第14話

 ――窓からの景色はすっかり暗くなっていて、狼の吠える遠吠えでも聞こえてきそうな静寂の夜だった。


「どうする? そろそろ寝よっか、わたし眠くなってきちゃった……ふわぁ~」

「そうだね、明日も早いし――」


 ジッパが問いかけてくるコーラルの問いに答えべく少女に向き直ろうとしたとき、小窓から差し込む月光を受けた金の髪を靡かせながら、とすんと青年のベッドが揺れた。


 月明かりを浴びているせいか、妙に色気が増して見えるコーラルの色艶のよい唇がゆっくり動く。


「一緒にねるー?」

「は……?」


 とろんとした潤んだ瞳でジッパの胸辺りを見据えてくる。


 そんなまさか……とジッパは思ったが、どうやら男女で一緒に寝ようということを提案してきているように聞こえる。


 ――いや、しかし本気で言っているのか? 対面の無垢な笑顔の少女の真意が掴めない。


 若い男女が同じ部屋で寝るということでさえ大問題だと青年は考えていたが、少女は一閃も金を持っていなかったし、かく言う自分も“所持品全紛失”してしまったわけで、唯一の所持金もそろそろ底が尽きそうである。さらに、宿屋で宿泊の予約をしようとしたところ、二人部屋しか空きが無いというのだから、こういう状況になってしまったのは仕方が無いようにも思う。――いや、そう思うほか無いだろう。そうだ、狙ってこうなったわけでは無いのだ。決して自分にやましい気持ちがあるとか無いとか、そういうわけではないんだ……。青年は冷静に頭を整理し、直面にぶつかっている問題に素直に向き直った。


「……き、君の気持ちは嬉しいけど……やっぱり……男女で一緒に寝るなんて。そ、それはちょっと、アレじゃないか。その……あの……恥ずかしいっていうかさ……ちゃんとベッドも二つあるんだし、ここは――」

「男女……? ああ、ジッパわたしと一緒に寝たいってこと?」


 きょとんとした顔でコーラルが顔を傾ける。彼女が胸に抱えているのは不満そうな顔のクリムだった。


「離せ小娘よ、我はジッパと一緒に寝るのだっ、ええいやめろ、自慢の両翼で遊ぶな!」


 全て勘違いの産物であったことを理解したジッパは、自分の煩悩を呪いたい気持ちになった。これではむっつりスケベと言われてしまっても仕方が無いかも知れない。


「あ……いや、そういうわけでは……あのっ」

「むふふ~……ジッパってけっこーお子様なんだねぇー」


 クリムを肩に乗せて小悪魔めいた表情を浮かべているコーラルは――突然がばっとジッパの脇腹に掴みかかった。


「ほうらっ! そういう子にはこちょこちょこちょ~!」

「なっ、何するんだよコーラルッ! あっ……ちょ、バカ! やめっ――」

「どう? これで少しは怖くなくなった? えへへ、実はわたしも小さい頃にねぇ――」


 ジッパの下腹部の上で馬乗りになる麗しの少女は無邪気な笑顔でくすくすと笑っている。


「なっ、なっ……コ、コーラル……」


 あまりのことに目を回すように視点が定まらないジッパ。


 自分の股間付近にとても柔らかい乙女の素肌が密着していて、襞の下からちらりと見え隠れする薄色の布がおそらく青年の衣服に直接押し当てられている。そのことを考えると、ジッパは居ても立っても居られなかった。身体の一部に血液が集中し始めてしまうのも無理はない。


 体温が途端に上がっていく。青年は耳まで赤く染めたまま、コーラルの青い瞳を見つめる。とても綺麗な瞳と肌。垂れ下がる金の髪は自分の胸に落ちている。ほどよく大きな胸は普通にしているよりいくらか膨張して見える。胸の高鳴りは鼓動の速度を早める。


 お互いの瞳を見つめ合いながら時間が経過する。――青年の頭の中では既に色々な妄想が描かれ始めていた。


「…………」

「……? ジッパ、なんか硬いものがあるよ」


 一部盛り上がってしまったジッパの身体の一部は、欲望のままに主張を続けていた。コーラルは不思議そうに首を傾げながら告げる。柔らかい股の感触が、彼女が身体を動かす度により硬度を増していく。


「コーラル……ど、どいて」

「ん? あっ、重かった? ごめんね」


 コーラルはそのまま身体を退けると、肩のクリムをもう一度胸に抱きかかえ、自らのベッドに帰っていた。


「くっくっく……滑稽だな、ジッパよ」

「黙って寝てなよ、クリム・バベルザーガさんはっ」


 ジッパは頬を少し紅潮させたまま嫌みったらしく嗤うクリムにそう返した。


 ――夜は進み夜更けも近かった。お互いのベッドで背を向けながら布を被り眠りについていると、髪を解いたコーラルは、自分の枕元で躰を丸めてすうすうと寝息を立てているクリムに微笑を向けた後、寝返りついでに口を開いた。


「……ジッパ、もう寝た?」

「…………起きてるよ」


 ジッパは帽子で顔を隠した状態のまま答える。


「……ジッパ、わたし……胸がドキドキして寝れないよっ」

「……なにも考えないで視界を真っ暗にしていればそのうち眠れるよ」

「とっても楽しみなの、冒険家になるの。だからね……冒険家でもないのに、たくさんダンジョンに潜ったっていうあなたのことがとても羨ましいし、尊敬しているんだよ、なんだかもう一度会える気がしてたし、本当に再会したときは驚いたけど……」

「……どうしてコーラルはそんなに冒険家になりたいの?」

「わたし、憧れてるって言ったでしょ。伝説の冒険家、ファスナルに……」

「言っていたね、それはどうして?」

「……小さい頃にね、何度か会ったことがあるの。わたしのお父さんとファスナルはお友達で、良くうちに遊びに来たりしていたんだよ、ふふ、凄いでしょう」


 少し自慢が混じった口調でコーラルはにっと笑った。


「……随分と庶民的な伝説の冒険家だね」

「そこがファスナルのいいところなの、とっても親しみやすくて、生きる伝説とまで言われているのに、とっても喋りやすかったなあ……結構昔だから思い出っぽくなっちゃっててファスナルの顔なんか少しぼんやりとしているんだけどね」

「子供のときのことだろうし、それは仕方ないよ」


 部屋は真っ暗で、青年も帽子で視界を遮っているためコーラルの顔を見ているわけではないが、きっとにこにこと笑いながら喋っているであろうことは簡単に想像できた。


「でもしっかり覚えていることがあるの。それはファスナルがわたしに自分たちがしてきた冒険譚を聞かせてくれたってこと。わたしは彼のしてくれる手に汗握るようなどんな童話よりも面白い冒険譚をいつも心待ちにしていたの。【アウターヘル】にあるっていう【創世のダンジョン】で『魔族(ゾロア・デーモン)』相手にドラゴンに乗って白熱の戦いを繰り広げたり、【古代遺跡のダンジョン】では数千年前の種族の出生の秘密を解き明かしたとか、そんな冒険劇を。その中でもわたしが一番印象に残っているお話はね――空に存在するっていう【天空のダンジョン】」

「それでそれで?」


 ジッパも気がつけば胸の高鳴りが鼓動を早めている。


「うん、えっとね、そのダンジョンは【アウターヘル】にある雲よりもずっと高い【天界(サンクチュアリ)】ってところにあって、そこへ行く為には《摩天楼への種木》ってアイテムが必要なんだって。そこにはわたしたちが見たことも無い『天使』や『悪魔』、『天空神(ゴッド・オリジン)』に、『戦乙女(ヴァルキリー)』なんかが分類される、『天界族(サンクチュリアン)』が暮らしていて、その中に【天空のダンジョン】は存在して、それを攻略した先で待っているのは――【天空の丘(サンクチュアリ・アクロ)】。そこではこのローグライグリムの世界の全てを見下ろすことができる【神々の展望台】がそこにはあるんだって」


 ジッパは一瞬――胸がとくんとコーラルと同期したような気さえした。この子は……自分と同じような気持ちを持っている。しかし漠然とした夢を掲げるだけの優柔不断なジッパとは違い、明確な目的を持っている。興奮するように語尾が上がるその喋りにそれは現れているようだった。――冒険家になる為の明確な目的を持ったコーラルは青年にはとても魅力的に見えた。


「わたしはね……それを見てみたい。【天空の丘】に上って、世界一高いところからこの広大な世界の全てが見てみたいの。【イントラへヴン】も【アウターヘル】も含んだローグライグリムの全世界を一度に。わたしは――その為に絶対冒険家になりたい」


 凛とした青の瞳が暗闇の中で輝いて見えた。とてもいい夢だと青年は思う。


「そっか……そんな思いがあったんだね」


 話してみないとわからないことは幾つもある。わかっていたようであっても、人は言われなければ相手のことなど実際は何もわからないのだ。自分で考えて決断してしまう前に、ジッパはまず相手の話を聞いてから、判断したいと思う。だから――師を探すという目標を掲げたこの旅にはきっと大きな意味があるはずなのだ。


「それに……これはきっとずっと待っていた大きなチャンスなの」

「チャンス……?」

「……ううん、なんでもないよ、よーし、明日はがんばるぞっ! ジッパ、明日からまたよろしくね!」

「そんなに大きな声出してるとまたドキドキしちゃうんじゃない? だいじょうぶ?」

「ああっ、やっちゃった! ううっ、ドキドキが止まらないよぅ、どうしよう、ジッパ」

「ははは、本当に変わったコだね、コーラルは。目を閉じて羊の数でも数えてみなよ、そうすればきっと直ぐに眠っちゃうよ。また明日も早いよ……じゃあ、おやすみ」

「うん……おやすみなさい、ジッパ」


 布が擦れる音がして、ベッド上の会話は途切れた。――そして訪れる静寂の夜。

 その暗闇の中で、再度コーラルが口を開く。


「あ、ジッパ。そういえば……さっきの硬いのは一体何だったの?」

「…………あー、それは……短剣の柄だよ、僕の腰に差してる奴が当たったんだろう」

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