第37話

【機械仕掛けのダンジョン B3F】



「きゃああ!! 何かでたよぅ! うわぁぁぁ」

「コーラル! そっち行ったらダメだ!」


 涙目でジッパから離れていくコーラルは、床に設置されているトラップを踏んだ。


 すると突然粉塵が巻き起こり、コーラルの鼻腔を激しく刺激する。


「うっ……えぇ……く、クサッ……!! 鼻が……曲がるぅ……」」

「だいじょうぶ! 外的影響はないトラップだから、コーラル、お、落ち着いて、囲まれないように剣で牽制するんだ!」


 ジッパが少し離れたところから自分に指示を出してくる。


 辺りには蟲(ワーム)が三匹出現している。長く太いうえに四肢の存在しない不気味な体躯は、腕利きの冒険家間でも嫌悪されるモンスターである。その内二匹は飛び出して行ったコーラルを囲んで、大きな口を開いている。


「うっ、うぅ……ふぇえ」


 コーラルは視界を涙で濡らしながら、目の前で唾液を垂らしている蟲を見据える。


 生まれて初めて見る異質な存在――きっと自分たちとわかり合えることなど出来ない歪みの源から生まれた存在、モンスター。彼らが一体何の信念を持って行動しているのか、コーラルにはまるで理解出来なかった。


(こ、怖い……こんなに……こんなにもっ――)


 ――唇も、足も、手でさえも、全身が震えて思い通りに動かすことが出来ない。

 おまけにこんな近距離距離でモンスターの気味の悪い吐息も、生臭い匂いも、肌でじっとりと感じてしまうのだ。


 視界に長時間入れていただけで脳に何かしらの後遺症が残ってしまうんじゃ無いか、と疑ってしまうくらいの存在が、直ぐ目の前で口を開けて自分に攻撃しようとしている。


 コーラルは恐る恐る腰に差しているレイピアを引き抜いて、数々の鍛錬の末にようやく身につけた構えとは違い、とても不格好な屁っ放り腰で、震える剣先を蟲に向ける。


「く、……くるならッ……きなよ!」


 今の状況は、コーラルの思い描いていた冒険家によるダンジョン攻略とは雲泥の差であった。一体何が悪かったのか、彼女は自分なりに考えた。それは、単に自分の覚悟が足らなかったのかも知れない。とてつもなく小さな自分の力を過信しすぎていたのかもしれない。心の何処かできっと自分ならやれる、だいじょうぶ、と根拠の無い言葉で自分を信じ込ませている面が少なからずあった。


 その結果がこの様では、笑い話も良いところだった。あの酒場でパール姫と交わした約束、依頼内容を思い返す。そしてそのときジッパが言ってくれた言葉も。


 ――心の底から、あのときの自分を笑ってやりたい。絶対に無理だと、自分の愚かさを知れと。――しかしコーラルはそれでも――夢に思い描いた冒険家になりたかった。


「うわぁぁッ!」


 コーラルの叫び声と共に繰り出した一閃の剣先が――蟲の大口を貫いて背を貫通する。


 遅れて飛び出す青色の粘着質な体液が、コーラルの美しい金の髪にかかり、噴出し続ける異物は服の隙間にまで入り込む。


「ひ、ひぃ……あぁんっ、き、気持ち……わるいよ」


 なんとも言えない脱力感が身体を襲い、気味の悪い感触が服と肌の間で繰り広げられる。


「大丈夫!? コーラル! 目を開けないで、すぐに服を脱いで!」


 真っ先に膝を地に着けた彼女の元に駆け寄ったのはジッパだった。青年は彼女にかかった粘液を急いで自分の衣服に吸収させながら、乱暴に彼女の服を破いた。


「じ、ジッパッ!? ……ちょ、ちょっと!」


 突然のことに頬を染めて慌てふためくコーラルは、貞操を守るような形で身体を覆う。


「蟲系のモンスターの体液には微量の酸が含まれてる。ここまで派手に被っちゃうと何かしらの影響が出かねない、直ぐに対処するから早く服を脱いで」


 ジッパは早口でそう言うと、背負っている大きな鞄を地面に降ろし、そこに手を入れ込んで、数種類のフラスコと、数種類の薬草を取りだした。


「カイネル、後の一匹はお願いできるかな」

「……あんたに指図されて動くつもりは毛頭ないけどな、それでもコーラル城のお召し物を汚した罪は万死に値するさ」


 カイネルはコーラルを取り囲んでいたもう一匹の蟲にとどめを刺すと、そのまま動くこと無く、離れた位置に居る最後の蟲を腕のクロスボウで命中させる。


「遠距離攻撃こそ知恵を持った人間に与えられた最も利口的で、無駄の無い戦い方さ」

「上手いもんだね、初めてダンジョンに潜行したとは思えないくらいの度胸もある」

「ハッハッハ、男から褒められたところで嬉しくもなんともないね、オレはコーラル嬢に褒めてもらいたい一心で――」


 カイネルの視線が衣服を脱いでいる途中のコーラルの元で止まる。


「あ……あのっ、その……見られていると……その、とても恥ずかしいんだけどっ」


 頬を染めながらスカートを脱いでいる途中のコーラルが、目元付近をジッパに拭ってもらいながらにぼやく。


 その一部始終を見逃さなかったカイネルはぐっと拳を握り、身体を仰け反らせて叫ぶ。


「――グッジョブ!!」

「…………ぐっじょぶ?」

「……絵に描いたような阿呆だな、こいつは。チビよ、お主は聞かなくとも良いぞ」

「…………そーなの」


 ラーナの頭上に仮移住を決め込んだクリムが、呆れた顔をカイネルに向ける。


 人間では無い種族の血が混じっている同士だからか、何かとわかり合えるところがあったらしい。あまり人に懐くことのないクリムだが、ラーナとは相性が良いらしい。


「コーラル、悪いけど恥ずかしがってる暇は無いよ。カイネルのことは放っておいて早く脱いで。さっき君が踏んだのはきっと蟲系の好物の刺激臭だ。踏んだ瞬間に君の元に二匹も注意が向いたからね。直ぐにでもあいつらが君を狙ってまた集まってくる。それまでにその異臭の除去と身体に被ってしまった体液の摘出をするから」

「ぅ、うん……そ、そうだよね……ごめんね、わたし、わがままを……」


 コーラルは羞恥心のあまり頬をほんのり染める。そして、どういうわけか涙が溢れ出そうになってしまう。今少しでも怒鳴られれば自分は泣いてしまう、と少女は思う。


「初めてなんだし、戸惑うのは当然さ。僕も蟲の特性を直ぐに説明してあげれば……こんなことにはならなかったかも知れないのに、ごめんね。どうやらまだまだお互いに学ぶことはあるみたいだね、それでこそ試験さ。一緒にがんばろうね、コーラル」

「ジッパ……」


 青年は優しい微笑みをコーラルに向けて、白い歯を見せた。


「一緒に頑張ろう」という嬉しい言葉を聞いただけで、その優しさにすがりたくなってしまう。堪えている瞼が我慢の限界を超えて、じんわり潤んだ瞳から、少しずつ綺麗な雫を零していく。


「うぅ……わたし……怖かった、とっても……とってもっ! ごめんなさい、いっつも軽口ばかり言って……本当にごめんなさいッ、全部あなたの言うとおりだった……!」


 ついに耐えきれなくなったのか、気がつくとコーラルは目の前のジッパに抱きついていて、すすり泣きながら涙を流した。人目も気にせず泣きじゃくることなど、少女は今まで一度として経験したことが無かった。


「……コーラル」


 ジッパは彼女の背中を優しく抱いて、体液でべた付いた髪も気にせずに頭を撫でた。


「気にしなくていいよ……恐怖を覚えたことが、君をまた一歩成長させる。コーラル、君はまだまだこれからだよ、叶えたい夢があるんだろう。僕はとても純枠にその夢を追う君が羨ましくもあり、応援したいとも思っているんだ。その……出来れば――君と一緒に」

「で、でも……わたしっ……きっと……何にも出来なくてっ……このパーティーの中でもたぶんすごい足手まといでぇ、ひっく……きっと何の才能もないんだぁ~」


 本格的に泣き出してしまったコーラルは目を赤くしながら弱々しく泣きわめいた。


「あのねぇ、誰しも最初は足手まといで役立たずだよ。最初から何でも出来る人なんて居るはず無いだろう? 生まれたての赤ん坊がダンジョンでモンスターと戦えると思う? 僕だってね、最初はいつも泣きながら、体中に血だらけになってたくさん冒険をしてきた。それでようやく今の僕がいる。いい? 才能はね、元から備わってるものじゃ無いんだ。己で磨く物なんだよ」

「うっ、……うわぁぁん~」

「おぉ~、よしよし、泣かないでコーラル、良い子だから。ふふ、赤ちゃんみたいだな」


 ジッパは泣きじゃくるコーラルの頭をぽんぽんと撫でながら、くすりと笑った。

 それを傍目に見ていたラーナとクリムは、お互いの目を合わせて、


「よし。チビよ、彼奴らの前に移動しろ。そこの阿呆の視界から遮断するのだ」

「…………うん」


 ラーナは、ばっと両手を広げて、ジッパとコーラルを何かから守るような体勢をとる。


「…………い、いや、もういい、その二人の間にはもう割り込めない空気が充満してる気がするからな……まあ、あれだ……からかってすいませんでした」

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