第12話

「“ダガナイ”風情がいい気になるなよ……ここは昼からの酒飲みも仕事探しも大歓迎だが、女に唾付けるような場所では決してねえ……出てけ、三流が」

「……は、はい……すいません……でした」


 先ほどまで威勢の良かった大柄の男はしゅんと肩を落とし、静かに席に着いた。周りの観客は席から立ち上がると、紳士的な口ひげの酒場店主へ拍手喝采を送った。


「君も――少し言い過ぎだな」


 マスターはジッパを一瞥すると、少しの間じっと見つめ、何か言いたそうな表情を見せたが――やがてカウンター席へと戻っていった。


「いやー……面白かった、ナイスファイト、あんた」


 頬を擦るジッパに、どこからともなく現れた緊迫感に欠けた男が手を叩きながら告げた。


「……君は誰?」

「いや、あんたらと一緒さ、オレも冒険家志望だ。しかし平気か? さっきの男のパンチは痛かったか? 是非とも聞かせてくれよ」

(口が達者なのはお主とよく似ているな)

(全然似てないってば)


 クリムが服の中からジッパにそうぼやく。ジッパは相棒がそう評した細身の若い男にもう一度双眸を向ける。


 特徴的な唾広帽子は結びひもが小さな頭の左右から下に向かって垂れていて、橙黄色のショートヘアは綺麗に整っている。へらへらした表情には細めの優しそうな茶色の瞳。


 くすんだ黄緑色の外套を上から被り、下には動きやすそうな軽鎧と、数々の短剣やアイテムを装備している。


「盗み聞きして悪かったよ。あんまり怒らないでくれ、叱られるのは嫌いなんだ。あんたもだろうけどオレもどうやらこちらの美しい娘さんに一瞬で心を打ち抜かれてしまったらしくてね。クロスボウでの渾身の一発より効いたかも知れない」


 つかつかと厚底のブーツを床で鳴らしながら、呆然としている金髪少女にこそばゆいくらいの眩しい笑みを向けると白い歯をむき出しにした。


「お嬢さん、先ほどのつまらない冒険家の端くれの戯れ言など忘れて、このオレと共に冒険家を目指す旅路に出立するというのはどうでしょう? 全面的に支援いたしますよ」


 クサい芝居をする役者のように流暢な言葉を少女に流し込んでいく。ジッパとは違った方向に饒舌な男である。


 穢れ無き初々しい村娘ならその男の眩しい笑みに簡単に心を奪われてしまうだろう。そのくらい手慣れた話術と作り込まれた表情からは達人めいたものを感じる。


 紅顔な美青年は自らの片膝を地面について少女の片手を取った。


 しかし――少女が目を見開いたのは、完璧な媚笑を浮かべている美青年では無く、後ろで頬を腫らした帽子の青年だった。


「あ! あなたはあの時の!」


 何かを思い出したような少女はそのまま手の甲にキスされそうな勢いの男の手から逃れ、ジッパの元へ嬉しそうに駆けていく。


 ジッパの目の前で途端に足を止めた少女は、腰に手をやりながら胸元の肌を少しちらつかせる。少し顔を赤くする帽子の青年をじいっと見つめ――何か納得したらしい。満足そうな表情でふふんと勝ち誇った表情を見せる。


「やっぱり! あなたはあそこに閉じ籠もってた人!」

「いや違うけど! 閉じ込められていたんだよ」


 誰が好き好んで独房に入るというのか。ジッパはあのとき全身に布を被っていた青色の瞳を持った少女が、目の前の金髪の少女だということがわかると、記憶の中の二人の人物を結びつけた。


「あれ、そうだっけ、えへへ、あまりよく覚えてないかも、ごめんね」


 ぺろりと下を出して少女は青い瞳を片方閉じた。その仕草には世の中の男を苦しめる力があるとジッパは悟った。


「ごめんね、わたしのために殴られてくれたん……だよね? ありがとう!」

「だいじょうぶ、そんなに痛くはないよ」


 疑問系だったのが多少気になったが、少女はにっと感謝の言葉を送ってくれた。


「なんだ、あんた、彼女と知り合いだったのか……これではオレが一歩不利だ。しかし、これでこそ燃えるって奴だね、これは。ハッハッハ」

「あなたはさっきから何を言っているの?」


 ぽかんとした顔で、手を持たれても表情一つ変えなかった少女が不思議そうに言う。


「あらら、これは手厳しいね。しかし、だからこそ燃えるんだ。男は」


 二度ほど燃えた美青年はぐっと拳を握るとそのままジッパに優しげな細い双眸を向けた。


「――おい、カイネル。時間だ、行くぞ」


 酒場の入り口にいつの間にか佇んでいた――どこかの民族衣装のローブを頭から被った男が告げた。ジッパの位置からでは目元さえろくに見えないが、やけに貫禄のある風貌だ。


 カイネルと呼ばれた男は一瞬だけ鋭い視線を走らせたが、やがて柔和な薄目へ戻り、両手を挙げながら溜息をつくと、ジッパと少女を交互に見やり、去り際に一言。


「目指すものが同じなら、また出会うこともあるだろう、そのときはもう少しドラマチックなものを期待したいね、それでは、アディオス」


 何処の国の言葉だかわからない別れの挨拶を残して酒場を出て行った。


 カイネルが酒場から出て行くと、それを周囲の雑音が再会した。少女が視界に入ってからというもの――時間がずっと止まっている気さえしたのだ。


 ジッパはずれた帽子を被り直すと、目の前で自分の顔をじっと見つめていた少女と目を合わせる。宝石のような青く清らかな輝く瞳に引きづり込まれそうになる。


「あの、なにか?」


 特に言うことも思い付かず、反射的に浮かんだ言葉を告げた。もう少し気を遣った言葉を選べないものかとも思ったが、少女に放つ言葉はこれくらいしか思い付かなかった。


「その帽子……とってもかわいいね」

「ああ、これ? そう? どうもありがとう」


 自分でも気に入っていたからか、素直に嬉しい気持ちなる。対面のにこっと笑う少女の笑みに引っ張られているのもあるかも知れない。


「ソレ……わたしも欲しいなあ」

「え……」


 指を咥えるように、大きな目を瞬かせている。物欲が顔から滲み出ているように思う。


(言っておくが……お主もあの小娘と同じような顔をしているときはあるからな)

 クリムが憎たらしい小言をぼやく。


「悪いけど、そんな顔をしてもダメだよ、これはあげられない」

「……! わ、わかってるよぅ……」


 凄く残念そうな顔で大げさなくらいに肩を下げて落ち込んでいる様を見ていると、何とかしてあげたくなってしまう衝動に駆られる。計算なのか、天然なのか、わからずとも男はこういう仕草には弱いものだと、青年は改めてそう思う。


(……ちょっとかわいいな)


 年齢は定かでは無いが、何となく守ってあげたくなるようなあどけない笑顔と、小さな身体からはいくつか年下に見えた。


「あっ、今ちょっとにこってなったね! もっと笑ってみてよ、ふふ、見せて見せて」

「なっ……ちがっ、てか近っ………それに、そんな意味も無く笑えないよ」


 ジッパはぐいぐいと距離を詰めてくる少女にたじたじになりながら瞬きの回数を増やす。先ほどもこんな光景を何処かで見た気がするのは気のせいだろうか。


「えー、そうなの? わたしは楽しいときはいつでも笑うけどなー、あっはっはって」

「じゃあ今は楽しいってこと?」とジッパはにこにこしている少女に尋ねる。

「うんっ、楽しいよ! だってあなたとまた再開できたから!」


 まるで心の中の何かを強引にえぐり取られたような感覚をジッパは感じた。少女の言葉には特に深い意味は含まれていないかも知れない。――しかし、魔法にも似たその純枠な言葉に青年は魅了されてしまったのである。


 青年と少女がカウンター前で和気藹藹と再会に浸っていると――そこに頭まで外套を被った女が介入してきた。


「あの……貴方がたは冒険家の方々なのですか?」

 申し訳なさそうな声音で、か細い手をこちらへ伸ばしてくる。


「ええと……いずれそうなる予定の者です!」

 少し戸惑いの表情が見えたが――結局は腰に手を当て、えっへんと言わんばかりの金髪少女は満足そうに鼻息を吹いて、元気よく応えた。


「あの、すいません……僕たちまだ正式な冒険家ではないんですが……」

 ジッパが金髪少女の不足しがちの情報の補足を行う。


「そうなのですか……では、依頼をお願いすることはできないのでしょうか」


 厳密にいうと、“地図無し”は酒場で依頼を受けてはいけない、という規定は無いらしい。しかし、結局は《冒険家の証》が無いと【王国のダンジョン】難易度レベル1にも申請することはできないため、潜行可能なダンジョンは“地図無し”でも問題ないと許可してくれる【個人のダンジョン】か、【不思議のダンジョン】だけに限られる。


 そもそも、正式な潜行許可さえ持たない自称冒険家に依頼するというのは一体どういうことなのだろうか。青年は顔を隠している女の真相を探るように次の言葉を考えていると――ふと微妙ではあるが、女の表情が一瞬変わったのを見逃さなかった。


 何かを内に秘めているのは明らかだ。ジッパは《冒険家の証》さえ持たないが、十二歳の頃から師匠と共に潜っていたため、ダンジョン潜行歴はプロの冒険家にも匹敵するだろう。少しばかり冒険家としての、観察眼というものには自信があった。


「まあ、とりあえず立ち話もなんなので座りましょうか、ではこちらへ」


 ジッパは隅の空いている四人がけのウッドテーブルを勧めると、三人は徐ろに座り始めた。周辺に人は居ない。


 気がつけば宴も興醒めしたのか、酒飲み冒険家たちの笑い声や打ち付け合う木樽の音は店内に響くことは無くなっていた。案外時間が経っていたのかも知れない。落ち着いたとても話しやすい雰囲気で、いい場作りができているはずだ。


「わあ、なんか作戦会議みたいでドキドキするっ」


 この席で唯一脳天気な思考の少女は頬を若干紅潮させながら大きな瞳を見開いて、顔を隠した女の言葉を待つ。


「どうぞ、話してください」


 ジッパが手を女の方へ向けると――女は外套の頭巾部分をめくり、現れた金色の髪を靡かせ、麗しく気品漂う白い肌が見える。耳に高級そうな装飾品を揺らしながら言う。


「申し遅れました。わたくしは……サンドライト王国第サンドライト王国、第一七代王女――パール・ルステン・サンドライトと申します」

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