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*
「な? だからコイツはオレのもんだ」
「変態っ!」
ついには、パイプ椅子がとんできた。
で、パイプ椅子対策で指導教員がひとり増えたのに、
「だから、雪を学校に」連れてきたいんだけど、
「子育て舐めんな」
こんどは消しゴムがとんでくる。
「千葉ちゃん!」
「こりゃぁすごい! ユキちゃんの将来はピカソだべ!」
「あぁぁあ!」
ヘルプに入った担任 千葉ちゃんは雪の絵を褒めそやすのに忙しい。なんのため来たんだっつの!
「だってこいつ、親といたら死んじまうだろ」
そこでやっと、千葉ちゃんが顔を上げた。雪を抱き上げ梅ちゃんと目配せする。
梅ちゃんも千葉ちゃんも知っているのだ。雪降る夜に薄汚いシャツ一枚で放置されるガキの末路を。
ここは神奈川県立向ヶ丘工業高校…県下…いや日本のドン底。梅ちゃんたちは一年間でじつに生徒の半数を虐待、行方不明、事故、貧困、児相で失う。
千葉ちゃんの目が険しくなる。一瞬の気の緩みも許さない機械科教員のそれだ。工場では一瞬の油断で指が、悪けりゃ生命がとぶ。いまオレが抱えてんのは真鍮の塊じゃない、大切なオレのベイベだ。それこそ一寸の隙も見逃せない。
「一本たりもタバコ吸えねぇぞ。ユキちゃん喘息だろ。孫とおなじ咳してる」
そして見事に隙をついてくる。
たしかに咳をしてたから、きのうタバコはやめといた。けど、
「問題ない」
ガキなら病気のひとつやふたつはあるもんだろ。
「できんのか」
「できる」
「かんたんにゆうな」
「かんたんだ」
オレは無意識に、胸のシャツを掴んでいた。
左肩と胸のあいだ、心臓の少し上。
にぃちゃんはチビのためにできることなら、なんだってできる。
オレはそれを知っている。
親父がそうだったからだ。親父はオレのためにできることならなんだってやってきた。
オレが十五を終える日まで、は。
「できる、雪はオレのだ」
梅ちゃんはしばらく机の一点を見つめていたけど、不意にスマートフォンをとりだした。
「おまえ、謹慎に切り替える」
「謹慎、」
「とりあえずアパートから離れろ」
母親が戻ってくるかもしれないってわけか。
「下田…静岡に馴染みのゲストハウスがある。住み込みでバイトできる。そこで波乗りだ。反省してこい」
「ナミノリ?」
「麻薬だ。おまえみたいなバカでもタバコやめられる」
「クスリ、」
ナミノリ、そんなクスリはきいたことがない。
「謹慎中に、」
千葉ちゃんの目が和らぐ。困ったガキだ、オレの生徒たちはまったく、て、顔だ。
「親御さんもユキちゃんのこと、忘れるだろ」
困った、ほんとうに困った生徒だ。
これはたしかに『未成年者略取』だ。梅ちゃんたちは児相に連絡するのが筋だ。けど、しない。児相につないでいったいいくつの生命を失ったのか。
「いいかよ、天」
梅ちゃんが女子小学生みたいな顔でオレを睨み上げてくるけど、残念ながらやっぱりなんの迫力もない。
それでも、
「あとには引かせねぇ」
「引かねぇ」
「前にすすめなくなったらそのときには、」
それでも野郎たちがこの小さな先生のはなしをきくのは、知っているからだ。
救えなかった生命は半数。
残り半数を掴みだすためにできることならなんだって、それこそ法に触れることだって、梅ちゃんをはじめ
「必ずオレたちを頼れ」
口を引き結ぶ。
大きくうなずく。
「よし」
さいごにオレを送りだしたのは、梅ちゃんの、碌でもない人生を這いつくばる生徒たちをまえに放ついつもの口癖だった。
「Life is,」
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