◆第六章 戦火を交えて
第42話
身体がとても重い。どうやら負傷したらしい。ジッパは激痛に表情を歪めながら上半身を起こした。
「くっ、いてて……」
自分の膝にはコーラルが突っ伏していて、すうすうと寝息を立てている。
辺りを見渡すと、自然に出来たらしい薄暗い洞穴のようなところ場所だった。自分たち二人がこうして生きていることが奇跡に等しいことを青年は実感する。
(……クリムが居たらきっと怒られちゃうだろうな、何だか最近落ちっぱなしだ)
とはいえ不可抗力ではあったのだが。そう思いつつジッパは自分の身辺を確認した。
出血していたらしい下腹部と足に、手放しに上手とは言えないがきっと精一杯頑張ってくれたであろう治療処置が施されている。
(これ……コーラルが?)
自分の膝で呼吸と共に身体を上下させるコーラルを覗く。口から唾液を垂らして幸せそうな顔で眠っている。それを見て青年は心の底から安堵した。自分の命を擲ってまで助けると決めた命だ。これで行動不能になっていては、死ぬに死にきれない。
(よかった……ほんとうに)
安心という名の溜息を深くついて、青年はコーラルの金の髪にそっと手を伸ばす。
ダンジョンに潜ってからというもの、彼女は初めての経験だらけだった。ときに酷い目にあい、綺麗な顔と身体はひどく汚れてしまっていた。少女の服はジッパを治療するために布として利用したからか、所々破れていて、美しく自慢の金の髪でさえ、薄汚れてくすんでしまっている。
(自分の服まで……こんな暗いところで独りで……きっと心細かったろうな)
涙を流して弱音を吐いていたことも青年は忘れていない。だが、それでもコーラルは冒険家になるために――夢を貫き通すことを決めたのだ。
可愛らしく寝息をたてている少女の頭を優しく撫でながら、これからどうすべきか考えた。あれだけの地割れが起こったのだ。確実に何かが起こったことは明白だ。
だが、今はそれより離ればなれになってしまった仲間たちのことが気がかりだった。ラーナとクリムは地割れに転落しなかったようだし問題ないと考えたが、カイネルは行方をくらませたまま、合流すること無く先ほどの地割れが発生してしまった。針を右に進めていたことから、未来に居るべき場所にいるはずだが、影響が全く無かったわけがない。
とはいえ――自分の負傷具合も中々に痛々しい物だった。コーラルの治療のお陰で出血は止まっているようだし、おそらく、最低限の消毒の類いも行き届いているらしい。しかし、それでも傷口が癒えたわけでは無かった。
「痛ッ……」
少し身体を動かそうとしてみるが、かなりの痛みを伴った。“不思議アイテム”にも、“魔粒子”を用いた魔法でも、傷を癒やすという効力をもったものは存外に少ない。そのため冒険家は外的ダメージを受けてしまうことを何より恐れる。そのため外的損傷を負いやすい近接ジョブは敬遠されるのだろう。
掌の中で寝息を立てていたコーラルが青年の手に気がつき、大きな瞳をぱっと見開いた。
「……ジッパっ」
「コーラル、おはよ」
コーラルは頬を掻くジッパを凝視すると、そのまま勢いよく青年の身体に抱きついた。
「よかったよぅ……ジッパ、ジッパだ。ちゃんと生きてるよっ」
「あ、痛っ、ちょっとコーラル? 痛い、あっ、強い」
「あぁっ、ご、ごめんなさいっ」コーラルは直ぐにジッパから身を離した。
「それから……口元……ヨダレ垂れてるよ。僕の服にも君のがたくさん付いてるけど」
「えっ、嘘!? ……ご、ごめんなさい……っ! やだ、わたし赤ちゃんみたいで……」
コーラルは耳まで赤くして、恥じらいながら手先をもじもじさせる。
「身体、大丈夫? 怪我は?」
「だいじょぶ、わたしは全然平気だよ。その……ジッパのおかげで、ありがとうっ」
妙にしおらしくコーラルは下を俯いたまま心からのお礼をした。
「僕の方こそありがとう。コーラルが治療してくれなかったら、今頃どうなってたかわからない。本当にお礼を言わせてもらうよ。命の恩人だね」
「そ、そんなっ! すっごくヘタクソでごめんね! は、初めてだったから……。それにジッパが庇ってくれたおかげでわたしは殆ど無傷でここにいるわけだし! お礼を言うのはわたしのほう!」
「そんなに謙虚になることないじゃない、ふふ、なにさ。コーラルらしくないね。何かあったの?」
「え……? な、なんだろ……なにも……ないよ」
「……そうなの?」
「……うん」
「そっかあ……」
しばしの沈黙――。薄暗さと身体の距離もあってか、場の空気は今まで二人の間にあったものとは、微妙に異なっていた。決して嫌な雰囲気というわけではないが、ジッパは、やけにしおらしくなっているコーラルに少し戸惑いながらも、口を開けずにいた。
「…………」
「……な、なんか、喋ってよ。どうして黙るの」
先人を切ったのはコーラルだった。相手も同じように戸惑った様子で目を合わせず言う。
「……ええと、……服、ビリビリになっちゃたね」
「……あっ、うん。そうかも。……その、あ、あんまり見られると……わたし」
コーラルは破れた服の隙間から、チラリと見える白い肌を素手で塞ぐようにする。その姿はとても魅惑的でいて、場の空気と恥じらいの表情もあったせいか、いつになく大人しいコーラルに、青年の鼓動は矢継ぎ早になっていく。フリルのスカートの下には艶めかしい柔肌が見えていて、心の底で触れてみたい欲求にもかられてしまう。
(バカ、僕は一体何を考えているんだ)頭を振りきるが、煩悩を落とすことは出来ない。
「………………」
また長い沈黙に陥ってしまう。考えれば考えるだけ、この摩訶不思議な雰囲気に飲み込まれていってしまう。普段何気なくしていた軽快な会話は一体どこへ行ってしまったのか。
「ねえ、ジッパ」
再び沈黙を破ったコーラルに、青年はできる限りの平常心で応対する。
「ん? なに」
「……なんかね。その、わたし、今凄くドキドキしてるんだけど……なんだろう、これ」
「…………えっと――そ、それは……」
「冒険に出る前ほどじゃない――でもないんだけど、なんかね、違う感じの……ドキドキというか……ヘンな感じなの……んー、これ、なんなんだろう~、もやもやする~」
柔い色白の股を抱えて座ったまま、コーラルは顔を俯けながらにして言った。
「僕からは……なんとも……」
「え? なあに?」
青年のやけに強張った小さな声を聞き直してくるついでに、コーラルはぐいと顔をこちらに近づけてきて、ふと目が合った。
混じりけの無い純枠の青の瞳と長く可愛らしい睫毛。一見聖女のようにも見えるが、彼女の本質はその溌剌な表情と、決して折れない意志。それから元気で明るい声音にある。
「…………コーラル」
その瞳に吸い込まれるように何故か名前を呼んでしまった。すぐにしまった、と思う。
「ジ、ジッパ……?」
彼女の何かを求めるような双眸を顔面で受けながら、ジッパは硬く目を瞑って告げた。
「……聞いた話なんだけど……ダンジョンにはさ、死神っていうのが居るらしいんだ。僕はまだ見たことが無いんだけど、階数を降りることなく同じフロアに長時間滞在し続けると出るんだってさ。そして“不思議アイテム”でもある《冥土送の鎌》で一瞬で殺されてしまうんだって――」
「……し、死神……えっ、まさか……で、で、出てるのっ? 今!? ここに!?」
血相を変えて目を丸くしたコーラルは、全身の毛を逆立たせるような顔で反応する。
「はは、まさか……どうもここはダンジョンじゃないみたいだし――」
ジッパがそう言い終える前に、近場で積み重なっていたらしい岩が崩れるような衝撃音が響いた。
「きゃ――」
「コーラルっ」
ジッパは何よりも先に、か弱い少女の肩を自分の胸に引き寄せた。
「……なんだろう、まだ何か起こるっていうのか?」
ジッパはいつにない鋭い眼光で、洞穴の先を見つめる。
コーラルはされるがままに、ジッパの胸の中で小さな身体を固まらせている。行き先の無い心許ない指先は、安心を求めるようにジッパの衣服をぎゅっと掴んだ。
「…………コーラル?」
「……あ、あれ……わたしってば……やっぱり……なんかヘンだな、…あ、あははっ……」強張った笑みのまま少女は、続ける。「ジッパが気絶してる間ね、わたし独りでずっと不安だったけど、目的があったからなのかな。必死に頑張れていたの、本当だよ。嘘じゃない。でも……でもねっ、あなたがっ……いま隣に居ると……わたし……なんだか……泣きそうになっちゃって……これ、何なんだろうなっ、えへへっ」
ジッパは頬から涙を一粒零した彼女の肩をぎゅっと抱き寄せて、優しく頭を撫でた。
「ジッパ……それ――よくするよね。あのね……それ、実はすっごい気持ちいいの」
「そうなの?」
「うん……なんかね……すごい安心……するの、嬉しいなっ」
顔を俯けてつむじを向けてくるコーラルをジッパは愛しく思う。しばらく身体をくっつけてそうしていると――やがて手を離した青年は、コーラルの綺麗な青い瞳を見つめた。
二人の間には――距離などまるで意味を成さないように、潤んだ瞳にお互いの赤く染まった顔だけが映っている。早くなる胸の高鳴りは、自分の気を緩ませる効果があるらしい。
「コーラルは……さ」
「……うん」
「…………その、僕のことを……さ……」
「……ジッパのこと……?」
「その……な、なんというか、あの……」
「――いちゃついているところ大変すまんが、俺の話を聞いてくれ、お二人さん」
身体を引きずりながらやって来た、第三次試験管――百戦練磨の豪傑、ゴウゼルの登場にジッパとコーラルは身体を飛び上がらせた。
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