
「おーい、クリム。そこのバカに言っとけ」
ファスナルは躰が通常サイズまで縮まったクリムに呼びかける。
「あ~! ちょっと、ファスナル! 逃げるつもり!?」とコーラルが表情を強張らせる。
「テメーの頭で人を思い通りに使ってこその冒険家だってな。嬢ちゃん、お前もだぞ」
ファスナルは、面倒くさそうに苦い顔でコーラルの言葉を振り払い、魔粒子の渦に入り込もうとすると、「……ぐ、ぐぐ、よ、ようやく身体の自由が効くようになったぁぁぁ!!」と、地面に大の字で倒れていたデイドラが奇声と共に身体をぐいと起こした。
「な、きっ、貴様は……!! ファスナル・エトワールではないかッ!! ここであったが百年目! 独房にぶち込んでくれるわ!!」
「おう、王国騎士団の隊長のくせに寝坊とは良いご身分だな、つかお前また老けたよな。たしかまだ三十だったよな? 俺よかおっさんに見えるぜ、デイドラ」
「な、なななな、何を言うッ! 騎士に顔の良し悪しなど関係など無いわ! そんなことより貴様を独房にたたき込むことの方が先だ!」
「ははっ、おいおい、独房行きはテメーらの方だぜ」
「ファスナル、どういうこと?」と、興味津々のコーラル。デイドラを制しながら言う。
「気付かなかったか、しかしテメーら“地図無し”でよくここまで降りて来れたな。――喜べ、ここはアウターヘルに入り込んでるぜ」
ファスナルは、懐から古ぼけた羊皮紙を取りだして、ジッパたちの方へ投げる。
受け取ったジッパは、乱雑に丸められた《蜃気楼の地図》を広げる。
――そこにはこの世のすべてがあるような気がした。
「ジッパ、それでまだローグライムグリム全土の六割ってところだ。俺はイントラへヴンの三割の大地と、アウターヘルのたった三割の地しかまだ踏んでない。そこまでするのに二十五年かかった」
ジッパのグリーンの瞳に、父が二十五年歩んできた足跡が映り込む。
聞いたこともない国、山、森、海。見たこともない形の大陸。そして点々と蔓延る無数のダンジョン。ファスナルの歩んできた道筋を辿るように、ジッパはただ地図を凝視する。
ジッパが見たことのある世界の形といえば、中途半端に途切れたイントラへヴンの全体地図だけだった。しかし、ジッパの瞳に流れ込んできた世界の形は、自分の知っているものと全く異なっている。ファスナルの《蜃気楼の地図》に印字された情報量は、ジッパの頭の中のアウターヘルを軽く飛び越えて置き去りにした。
声にならない。何かを言おうとしたはずのジッパだったが、あまりの衝撃に心臓を直接握られたのか、次の言葉が出てこない。
「くはっ、ビビって声もでねーか」ファスナルは嬉しそうに笑う。
「まだまだ俺はデカい目標を掲げた大冒険の途中で、今回たまたま道草楽しみに来ただけだ」
「それめんどくせーから破れ」そう吐き捨てられ、戸惑うジッパだったが、ファスナルのさっさとしろという表情に根負けし、言われた通り破り捨てる。すると、《蜃気楼の地図》は独りでに宙に浮かび上がり、破れた羊皮紙同士はファスナルの元で元通りに戻った。ファスナルは愛用の地図を懐に仕舞いこみ、
「……おら、ジッパ。嬢ちゃん、ラーナ」
ファスナルは乱雑にぽいと、ゴミでも投げ捨てるように《蜃気楼の地図》と、《冒険家の証》を投げてよこす。
「確かに渡したぜ。それをどうするかはテメーら次第だ。……あと、合格おめでとさん」
「……待ってよ!」
魔粒子の渦に半身を突っ込むファスナルを、ジッパは声を張り上げて止める。
「あ? なんだよ、まだ文句でもあんのか、やっぱお前相手にすんのは疲れるな」
「…………父さん、ちゃんと、チャックにも顔見せてやってね」
「……ああ、わかった」ファスナルは一度頷いて、「……それよかテメーもさっさとここまで来いや、もたもたしてっと残りの未開の地、全部俺が制覇しちまうぜ」
深緑のバンダナに取り付けられている、地図と風のマークが刻印されたバッジに親指を差し、ファスナルは笑う。「まあ、俺『フーライ』失効寸前なんだけどな」
「ファスナル、次の協会の会合に欠席したら『フーライ』の資格を失効させるって言われてたわ。風来としての立場、しっかり理解しろって」
「ちっ、シレンのじーさんも案外ねちっこいよなあ、もっと会長らしく何事もドンと構えて欲しいもんだぜ」
異国衣装の女に難癖付けながら、ファスナルはジッパたちに視線を投げる。
「いいか、テメーらもこれから冒険家になるんだったら違反行為はよくねーぜ、協会に目の敵にされるとめんどくせーからな。まあそれを撒くのも超面白えんだけどな」
「この人を反面教師にして、これからも頑張ってね」と異国衣装の女は優しい笑みを後輩たちへ向けた。
「本来『ロワンド』以上じゃねーとアウターヘルへの渡航許可は降りねえんだ。テメーらみてえななりたて冒険家が来れる場所じゃねえ、……良い経験ができたな。絶対、糧にしろよ」
その言葉にはどこか重みがあった。きっとファスナルは様々な経験を糧にし、今の地位を築いたのだろう。不器用な父からの声援だった。
「……すぐに追いつくよ。アンタなんか余裕で追い抜いてやるさ」
「おっ、言うじゃねーかよ、クソ弟子」
「うっさい、クソ師匠」
ファスナルは予め用意していたような笑みを浮かべて、ジッパと笑い合った。
決していい父親とは呼べなかった。だが――冒険家としては超一流である自らの師が誇らしくないわけがない。ジッパは心の奥底にずっと眠っていた可燃材に、火を灯し、篝火を揺らす。
「じゃあな。ひよっこども。ジッパ。ラーナのこと……よろしくな」
ジッパの横でへばり付いているラーナに視線を落としてから、ファスナルは気がついたように顔を上げる。
「……ジッパ、どこまでが俺の作り上げた舞台なのか、よく考えて今夜は寝るんだな」
笑いを堪えるような仕草のファスナルと、異国衣装の女は魔粒子の渦に呑まれて消失した。
――くくく、本当に面白い男だ。と、トパーズ姫の嗤い声が、いつまでも反響していた。
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