鳥居家のかおりちゃん
ひなの。
第1話
私が小学4年生の頃、近所に変質者が出た事がある。
変質者は、小学校の校門付近で学校から出て来た女の子に近付き、まだ低学年とも言える幼い身体を触ってイヤらしい言葉を吐いたらしい。
朝、教室へ入って来るなりその事実を告げた担任は、だから特に女子は気をつけるように、と続けた。
決して1人で帰らないように、とも続けた。
被害にあった女の子の名前は、当然担任の口から出る事はなかったけど。
すぐに、その女の子が誰なのかを私は知る事になった。
鳥居かおり。
私の家の近所に住んでる女の子だ。
「触られたの、かおりちゃんらしいよ」
担任が教室から出て行くと同時に、私にそう教えてくれたのは、前の席に座ってた女の子だった。
それを聞いた時、私は幼いながらにも「あぁ、なるほどな」と思った。
だってかおりちゃんは、どこか大人びて見える女の子だった。
そして、かおりちゃんがそう見える理由は、ただ背が高いからだと思っていた。
「だってかおりちゃん、可愛いもんね」
でも。
そう続けた友達の言葉で、改めて隣のクラスのかおりちゃんの顔を思い浮かべ、あぁそっか、かおりちゃんって可愛いんだと妙な納得をした。
近所に住んでるからといって、幼馴染というわけではない。
私とかおりちゃんは、そこまで仲良しだったわけではない。
なんていうか、かおりちゃんは私とは世界が違う女の子だった。
そう感じさせる雰囲気を持った女の子だった。
成績が良く、同級生たちよりも頭1つ分ほど背が高い彼女は、動作も口調も同年代のそれではなく“年上のお姉さん”って感じだった。
たとえ一緒に遊んだとしても、決して私たちのように走り回ったりバカ笑いをしたりするようなタイプではなく、それどころか「そんな子供っぽい遊びじゃなくてお勉強しましょうよ」とすら言い出すんじゃないかという雰囲気の女の子だった。
いわゆる“大人受け”の良い子。
それが、鳥居のかおりちゃんだった。
そして大抵の場合、大人から可愛がられる子供は同年代からはちょっと煙たがられたりする。
それは私も同じだった。
放課後誰と遊ぼうかを考えた時、まず最初に除外されるのは私の中でかおりちゃんだった。
だから私とかおりちゃんは、一緒に遊んだ事はない。
誘った事もなければ、誘われた事もない。
かおりちゃんにとっても、私は遊びたくない近所の子でしかなかったんだろうと思う。
「なんかね、学校の校門の所にへんしつしゃ?が出たらしいよ。パンツの中に手を突っ込んで触って来たらしいんだけど、触られたの鳥居のかおりちゃんなんだって」
夕食時、母に向かってそう告げると、母は小さく頷いた。
どうやら既に学校から保護者へと、その連絡は回っていたらしい。
母は「あんたも気をつけなさい」といった感じの言葉の後、「あまりその話題を口にするな」といった感じの言葉も続けたと思う。
確かに、夕食時の話題としてはふさわしくなかったかもしれない。
だけど、その時の母の雰囲気が何故かいつもとは違う感じがして違和感が残った。
何故だかは、わからない。
何故そう思ったのかはわからないけど、何故か母は“その話題”ではなく“かおりちゃんの話をするな”と言ってるように感じたのだ。
そういえば、母はいつも私が成績の良い子と遊ぶといえば機嫌が良く、学校でもあまり素行が良いとは言えない子と遊ぶというとイヤな顔をした。
親なら当然だったかもしれないけど、何故か「かおりちゃんと遊べば良いのに」とは一度も言われた事がない。
かおりちゃんは3姉妹の真ん中で、お姉さんも妹も成績が良い、という話は母から聞いた事があるのに、だからといってかおりちゃんと友達になれ、とは言われた事がない。
ふと――もしかして母は、かおりちゃんの事が嫌いなんだろうか、と思った。
だけどすぐ思い直した。
だって、そんなはずがなかった。
おとなしくて成績も良く、毎年クラス委員に選ばれるかおりちゃんを、母が嫌うはずがなかった。
でも。
気まずい雰囲気のまま夕食を食べ終えた私は、その日から心の中で何となく……今までよりもかおりちゃんを敬遠するようになった。
かおりちゃんが変質者に襲われたという話題は、それからも当分の間学校で話題になった。
いつしか「襲われたのはかおりちゃんじゃなくてお姉さんの方だ」という話にもなってたけど、私がかおりちゃん本人に真意を追求する事はなかった。
そのうち、その変質者が殺されているのが発見され、事情聴取のためにかおりちゃんが警察に呼ばれた、なんて噂までが流れてたけど、そんな事件が本当にあったのかどうかさえ私にはわからなかった。
かおりちゃんに確認する気はなかったけど、それから間もなくして本当に私はその機会を得られなくなってしまった。
かおりちゃんの家が火事で燃え、鳥居3姉妹が引っ越す事になったからだ。
夕方の事だった。
友達と外で遊んでいた私は、空に向かって立ち上る黒煙を目の当たりにした。
最初は火事だとは思わなかった。
当時私の家の周囲は田んぼだらけで、あっちこっちで何かを燃やす光景が良く見られ、煙がもくもくと立ち昇る事なんて日常茶飯事だったのだ。
「あれ……火事じゃない?」
そう口に出したのは友達の方だった。
「え……違うよ。また田んぼで何か燃やしてんじゃない?」
そう口にしたのは私だった。
だけど次第に炎は大きくなり、遠目にも大勢の人が集まって来ているのがわかった。
見た事もないような黒煙が空を包み、もしかしてあれは本当に火事なのかもしれない、と思い始めた頃。
「しかもあそこって、鳥居のかおりちゃん家じゃない⁉」
友達が更にそう口にし、改めて燃えている場所を確認して愕然とした。
本当にかおりちゃん家だ。
かおりちゃん家が燃えている。
「どうしよう!ホントにかおりちゃん家だ!かおりちゃん家が燃えてるよ!」
動揺しつつも、私はその場から動く事が出来なかった。
眺めてる場合じゃないというのはわかってたのに、ただ眺めてる事しか出来なかった。
「行ってみようよ!」
友達が走り出したけど、私はその場から動けなかった。
行ったからといって子供の私たちにどうする事も出来ないのはわかってたし、何よりも……母の顔が浮かんだからだ。
かおりちゃんと友達になれとは言わない、母。
かおりちゃんの話題を口にして欲しくない雰囲気の、母。
だけど場合が場合なだけに、今回ばかりは仕方ない。
かおりちゃんの話題を出すしかない。
「ちょっと家に帰って来る!」
友達にそう告げた私は、やっとその場から動くと家に向かって走り出した。
玄関を開けると、むわっと夕食の匂いが広がった。
母はいつものように、台所に立って夕食を作ってるに違いない。
「お母さん!お母さん!火事だよ!かおりちゃん家が火事だよ!」
靴も脱がず、玄関先からそう叫ぶと「え!?」と驚いた声と同時に母が顔を出した。
「今燃えてる!かおりちゃん家が燃えてる!私ちょっと行って来る!」
今日の夕食時は、きっとこの火事の話題になるんだろうと思った。
そうなるのが当たり前だと思った。
だけど結局、その日もかおりちゃんの話題にはならなかった。
そんな現場を嬉しそうに見に行くもんじゃない、と母に止められたからだ。
嬉しそうに眺めに行くつもりなんてなかったし、嬉しいはずもなかった。
だけど結局私にとっては他人事で、もしもそんな私をかおりちゃんが見た場合、一体どんな気持ちになるだろう。
自分が逆の立場だったらどうだろう。
わざわざ自分の家が燃えてるところを見に来た友達に、一体何を思うだろう。
今となってはそう思えるけど、当時の私はますますかおりちゃんを心の中で敬遠するだけだった。
いつもいつも、話題にしちゃいけない話題ばかりで話題になるかおりちゃんを、疎ましいとすら思っていたかもしれない。
鳥居3姉妹は引っ越して行った。
どこへ行ったのかはわからなかった。
私はすっかりかおりちゃんの事を忘れ、季節が流れた。
そしてそれから数年後。
中学でかおりちゃんと再会する事になる。
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