第2話



 遠くに引っ越したとばかり思ってた。



 もう2度と会う事はないと思ってた。



 なのに、鳥居3姉妹の引越し先は案外近くだったらしい。

 同じ中学に通うほどには。



 中学生になったかおりちゃんは、更に大人びて美しくなっていた。



 腰まである黒髪を、左右2つの三つ編みにした野暮ったい髪型であるにも関わらず、やっぱりどこか目立って見えた。



 1学年10クラス以上あるマンモス校だった事もあり、私はかおりちゃんと同じクラスにはならなかったけど、相変わらずかおりちゃんは優秀らしかった。



 毎回学級委員を務め、何かの発表会がある度に全校生徒の前で作文を読む姿が見られた。



「鳥居のかおりちゃん覚えてる?中学同じになったよ」



 久々に出したかおりちゃんの話題に、母は「あらそう」と言っただけだった。



 私とかおりちゃんは、改めて顔を合わせる事も口をきく事もなかった。



 なのに、何の因果か。

 11クラスもあったというのに、私は2年生の時にかおりちゃんと同じクラスになった。



 素行の悪い子と、とっても優秀な子。

 嫌味のようにはっきりと区別されてるようなクラスだった。



 もちろんかおりちゃんは優秀なグループで、私は素行こそそこまで悪くはないものの、だからといって優秀なグループにも入れない明らかに中途半端な立ち位置だった。



 かおりちゃんはもちろん学級委員に選ばれ、私は何の委員にもならなかった。



 私とかおりちゃんは、改まって口をきくのも憚られるほど違う世界で生きていた。



 だから、何故そんな話になったのかわからない。



 なんでかおりちゃんの話題になったのか覚えてない。



 もしかして私が「あの鳥居かおりって子と、小学校が同じだったんだよ」とでも口にしたのかもしれない。

 流れをイマイチ覚えてない。



 だけど偶然前の席になった子と、ある日何故かかおりちゃんの話題になった。



 どうやらその子は、鳥居3姉妹がうちの近所から引っ越した後、同じ小学校に通ってた子らしい。



「あそこの姉妹って、ちょっと変わってんだよ。不思議なんだよ」



 その子はちょっと声を潜めると、私の目を見つめながらそう口にした。

 どうやらかおりちゃんだけの話ではなく、3姉妹の話らしい。



「変わってるって、何が?」


「うん、1度ね?あの子の家に泊まりに行った事あるんだけどさ」



 しかも、かおりちゃんの家に泊まりに行った事もあるらしい。

 という事は、とっても親しくしてたんだろうか。



「なんかね。夜になるとお父さんが来るんだって。私が泊まりに行った時にもお父さんが来たの」


「……はい?」



 夜になるとお父さんが、来る?



「え、そりゃ……お父さんは仕事に行ってんだろうから、夜になったら帰って来るの当たり前じゃん」


「違うよ。お父さんが来るんだよ。私が泊まった時にもお父さんが来たんだってば」


「いや、だから――」


「でも私にはお父さんの姿見えなかったの。ほらそこにいるじゃん、って言われたんだけど、そこには誰もいないんだって」



「――え?」


「お姉さんも妹も、3人揃ってそう言うの。え、何で見えないの?なんて言いながらお父さんがいるらしいところを指さすの。ほら、今そっちに行った、今はここ歩いてる、なんて私に教えてくれながら3人でクスクス笑ってるの」


「…………」



 何……なんだろう、それは。



 一体どういう意味なんだろう。



 3姉妹だけにしか見えないお父さん……?



 しかも……クスクス笑いながら……?



「か……からかわれただけなんじゃない?そんなワケないじゃん」



 それにしてはちょっとタチの悪いジョークだけど。



「んーそうなのかなぁ。からかってるようには見えなかったんだけどなぁ」



 だってかおりちゃん家のお父さんは……



 お父さん……は……



「…………」



 あれ。



 何だろう。



 今、何か引っかかった。



 何かを……思い出し掛けた……ような……?



「あれがホントにからかわれただけなんだったら、怖がって損しちゃったー」



 友達はホッとしたように笑ったけど、何故か私は笑う事が出来なかった。



 心の中に、意味のわからないモヤモヤ感を抱えたまま――というより、妙なモヤモヤ感を抱えてしまったからこそ、私はますますかおりちゃんに近寄れなくなった。



 近寄れなくなったというより、近寄るのが怖くなった。



 それは得体の知れない恐怖だったように思う。



 背が高くて同級生よりも大人びてて、いつもきっちり三つ編みを編んでて。

 口数も多くなく、成績優秀でしかも美人だというのにでしゃばる事もなく、いつも誰かの後ろで控えめに……聖女のように微笑んでるかおりちゃんが、そんなタチの悪いジョークで友達をからかうなんて知らなかったからかもしれない。



 かおりちゃんととっても良く似たお姉さんと妹までが、そんな悪ノリするなんて初めて知ったからかもしれない。



 なのに。

 そんな時に限って。

 席替えでかおりちゃんが、私の前の席になったりする。



 かおりちゃん、苦手なのに。



 私とは世界が違うのに。



 出来れば近付きたくないのに――




「――久しぶりだね。私の事覚えてる?」




 意外にも、振り向いて笑顔で話し掛けて来たのはかおりちゃんの方だった。



「………う、ん」



 そして、妙に緊張するあまり短くそう答える事しか出来ない私とは対照的に。



「良かった。アキちゃんちっとも私に話し掛けてくれないから、もう私の事なんてすっかり忘れたのかと思ってた」



 やっぱり聖女のように、控えめで優雅な笑みを浮かべるかおりちゃん。



 そう……だった。



 かおりちゃんは私を「アキちゃん」と呼び、私はかおりちゃんを「かおりちゃん」と呼んでいた。



 一緒に遊んだ事はなかったけど、お互いにファーストネームで呼び合うくらいには、かつて近くにいたはずだった。



 遠く感じ始めたのは……そう。



 あの小学4年生の時。



 かおりちゃんが変質者に襲われた時からだ。



 不思議な事に、一度口をきいてしまうと、かおりちゃんに対する得体の知れない恐怖はアッサリと消え去った。

 むしろ、その日を境に私とかおりちゃんはどんどん距離を縮め、ケンカをしない程度の距離を置いて仲良くなった。



 やっぱり幼い頃のお互いを知っているという気安さもあったんだろうと思う。

 もちろん、懐かしさも。



 だけどいくら喋るようになったとはいえ、やっぱり私とかおりちゃんは世界が違う。



 休み時間になると、遊びや彼氏の話題をする私と、静かに文庫本を読むかおりちゃんは、お互いの家を行き来するほど仲良くはならなかった。



 小学生の頃のように、妙に敬遠する事がなくなったというだけで、私とかおりちゃんは特別親しくなる事もなく、だからといってお互いを無視するわけでもない微妙な距離を保っていた。



 でも、そんな時間も長くは続かなかった。



 それは、中2時代もそろそろ終わりを告げようとしていた、ある日。

 不意に思い出してしまった、あの日の会話。



“でも私にはお父さんの姿見えなかったの。ほらそこにいるじゃん、って言われたんだけど、そこには誰もいないんだって”



 何かが引っかかる、かおりちゃんのお父さんの話。



 別に、根掘り葉掘り聞くつもりだったワケじゃない。

 興味があったワケでもない。



 かおりちゃんのお父さんがどんな人だろうと私には全く関係なく、だからそれはただいつもの会話のつもりだった。



 だから、ねぇ昨日のあのドラマ見た?的なノリで、私は口に出した。



「ねぇ。かおりちゃんのお父さんって…………どうしてる?」



 ちょっと間が空いたのは、さすがに何て聞こうか一瞬迷ったからだ。



 いくら何でも「生きてたっけ?」という聞き方はどうかと思ったからだ。



 別に私は、異次元の世界の存在を信じてないワケじゃない。

 見える人と見えない人がいる、というのもわかってる。



 そして、かおりちゃんが「見える側の人」だったとしても、それならそれで話題が膨らむだろう、というだけの簡単な気持ちだった。



 むしろ、どこか不思議で世界の違うかおりちゃんなら、人には見えない何かが見えるのも当たり前なんじゃないかとすら思ってたような気がする。



「え……え?何でそんな事聞くの?」



 いきなりそんな話題を振った私に、振り向いたかおりちゃんは笑った。



 いつものように聖女のような微笑だった。



 そして――いや、だからこそ。



 その瞬間に、私は思い出した。



 その微笑が、いつか見た――それはかおりちゃんが転校して行く日だった――その時の表情と同じだったからだ。



「かおりちゃん元気でね」

「元気だしてね」



 そう声を掛ける、クラスメートたち。



 そのクラスメートたちに、かおりちゃんは今と同じ表情で微笑んでいた。



 火事で家をなくしたというのに。



 その火事で、お父さんをも亡くしていたというのに。



 子供心に、何でかおりちゃんは泣かないんだろうと思った。



 何でかおりちゃんは笑ってるんだろうと思った。



 そして私は、更に思い出した。



 そうだ、あの時もそうだった。



 かおりちゃんが変質者に襲われた翌日。



 事件の詳細を聞こうと、無邪気に集まる友達たちにもかおりちゃんは同じように微笑んでいた。



 そんな目にあったなら、きっと怖くて仕方なかっただろうに、やっぱりかおりちゃんは笑っていたのだ。



 笑いながら事の詳細を話していたのだ。



 殺された、と噂になっていた変質者。



 火事で亡くなってしまったお父さん。




 そして――笑うかおりちゃん。




 クスクス笑いながら「夜になるとお父さんが来る」と話す3姉妹。



 ゾッとした。



 まさか、と思いながらも寒気がした。



 あの火事の時に見た光景が脳裏に浮かび、それがかおりちゃんのお父さんの命を奪った黒煙だった事を思うと更にゾッとした。

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