第2話 身代わりの人質花嫁(1)

 下女だった母がひょんなことから国王のお手つきとなり、その果てに生まれた不義の子がエヴェリだった。


 母との記憶は朧げだが、国王の目に止まったことを彼女が望んでいなかったのは確かだ。

 思い出したくもない出来事の結果によって生まれたエヴェリを見捨ててもおかしくないのに、母はエヴェリにたくさんの愛情を注いでくれて慈しんでくれた。



 そんな母もエヴェリが幼い頃に流行病によってあっけなく死んでしまった。



 そこからだ。嫉妬深い王妃ロゼリアの行動がより苛烈になったのは。

 端的に言うとエヴェリは彼女を筆頭にして他の王族から虐げられていた。 


 重ねて王宮の中では公然の事実であるが公にはされていない庶子。当然、宮で働く者たちも動物以下の扱いをする。


 暴力や罵詈雑言に耐えながら過ごしていると、ある日国王に呼び出された。一体何をされるのだろうかと怯えながら会いに行くと、そこにはロゼリアと異母妹のシェイラそして王太子であるイアンも集められていた。


「どうしてここに女狐の娘がいるのよ」


 憎々しげに睨みつけてくるロゼリアから目を逸らし、俯いていると、国王ローレンス──つまりエヴェリの父親が口を開いた。


「──シェイラ、お前はヴォルガ国に嫁いでもらう」


 突然の発言に、近くにいたシェイラは金切り声をあげる。


「冗談でしょう!?」


 キーンと耳鳴りがするような甲高い声が響き渡り、エヴェリは身を竦ませた。


 シェイラは握っていた扇を床に叩きつける。


「お、お父様……ご冗談ですよね? どうしてわたくしがあんな下賎な国に嫁がないといけないの? 嘘だとおっしゃってください!」

「そうですよ。あなた、いきなり何を言い出すのですか!? こんなにも可愛いシェイラをあんな野蛮な国に嫁がせるなんてありえません! 不幸になるだけですもの!」

「お母様っ」


 わなわなと震えるシェイラをロゼリアは抱きしめ、国王を睨みつけた。


 そんな中、突如出てきたヴォルガ国についてエヴェリは自身の知っていることを思い出していた。


(…………最近力をつけてきて、近々ハーディングにも攻め込んでくるのではないかと噂が立っていた国でしょうか?)


 大陸の歴史の中でも近年建国された国であり、シェイラたちは野蛮な国と称して蔑んでいるが、怒涛の勢いで国力を高め、今では大陸の中でも大国の位置づけであるハーディング国と同程度、もしくはそれ以上に匹敵すると言われている。

 軍事力だけで見るならば、ハーディングは既に敵わないとまで文官たちの立ち話では話されていた。


 追い抜かれただけならば、まだハーディングに攻め込んでくるなどという噂は流れないだろう。


(問題なのは……過去にハーディング側から戦争を仕掛けたのにも関わらず、難癖をつけてヴォルガ国から賠償金等を巻き上げ、挙句の果てには到底受け入れられないような理不尽な要求や領土割譲案を通させたことでしょうか)


 それ故に、かの国は上から下までハーディングを恨んでいると言われていた。それもそうだろう。いきなり攻め込まれた挙句、豊かな穀倉地帯を奪われ、さまざまな要求を無理やり飲まされたのだから。


 復讐を計画するには十分な理由。さらに国力が逆転したことで、いつか復讐を兼ねて領土奪還のために攻め込んでくるのではないか? 虎視眈々とその機会を窺っているのではないか? という噂が、ローレンスの心を蝕んだらしい。


 下女として王宮で働き、政治に疎いエヴェリでも考えついた事柄だ。国王の補佐として一部の執務を担っている異母兄のイアンも、直ぐにたどり着いたのだろう。険しい顔で口を開いた。


「父上、さすがに今回は難しいかと。昔ならともかく、忌々しいことに昨今のヴォルガは生意気です。受け入れないでしょう」

「いや、可能性はある。ヴォルガは建国からまだ浅い。自身を正当化するためにも、由緒正しき高潔な血を取り入れたいはずだ」


(そうであるなら、ハーディングの血は打って付けということでしょうか)


 編纂された歴史書によるとこの国は数百年続いているらしい。力が衰えたとはいえ、大陸の中では大国だ。大国の血を取り込んで、他国に対しての地位向上に務めるには適任だが……。


(かつて屈辱を味わう要因となった国の姫を受け入れるのでしょうか……)


 エヴェリは無謀だと感じた。けれども、ローレンスは自信があるらしい。表情ひとつ変えない。


「姫を嫁がせることは決定事項だ。ヴォルガ国には使者と共に書簡を送ってある」

「すんなりと了承するとは思いませんが」


 食い下がるイアンに対してローレンスは微かに笑う。


「なら、突き返される前に押し付けてしまえばいい」

「──そうであっても、わたくしは嫌です! あんな国に行きたくありませんっ。お父様はわたくしのことがお嫌いなのですか? だから厄介払いしたくて……嫁がせようとするのです?」


 泣き腫らし、全身で拒絶を露わにするシェイラをそばに来るよう促したローレンスは、そのまま娘の頭を撫でた。


「最後まで話を聞きなさい。酷い扱いを受けるのが目に見えているのに、可愛いお前を嫁がせるわけがなかろう」


 そこで初めてローレンスはエヴェリを視界に入れた。先程甘く囁くように娘を慰めた声とは全く異なる、残飯を見るような目と冷淡な声で告げるのだ。


「お前がシェイラとして嫁ぐんだ」


 今度はエヴェリが硬直する番だった。

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