第41話

「オイ、こっから出てーんだろ、嬢ちゃん」

「おじさんは……だれですの?」


 上風が吹き込み、レースのカーテンが少し揺れる。金色の飾りが細部まで行き届いた出窓に、腰を下ろしたバンダナ頭の男が、がっくりとした顔で少女を覗き込む。


「オジ……ってマジか。俺ぁーこれでもまだ二十代なんだがな」

「だって……おひげがきたないですわよ、うふふ」と、少女はお上品に笑う。

「フッフッフ……舐めんなよオイ、この無精ひげで俺は幾つものモンスターと戦ってきた男なんだぜ」けらけらと笑いながらボロ布を纏っただけのような恰好の男は膝を叩いた。

「もんすたー?」

「ああ、そうだ。ほら、こっち来てみろよ、外は綺麗だぜ」


 少女は綺麗に編み込まれた身ほどの金の髪を揺らしながら、隣に座る精悍な顔つきの男を見据える。――男は外に広がる果ての無い青空と、緑の大地を打ち眺めながらに、言う。


「嬢ちゃんはよ、ここを出たことがねーんだろ。この窓を超えた先にはな、とてもでっかい世界が広がってるんだぜ、言っちまえば今のお前の世界はこの城の中だけだ。でもな、本当の世界ってのは何処にでも転がってるもんなんだ。空の上に世界はあるし、海の中や雲の中、小さな草の中にだってあるんだぜ。そうやって世界はいくつもの世界が繋がってようやく一つの世界として、ここに存在するんだ。……そんでそんなバカでかい世界にはダンジョンっていうのも存在する」

「だんじょん……?」

「そうだ。そこにはとても不思議なアイテムがたくさん眠ってるんだよ。死んだ人間を生き返らせる羽だって、思い通りに誰かを操れる笛だって、たくさんの生き物と喋ることが出来る角だってある。面白いモンがいくらでも転がってるんだ」


 ――話をしているときの男の瞳はとても純朴で、美しかった事を覚えている。


「そーゆー不思議な夢みたいなものを探し続け、思いのままに好きなだけ手に入れる。自由と欲しいモンを巡って無謀な旅をするバカどもを人は冒険家って言うんだ」

「ぼーけんか」

「ああ、そうだ。どーだよ、そんな世界にキョーミはねーか?」


 にしし、と無精ひげが散りばめられた口を横に広げ、バンダナの男は笑った。


「……ぼーけんか……だんじょん……よく、わかんないですわ」

「おっと……交渉失敗かよ、フッフッフ……いいさ、また来る。きっとその方がおもしれえ。そうだな、そん時は……とんでもねぇ土産話をお前に聞かせてやるぜ、あっ、それからテメーの堅物クソ親父にもよろしくな。俺がここに来たことはもちろん内緒だ。約束できるか?」男はそのまま小指を立てて、少女の小さな手に近づける。

「……できますわ?」


 差し出された指が何を意味しているのかわからなかった少女は、それをぐっと握った。


「ははっ、こりゃあいい。おもしれえ奴になりそうだ。期待してんぜ、嬢ちゃん」


 こうして男との邂逅は幕を閉じ――それからというもの、たまに少女の元を訪れるようになり、土産話だ、と自分がしてきた冒険譚の数々を幾つも少女に聞かせた。


 世界各地で出会った様々な仲間たちとの出会いと別れ、聞いているはずのこちらがつい心踊ってしまう仲間たちとの楽しい団欒。ときに怖くなってしまう位に聞き入った不思議なダンジョン攻略も、そして強大な敵に立ち向かっていく冒険家たちの勇ましさに、少女は今まで生きてきた中で、おそらく一番没頭した。


 それは今まで読んできたどんな物語よりも面白くて、少女の心を熱くした。――いつしか彼女は、バンダナの男のように冒険家になりたいという夢を思い描くようになった。


 そんなある日――。


「あっ、ファスナルだ! きょうはなにを聞かせてくれるの!?」

「おいおい、俺は話屋じゃねーんだぜ……勘弁しろよ、そんなに毎回あるか」

「うそ! まだまだいっぱいあるってわたし知ってるよ!」

「つーかな……お前、喋り方戻せ。最近あいつにバレつつあるんだよ、俺の必死なまでの英才教育が水の泡になっちまう」

「やだよ、そんなこといいからはやくお話してよ、ねえねえ」


 少女は、男の服を引っ張りながらいつも冒険譚を聞かせてくれる所定位置まで連れ込む。


「……今回はな、お前に渡したいもんがあって来たんだ」

「渡したいもの?」少女の返答に答えるように、男は懐から何かを取り出す。「これだ」


 それは深紅色に煌めく綺麗なブローチだった。男はそれを少女の小さな手へと渡す。


「わぁ……きれーい。これなんて言うの?」

「それは《開封のブローチ》」男は少し思い詰めた表情で、「いいか、嬢ちゃん。そのブローチが光ったとき、お前を冒険の旅に出させてやる」

「えっ、それって……! わたしもファスナルの仲間になれるってこと? やったぁ!!」


 少女は青色の宝石のような瞳を爛々とさせて、嬉しそうな顔で飛び跳ねる。

「そんなに俺と一緒がいいのか? まあ、別にそれでも構わねーが……案外冒険ってのは掲げた目標地点を行儀良く行くより、道草進んだ方がそのとき自分が求めてるモンが転がってるもんだぜ。まあ、それは実際自分の足で歩いてみないとわかんねーことだけどな」


「じゃあ……ブローチが光ったら、そしたら……どうすればいいの」

「基本的に何も教えないほうが俺の好みなんだが……そうだな、じゃあ一つだけヒントだ。冒険家はな、みんな酒と楽しい話が大好きなんだ」

「えぇ、なあにそれ、ぜんぜんわかんないよ」

「いいんだよ、ちっとは自分で考えろや。――冒険家になりてーんだろ?」

「なりたい! 冒険家になってね、【天空のダンジョン】に上ってね、ローグライグリムの全世界を【天空の丘】から見下ろすんだ!」

「その気持ちさえあればなれるぜ、冒険家なんてのは。じゃあまたな、嬢ちゃん」


 それ以降――男は少女の前に姿を現すことは無かった。当時は気が付かなかったが、ずっと冒険譚を聞かせてくれていた謎の男が伝説の冒険家と呼ばれる、ファスナル・エトワールであることを知ったのは、それからずっと後の話である。


 そして十年後――ブローチは鮮紅の光を帯びて、コーラルの胸で輝いた。


 ついにやってきた。自分が夢にまで見た冒険の旅に旅発つ、そのときである――。


 こうしてコーラルは――旅立ちの道中で、独房の青年ジッパと出会ったのだ。


 ――思い返せばジッパとはそんな出会いだった、考えてみれば出会ってからそう長い時間は経っていない。自分が生きてきた年数と比べたら両手で数えられるほどの小さな日々。


 だが、なぜこうも彼との毎日はとても楽しいのだろうか。明日は一体何が起こるの? とついつい先走ってしまうくらいに、コーラルはジッパの次の言葉を所望するのだった。


 うとうとと、昔を思い返しながら――コーラルは夢を見た。

 その中に登場する見慣れた種族は、異端と呼ぶべき最初の生物だった。その怨念にも似た悲しき寸劇は、この歪んだ世界を形創る結果となった、原因でもあったのだ……。


 ――わたしは憎い。人間が憎い。そして、何も出来なかった自分自身がとても憎いのだ。

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