第3話 身代わりの人質花嫁(2)
途端、シェイラは涙を引っ込めた。ローレンスの腕から手を離し、軽い足取りでエヴェリに近づいていく。
「そうよ! お前がわたくしの身代わりになればいいの。お父様のお考え、とっても素敵!」
「シェイラ、私は」
「下賎な身が気安くわたくしの名前を呼ばないで!」
パシンと乾いた音が響き渡り、頬がほのかに熱を持ち始める。長い爪によって裂かれたのか、頬を温かい液体が伝い落ちていく。ぽたぽたと垂れたそれは、叩いた勢いでシェイラのドレスにも跳ねてしまったようだ。
「穢らわしいわ。ああ、お気に入りのドレスなのにもう着れないじゃないっ」
彼女はすぐさまハンカチで手を拭い、血で汚れたそれをエヴェリの顔面に叩きつけてくる。
「ごめ……なさ」
「──よくもシェイラのドレスを汚したわね」
「っ!」
とにかく謝らなければと謝罪を口にしようとした途端、未だ白く点滅する視界の端から勢いよくロゼリアの扇が姿を現す。防ぐ間もなくもう片方の頬も容赦なく叩かれ、エヴェリはよろめいた。
ロゼリアは睨めつけるようにエヴェリを一瞥したあと、頬を叩くのに使用した扇を汚らわしいと言わんばかりに床にたたき落として踏みつけた。バキッと柄が折れ、粉々になる。
かろうじて座り込まずにすんだエヴェリは、痛む頬を押さえながら深く頭を垂れる。
「姫様のお召し物を汚してしまい大変申し訳ございません。罰は後ほど受けます。どうか、お許しを」
「ですってお母様」
「ふん、覚悟しておきなさい」
(ああ、今回は何回かしら……)
受ける罰は鞭打ちと決まっている。もう慣れた罰だけれど、未だ恐怖は消えてくれず、この後待ち受ける仕打ちに絶望感がエヴェリを襲う。
(今は忘れなきゃ。それよりも陛下が仰った言葉の真意を確かめなければいけないもの)
「陛下、この卑しき身が一言申し上げる無礼をお許しくださいませ」
「許す」
そこでエヴェリは顔を上げる。
「『シェイラとして』──この一点、ご説明いただけますか」
「言葉通りだ。頭からつま先までシェイラに扮して嫁げ」
「ですが私は姫様と何一つ似ておりません。髪色も、瞳も……顔貌も」
(遠い、お会いしたことが一度もないような国に嫁ぐのであれば誤魔化しが効くでしょうけれど、相手はヴォルガ。ハーディング国で催された舞踏会にも何度か参加されているらしいし、シェイラは対面したことがあるはずです)
自身の髪に目を落とす。
シェイラは艶のある蜂蜜色の少しくせっ毛のある金髪に薄紫色の瞳を持ち合わせているのに対して、エヴェリのは栄養不足の結果ぼろぼろで傷んだ銀髪。瞳の色だって氷河のような深い蒼の色合いだ。
(何もかもが異なります……)
顔合わせをしたことがある人物に名前だけ借りて嫁いだならば、その場で偽物だと見破られる。
(そんなことは陛下なら知っているはず。なのに、狼狽える様子も一切ないということは誤魔化せる策があるからで……)
考えられる中で策はひとつだけ。だが、エヴェリにとっては最悪な展開だった。
(だって、もし、そうなら……)
きゅっと胸元で手を握る。想像しただけで息が詰まる。
「お前は出来るだろう? しらばっくれるな。白々しい」
はっと鼻で笑うローレンスは玉座の肘掛を小突く。
「…………仰っている…………意味がよく、理解できません」
「──固有魔法」
びくりと肩が跳ねる。じわりと嫌な汗が背中を伝っていった。
「お前の固有魔法はなんだ。発現しているのだろう?」
三人の視線が突き刺さり、エヴェリは後ずさった。
この世界には魔法が存在する。全員ではないものの、貴族の大半は体内で作られる魔力を使用して魔法を行使できる。魔力は尊き血が濃ければ濃いほど多いと言われ、基本的にどの国でも王族が一番魔力を保有していて強い。
そして魔法が使える人の中でも、一部にだけ固有魔法が発現する。発現する時期には個人差があるが、成人までにはほぼ発現する。加えて固有魔法はそれまでのその人の体験や経験、そして何を望むのかで大きく変わってくる。
母は平民で魔力なしだったが、半分王家の血を継いでいるエヴェリは魔力を保有し、固有魔法を発現していた。しかし、どのような魔法なのかただ一人を除いて教えたことはない。ひた隠しにしていたのに。
(私の固有魔法は……──)
絶望で視界が真っ黒になる。声が出ない。
「お父様、意地が悪いですよ。ほら可哀想なことに固まってしまっているわ」
シェイラは水を得た魚のように嬉々として──嘲りの表情でエヴェリを絶望の縁に追いやる。
「わたくしが代わりにお答えいたしますわ。お得意の──変身魔法で化ければいいのよ。ねえ、
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