第40話

 ――暗闇。他には何も見えない。


 視覚が使い物にならない今、手探りで何かを判別する他無かった。


 コーラルの指先が、なにか温かい物に触れた。それは――液体。


 純正な水であるとは言いがたく、ねっとりとしていて、鼻腔にその液体特有の嫌な匂いが届いた。直接嗅いだことは無かったが、その液体の名は知っている。それは――血。


「……ジッパ、ねえ、ジッパ?」


 少女は自らの鮮血を見たことも、赤い血液に触れた経験すらなかった。嫌な連想が頭を過ぎる。自分の身体の上で横たわる青年から、それは滲み出ているようだった。


「う、うそでしょっ……ジッパ、ねえっ、お願い、目を覚まして……ジッパ!」


 コーラルは青年の肩を揺らしながら、涙声で訴えかけるのが精一杯だった。無力な自分にはきっとジッパを救うことが出来ない、心のどこかでそう決めつけた。


「……ジッパ」


 コーラルはジッパを横にして、汚れた金髪を垂らしながら、青年の胸にそっと耳を当てる。とくん、と一定の鼓動を繰り返している――どうやら気絶しているようだ。


 少しだけ安堵するコーラルだったが、自分を取り巻く環境が劇的に変わったわけでは決して無い。瞳を開けて、厳しい現状飲み込む。


 暗闇に早くも目が慣れ始めてきた。どうやら、ここはダンジョンの中では無いらしい。もしダンジョンであるなら、生命反応を探知し発光現象が起こるはずである。他ならぬ自分がジッパに質問したことなのだから、少女はしっかりと覚えていた。


(ここにはわたししか居ない……ラーナちゃんも、カイネルくんも……クリムちゃんも)


 コーラルは決意した。先ほどジッパに言われたばかりの言葉を頭に反芻させながら。


「ジッパ……必ず……助けてあげるから、わたし、頑張るから」


 ようやくジッパの全身を確認できるようになった。彼は腹部と足を負傷し、かなりの出血をしていた。コーラルが目を覚ましたとき、自分に乗りかかっていたことから、転落間際に自分を庇ってくれたのは明白だった。


 コーラルにとって、それは今まで出会ったことがない類いの人だった。他人を守るために自分の命を犠牲にする行動する、まるでおとぎ話の英雄のような……。


 周囲の環境を確認してみる。辺りはとても狭く、目が慣れてきたとはいえ、やはり薄暗い。二人が横に寝転ぶのがやっとの洞穴のような場所で、コーラルは足下を見渡した。


 ジッパがいつも背負っていた鞄が転がっている。中を確認しようと手を突っ込むが、中には何も入っていなかった。


(あれれ……なんかいっぱい取りだしていたと思ったんだけどな……さっきだって――)、と思ったコーラルはこれが“不思議アイテム”だということを考えた。そして先ほど【モンスターハウス】から脱出する際に、ジッパは目を瞑って手を入れ込み、そしていつのまにか掌にアイテムが出現させていたのである。


 コーラルはある仮説を元に同じ事をしてみた――どうやら、予想は当たったらしい。


 街を出る前にジッパが購入していた、数種の薬草と水や食料を取り出すことが出来た。


 ――これなら……何とか出来るかも知れない。コーラルは暗闇の中でただ独り、不安と恐怖の中で、一筋の光を見つけた気がした。それを大切に掴んで、絶対に離さない。


 横たわって気絶状態のジッパと、衣服も身だしなみもボロ布のようになってしまった自分を見比べて――こんな状況下であるというのに、コーラルはくすりと笑った。


 なんだか、いっぱしの冒険家になれている気がしたのだ。夢に思い描いていたおとぎ話に出て来るような格好良い冒険家では無かったけれど。


 コーラルは自分の洋服の袖を不器用に噛みちぎり、拙い動作で即興の包帯を作った。横で寝息を立てているジッパを見下ろしながら、コーラルは少し遠い昔を振り返った――どうして自分がこんなにも冒険家に憧れるようになったのか。


 ――それは……ある冒険家の一言だった。

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