◆第三章 冒険の旅に出る前に

第13話

 小さな窓から黄昏時の金色の陽の光を浴びている――ウォームカラーでコーディネイトされた二人部屋は、少し狭くもあるが、とても居心地が良く、これで銀貨一枚というのだから、破格の安値というものだろう。


 青年はふかふかのベッドに腰を下ろすと、頭を抱える。


「はあ、ホントに泊まっちゃうなんて……どうかしてたよ、僕は……」


 ふと顔を上げてみると、対面のベッドにぺたんと座った金金髪少女と自らの相棒が眼界に入る。


「ふふふ、じゃあクリムちゃんって言うんだね、どしてずっと隠れてたの? もしかして恥ずかしがり屋さん?」

「馬鹿者が、小娘のくせに我をそのような呼び名で呼ぶでない。長き血族の焔で焼き尽くすぞ」

「なあに? それ、火が吹けるってこと? わぁー、凄い、ちょっとやって見せてよ」


 金髪少女は嬉々の表情を浮かべ、小さき竜に期待の眼差しを向ける。


「お、おほん……い、今は……少しばかり力が封印されていてな……残念だが披露することはできない」

「えぇ~……それは残念だなあ、じゃあ――」


 少女は落胆したまま露出された白い股に乗せていた手を伸ばし、クリムの躰を捕まえると、自身の膨よかな胸元にぎゅっと小竜を埋め、満足そうに笑みを浮かべる。


「代わりにぎゅってさせてもらおっかな!」

「ぐぬっ……や、やめろ……あまり我に触れるでない、くううっ……押し潰されるっ……早く助太刀せよ、ジッパ!」

「わたしドラゴンって初めて観たの! もっと触らせてほしいな」


 クリムは幾度となく埋まる双丘に激しい嫌悪を浮かべ、ジッパに助けを求めたが――名を呼ばれた青年はその様子を少し羨ましそうな目でぼうっと眺めているだけだった。


「……おいジッパ」

「ん? ああ、なにクリム」

「お主……むっつりスケベというやつだな」

「えっ、違うよ……別に……そんなんじゃ」

「むっつり……スケベ……?」


 少女は顔を傾けてきょとんとする。


「ああ、いいのいいの、気にしないで。それより……問題はこれからどうするか、だね」


 ジッパは慌てて真面目な表情を作ると、頭の中の状況整理をすることにした。


「冒険家試験の開催日は一週間後という話。これを信じるならもうそんなに時間もないよね、それまでに僕たちがやらないといけないことは……必要なアイテム資格を入手すること、数日間の旅になるかもしれないから相応の準備をすること」


 ジッパは目前の溌剌とした少女に一瞥やると、青年の話に頻りに頷きながら、膝の上に載せたクリムの翼を弄くっている最中だった。


 それを見ていると、どうにも冒険家志望とは思えない。あまりにその風貌が冒険家のものとかけ離れているように青年には思えたからだった。


 娘の無垢な子供のような表情は、まるで冒険家を崇敬しているようでもあり――実は冒険家のことを本当はなにも理解していないのでは無いかという風にも見える。


(まあ、僕も同じようなものだけど……)


 人里離れた山奥付近のダンジョンを転々としてきたわけだが、王都に来てからというもの自分は本当に何も知らなかったのだと言うことを実感する。そういった意味では、自分も少女も特に違いは無いのかも知れない。


「……ええと、現在不明な点は――冒険家試験は一体どこで行われるのか。また、試験の内容に関しても不明。一体何が求められるのか、どういった選考基準で合格がもらえるのかさえわからない。でも一つ、パール姫からの情報でわかったことは必ずダンジョンに潜行する試験科目があるということ。まあ冒険家志望なんだし、あって当然ともいえるけど……でも、それでも情報が極端に少なすぎる。これじゃあ僕らも準備どころか対策の立てようがないね――だから明日は街でできる限り冒険家試験の情報収集をしながら、アイテム資格の申し込み、それと買い出しをしようかと思ってるけど、それでどうかな」

「情報収集……それ、なんか冒険家っぽいね!」

「そ、そうかな……」


 何となく調子を狂わせられる少女の活気ある声に、ジッパは困惑を見せる。それもそのはず、今回自分たちがしないといけないことが、さらにもう一つあるのだ。


「あとは――パール姫の依頼だね、これが一番厄介な気もするんだけど……」

「でも……もう後には引けないよね!」


 少女は、にこっとジッパに雲一つ無い快晴の空のように開放的な笑みを作る。


「……ふう、本当に何でこうなっちゃったんだろう」

「ふふふ、そう深刻な顔しないでさ、楽しく頑張ろうよ、ジッパ!」


 少女は座っていたベッドから立ち上がると、ジッパの真横にフリルのスカートをひらつかせながら、側面を密着させ座った。


「おわっ、び、ビックリするよ……急に隣に来られると」

「……えぇ、どうして?」


 残念そうな表情で少女はしゅんと肩を落とした。どうやらこの子は思っていたよりずっと子供なようで、男女間で無意識にでも持つべきである壁というものがとても低いらしい。


 先ほども思ったが、男に対する応対がまるで同性にするように距離がとにかく近いのだ。


 自分が見目麗しい乙女であるということを自覚していないのだろうか――ジッパはそんな事を考えながら、必然的な反応をしてしまったとはいえ、結果的に少女がしてしまった表情に何故か罪悪感を持ってしまう。


「ごめん、謝るよ。あんまり女の子に慣れていなくてさ、本当に驚いただけだなんだ」

「ほんとう……? 嫌いになったとかじゃなくて?」

「嫌いもなにも……まだ君のことを何も知らないよ、コーラル」

「あっ、名前呼んでくれたね! 嬉しいな、むふふ~」


 満足そうに下唇を噛むコーラル。まるで仔犬のような表情だった。それを見ていると、思わずこちらも表情が緩くなる。


「……ふふ、何かと大げさだね、君は」

「そうなの? それはいいけど、わたしのことはこれから知ってもらえればいいんもんね、だからお近づきの印にこれあげる!」


 コーラルは懐から包みを取り出すと、リボンを解き、包み口をジッパに向ける。


「なに、これ」


 粉末状の物を固めたような、焼き菓子が幾つか入っている。


「クッキーっていうの、家にあったもので作ったんだよ、食べて食べて」

「君が作ったの? へえ……凄いなあ、じゃあ、一つ頂こうかな」

 ジッパは差し出された包みから一つ摘まむと、口に放り込む。

「……んっ」


 途端に舌が違和感を覚える。今まで口にしたことが無いような、途轍もなく変わった味の食べ物だった。何と表現したらいいのだろう――魔界に落ちている材料で作りました、と言われたら信じてしまいそうな味だった。青年は微妙に顔を引きつらせながら、


「……うん、美味しいよ、ありがとうコーラル」

「えぇ!? ホント? あれれー、悪戯のつもりだったのになー」


 それを聞いて唖然とするジッパ。しばしぼうっとコーラルを見つめていたが――思わず吹き出す。


「ははっ、君は……変わってるね」

「あ、また笑ったね! かわいい顔をしてるよね、ジッパは。あとね、目が綺麗なの!」


 コーラルはジッパの顔に人差し指を突き付けながら、顔のパーツを一つひとつ褒め称えてくる。そこまで意識したことも無かったが、顔を付き合わせながらそんなことを言われたことも無かったため、少し照れてしまう。頬を指で掻きながら青年は笑みを浮かべる。

「ん、そ、そう? あんまりそういう風に言われたことなくて……なんて言

えばいいんだろう……」

(目も顔もコーラルの方が綺麗でかわいらしいと思うけど……)


 口には出さなかったが、ジッパは確認を兼ねて今一度コーラルに双眸を向ける。


「ん? なあに」


 混じり気のない綺麗な金色の髪は丁寧に手入れが行き届いている。側頭部に向けて編み込まれ、何故か花びらのように開いて、活発な印象を感じる。そしてとても似合っている。


 わんぱくそうな内面とは裏腹に、白い肌は汚れ一つ見当たらない。少し幼さを感じさせる煌々と輝く青色の瞳は好奇心旺盛な彼女のものらしく、それでいて少し凛とした高貴さも兼ね揃えていた。――その青の瞳の根底には、揺るがない意志の力強さを感じるのだ。


「ううん、なんでもないよ」

「ふーん……あっ、見てみてジッパ! クリムちゃんがわたしのクッキー食べてるよ」

「ム、なんだ……我を見世物のように扱いおって」


 不満そうにこちらを一瞥すると、クリムは続きだとばかりにベッドに置かれた魔界の産物に顔ごと入り込み、もしゃもしゃと小さな口を動かしている。


「なあに、クリムちゃん気に入ったの?」

「ム……悪くない。絶妙でいてかなり刺激的な味だ。…………もっとたべたい」


 子供のように口に食べかすを付けたクリムは少し頬を染めながら言った。

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