立食戦記

ペアーズナックル(縫人)

勇者と魔王、最後の決戦、蕎麦一杯

【立食戦記第三巻、第四章、終わりと始まりのp205からp225までの部分を改稿の上抜粋。】


「ぐあああっ!」


 勇者と魔王の戦いは佳境に差し掛かっていた。しかも、形勢は、勇者側に有利であるかに思えた。


「賢者、戦士、あと一息だ! あと一息で魔王を倒せるぞ!」

「まったく、いい加減にくたばってくれませんかね、こちとらもう各種ポーションがそこをついて魔力や体力回復ができなくなって大変なんだから!」

「ふふふ、戦士、薬なんていらないわよ。戦いに必要なものは三つだけ! 闘志、武器、根性よ!!」

「ずっと思ってたんだが、あんた本当に賢者か? 戦士の俺よりも脳筋だぜあんた!」


 軽口を叩き合いながら三人は勇敢に戦った。そしてついに、勇者のエクスカリバーが魔王の胸を一直線に貫いた。


「ぐおおおっ!! お、おのれ・・・・・・」

「さあ降伏しろ魔王! これでお前も年貢の納めどきだ。幸福すれば命だけは助けてやる。さあ!」


 しかし魔王はにやり、と口角をあげて言い放った。


「誰が降伏するものか、降伏するのは・・・・・・貴様らの方だぁぁぁぁ!!」


 魔王が叫ぶと同時に、エクスカリバーによって切り裂かれた胸がぐにゃりと開き、その中の空間が空気の渦を作り出して勇者たちを吸い込もうとした。


「うわーっ!!」

「大丈夫か、勇者! ああーっ!!」

「だめ、戦士!! そんなに近づいたらみんな諸共・・・・・・きゃーっ!!」


 あまりに強力な吸い込みに三人は耐えきれず、ついに魔王の胸に開いた渦に吸い込まれてしまった。


「ようし、全員吸い込んだな、では私も・・・・・・」


 そして今度は魔王も、自ら発生冴えた渦の中に、内側へと丸め込むようにして吸い込まれていった。


 勇者たちはどこへ行ったのか。この渦は魔王の魔力で作られた異空間へと繋がっていた。しばらく意識が朦朧とした末に、急激に目の前に光が飛び込んで、勇者たちはついに覚醒した。


「ここは、どこだ・・・・・・」


 三人がいた空間は何かの店のようだった。ガラスでできた引き戸の入り口に、なぜか椅子が置いていないカウンター。そして厨房から漂ってくる、出汁のきいたつゆの匂い・・・・・・


「魔王の魔力の匂いが漂ってくるわ。ここは魔法で作られた魔法空間なのよ。しかしそれにしても何でこんな小汚い店を・・・・・・?」

「まったくだよなあ勇者。・・・・・・勇者?」

「・・・・・・俺、ここを知ってる。」

「え?」

「知っているって、どう言うこと? ここはどこを再現した空間だっていうの?」

「そうだ、知ってる・・・・・・ここは、立食蕎麦屋だ!」

「は?」

「え?」


 二人は呆気に取られた。立喰蕎麦といえば、あの立ち食い蕎麦か? 魔王ほどのものなら好きな魔法空間をいくらでも作れるだろうに、何故わざわざ立ち食い蕎麦なんて作ったのだろうか。


「で、でもよく立ち食い蕎麦だとわかったな?」

「当然さ、俺の実家は祖父の頃から三代続く蕎麦屋だからな。」

「え、それ初耳・・・・・・まあそれはそうと、魔王はなんでそこへ私たちを呼び込んだのかしら?」

「貴様らと最後の決戦をする為だよ!」


 声のした方へ三人が一斉に振り向くと、そこには先ほどの露出の多い服装とは打って変わって藍染の着物と下駄を履いた、和装の魔王が店先の暖簾をくぐって入ってきていた。


「何そのカッコ・・・・・・」

「やだ、少しかっこいいかも・・・・・・」

「魔王! 一体何のつもりだ!」

「はっきり言って、力の差では私は君たちに敗北した。よくぞ私を打ち負かしたと褒めておこう。だが! いくらお前たちが強くても、私の作ったこの魔法立ち食い蕎麦空間、即ち立ち食い空間を破ることはできないだろう。そこで、私は改めて君たちに最後の決戦を申し込む。この決戦で私に打ち勝つことができれば、君たちはここから出ることができる。勝つことができなければ、君たちはここで永遠に、そばを作り、そばを食べて一生を終えるのだ! さあどうする勇者、この私の挑戦を受けるかね?」

「なんか、負けてもあんまり悪くないような・・・・・・。」

「冗談じゃないわ、私はまだ食べたこともない美味いグルメを食い尽くすまで死ねないのよ。こんなところでずっと暮らすなんて嫌! 勇者、やりましょう! どんな戦いだろうと勝てばいいのよ勝てば!」


 勇者はしばらく考え込んだ末、覚悟を決めて口を開いた。


「いいだろう。お前の挑戦を受ける。だがその前に、一つの質問に答えてくれ。」

「なんだ、いってみろ。」

「・・・・・・あんたの服装を見て、かつて俺の爺さんと、俺の親父から聞いたある人物を思い出したんだ。もしかしてあんたは・・・・・・さすらいの立食道のプロ、ケツネル・コロッケルか?」


 その名前を聞いた魔王はニヤリと口角を上げた。


「ほう・・・・・・流石は蕎麦屋の息子だな。そうだ。いかにも私は、ケツネル・コロッケルその人だ。」

「立ち食い道の・・・・・・プロ?」

「立ち食い道のプロですって!?」

「し、知ってるのか? 賢者?」

「ええ、伝説で聞いたことがあるわ。かけそば、牛丼、ハンバーガー、カレーライス、クレープ、果てにはたこ焼き、たい焼きなどのファストフード店を主なターゲットに、品物に何かといちゃもんをつけてはその饒舌な語りと蘊蓄で“ゴト”を仕掛け、店員・店主を打ちまかし、代金を払わずに去っていく流しのプロフェッショナルのことよ。」

「ただの食い逃げじゃねーか!!」

「流石は賢者、よく知っているな。さらに付け加えれば、私は全ての立ち食い道の開祖、から揚げのトリニティの流れを組む立ち食い道蕎麦流派の最後の生き残りだ。」

「唐揚げのトリニティってなんだよ・・・・・・」

「王国の文献に記録されている中で最古の立ち食い道のプロよ! 立喰蕎麦屋でただひたすらに唐揚げ蕎麦を頼み続け、店主が土下座して代金はいらないから出てってくれと言うまで居座り続ける手口は、のちにクラッシャー・タイプと呼ばれる立ち食い道のプロの一種のモデルの一つになったとされているわ。そして彼の手口をさらに芸術に、“ゴト”に昇華させた、アンコリーノのケンと言う男が現れて・・・・・・」

「ああ、もういい、もういいから、もうしゃべらないで。うん。」

「素晴らしい知識量だ。お嬢さんとはあとでたっぷり話がしたいが、今はとりあえず置いておいて、この私が、立ち食い道のプロ、ケツネル・コロッケルと知ってなお挑戦を受けるか、勇者!」


 しかし、勇者の心は変わらなかった。むしろ、彼の心には闘志が湧き上がっていた。


「もちろんだ、魔王、貴様には爺さんと親父の借りがあるからな、お前のせいで、お前の”ゴト”のせいで親父と爺さんは、二度と蕎麦を作れない体になってしまった……お前にはわかるか、蕎麦屋の血筋に生まれたものが、蕎麦を打てない苦しみが……!!今日ここで、お前にそのつけを払ってもらおう!!」

「ふははは!! いいぞ、そうこなくてはなあ!!」


 こうして、勇者と魔王の最後の一騎打ちが幕を開けたのだった。勝負の内容は、勇者が自分が最も良いと思うそばを立喰のプロたる魔王に食わせて、彼にそばの代金を払わせれば勝ち、そうでなければ負けというものだ。


「俺は戦士としての職に就いてからいろいろな勝負を見てきたが、これほどくだらない勝負は初めてだ……大体そばの代金はまずいうまいにかかわらず払うのが当然だろう?」

「いいえ、立ち食いのプロにとってお代をはらう、という行為はすなわち敗北を意味するのよ。彼らは”ゴト”を仕掛けることに命を懸けているから、それこそ重箱の隅をつつくようにいちゃもんを探すの。そんな立ち食いのプロにとって代金を払うということは、彼らですら納得して金を払うくらいまったく非の打ち所のない素晴らしいものだ、ということを認めることになるの。そしてその店には二度と近寄らなくなるわ。」

「食い逃げどもに太鼓判押されても全然うれしくねえや……」

「あ、勇者が着替え終わったみたいよ。」


 奥の方から、和帽をかぶり、蕎麦打ち作務衣を着た勇者が調理場に立った。


「さすがは蕎麦屋の息子、まったく違和感のないいでたちだ。では、お前の考える最高のそばを作ってもらおうか……」

「言われなくてもやってやるさ。……で、二人は何食べる?」

「じゃあ私は天玉蕎麦で。」

「戦士は?」

「え、俺も!? あー、それじゃあ……コロッケ蕎麦、卵入りで。」

「よし……じゃあ、いくぞ!! とおりゃああああ!!」


 勇者が叫ぶと同時に三人分の生蕎麦が一瞬宙に浮かんだ。そこへすかさず空を切るように両手に持ったテボ(蕎麦、うどん、ラーメン屋などで湯がいた面を一気に湯切りする道具。振りざるとも。)に麺を収め、ぐつぐつと湧いたお湯に入れて湯がいた。このとき勇者は実家に代々伝わる蕎麦をちょうどよい加減で湯がくことのできる魔法の言葉を思い出した。だるまさんがころんだ、を三回繰り返してすぐに湯切りをするとちょうどよい加減になるとされていたが、そこへ勇者は独自のアレンジを加えてこのように唱えた。


「だるまさんが転んだ、だるまさんがずっこけた、だるまさんが渾身のギャグで滑った!!」


 ”滑った”、と言い切ると同時に勇者は素早くテボを湯から上げて、数回上下に振り十分に湯切りを行った後、あらかじめ置いてあったどんぶりに麺をのせた。あとはつゆをかけて、それぞれの注文通りにトッピングを流れるような手さばきで盛り付けた。そして客たちの目の前の卓に、それぞれの注文通りの品物を置いたのだった。


「これが天玉蕎麦、これがコロッケ蕎麦卵入りで、そして、魔王には……これを食べてもらおうか。」


 勇者はなぜか哀愁を漂わせながら肘をついてもたれかかっている魔王の目の前に、自分が最も良いと思っている形のそばを置いた。それを見た魔王は……


「何……だと……!?」


 なんと、動揺していた。いったいどのようなものを出されたのかと二人はそっと覗いてみたが、それは何の変哲もない、ただのかけそばだった。つゆに蕎麦が浮かんだ、ただのかけそばだった。そしてそれに追い打ちをかけるかの如く、勇者は魔王にこう言い放った。


「ネギ、抜いておいたぜ。」


 その言葉を聞いてから、魔王の様子は明らかにおかしくなった。額には脂汗がにじみ出て、目は焦点が定まらず、箸を持つ手も小刻みに震えている。


「なあおい、さっきから魔王なんであんなに焦ってるんだ?、俺には理由がまるで分らねえ、いったいあのかけそばの何がすごいんだ?」

「ちょっと待って、今心の中を覗いてみる。」


 賢者は読心魔法を魔王にかけ、その心を口に出して戦士に伝えた。曰く、

「『なんてことだ、奴は最初から、かけそばからねぎを抜いた……!! 本来蕎麦とつゆが主役であるかけそばにおいて、ねぎは蕎麦の風味やつゆの味を変えてしまう邪魔者……そしてそのような許されざるものを排除するのと、”ゴト”を仕掛ける前哨戦もかねて、私たち立ち食い道のプロは、かけそばができる直前に店主に”ネギ抜きで頼む”と言い放つのが常だった。だが!! やつは、それを封じた!! ”ゴト”の根幹たる立喰の文法におけるもっとも重要な儀式の一つを……どうやら勇者よ、私はお前を見くびっていたようだな……!!』」

「またなんか変な言葉が出てきたぞ……立喰の文法ってなんだよ!」

「よくわからないんだけど、人間の言語に普遍的に含まれている深層文法の一種じゃないかしら。これはとても危険なもので、組み合わせを工夫すれば、人間の脳機能における良心と呼ばれる部分の価値判断を”虐殺”の方向へと捻じ曲げることも可能だってきいたわ。……そうだ、思い出したわ!! 一番最初にその深層文法についての論文を書いた言語学者こそ、立喰のプロで初めて”ゴト”を仕掛けたとされる、”アンコリーノのケン”だったのよ!! ただの偶然にしてはできすぎているわね……それで話を戻せば、どうやら彼らの中で体系化されている”立喰の文法”では、かけそばを頼むとき、店主がねぎを入れるその瞬間に”ネギ抜き”を頼むという行為がかなり重要な位置を占めるらしいの。でも勇者は、それを先んじてつぶした。これがどういうことかわかる?戦士。」

「……まったくわからん。」

「勇者と魔王の戦いは、これでほとんど決着がついたも同然なのよ! マラソンでいえばスタート直後に足をかけて転ばされたうえに、おもりを脚にくっつけられてから走らせるようなものね……! さあ、ここから魔王はどう巻き返すのかしら、いやしくも立ち食い道のプロ、どんな薀蓄とイチャモンを見せてくれるのかしら……」

「……何度も言うようだけどさ、あんた本当に賢者か?」


 魔王は動揺をひたすら抑えながら、卓上の七味唐辛子を手に取り、ねぎぬきかけそばにまんべんなく振りかけると、懐からマイ割りばしを取り出して、一気にそばをすすり上げた。


 ずずず、ずずずず、ずずずずずず。ちゅるん。ごく。ごく。ごく。ごく。


「さすがは立ち食いのプロね、動揺しているとはいえ、カウンターに対する胴体の適切な距離感の維持、つゆとそばの黄金比を阻害しない程度の七味の量、割りばしをどんぶりに入れる入射角、そばを箸に絡めるときの回転速度、途切れることないそばのすすり方、そこから流れるように七味入りのつゆを飲み干すときのどんぶりの最大角度。そして、完食した後の”残心”……伝説とまで言われた立ち食い道のプロの食いっぷりを、まさか……まさか生きてこの目で拝めるなんて……」

「うーん、このコロッケ蕎麦、まったくおいしいなー。」


 戦士は突っ込むだけ無駄だと察したのか、ついに現実逃避し始めた。


「っはぁーっ!」


 こと、とどんぶりを卓に置いた魔王は、しばらく言葉が出てこなかった。しばしの沈黙のあと、魔王はごそごそと懐から袋を取り出して勇者の目の前に置いた。その袋の中には、貨幣がジャラジャラと入っている。すなわち、蕎麦のお代だ。事実上の、敗北宣言だった。


「勇者よ。私の負けだ。お前の考えた通り、この世で最高の蕎麦というのは、今も昔も、かけそば一択だ。つゆと、そばの黄金比には、何人も勝てやしないのだ。」

「かつて爺さんと親父が、立ち食い道のプロとして店に来た時に今俺が受けたのと同じ最高のそばをつくれ、という注文を受けたとき、戦争でひもじい思いをした爺さんはトッピングオードブルそばを、バブル時代を生き抜いた親父は最高の具材を使ったバブリー天玉そばを出し、お前に”ゴト”を、立喰の文法を仕掛ける隙を作られて負けた。そうだな?」

「ああそうだ。二人は”最高”という文字に思考を引っ張られて肝心なことを忘れていた。それは、普遍性だ。お前のそばには、まさしく普遍性の塊で、イチャモンのつけようがなかった。豪華すぎず、さりとて粗悪すぎず。まさに、普遍のそば、普遍のつゆゆえに、最高の一杯だった。……勇者よ。お前の作った蕎麦は、うまかった。うまかったぞぉぉぉぉ!!」


 戦いに負けた魔王の身体は膨らみ、光り輝き、そして、爆発した。それと同時に立ち食い空間は崩壊し、勇者たちは元の世界に、元の服装で戻されたのだった。


「ここは……元の魔王のダンジョン!! ということは、私たち、やったのね!! ようやく魔王を倒したのね!!」

「ああ、そうみたいだ。」

「……まったくなんだったんだ、今のは……」


 勇者たちの長い戦いが終わった。ついに勇者たちは、憎き魔王を倒したのだった。

 だが、あの立ち食い空間で魔王からもらった袋には、勇者が作ったねぎぬきかけそばのお代以上に金貨が入っていた。


「ねえ、これって変じゃない? かけそばは一杯銀貨三枚のはずなのに、金貨が四枚入ってるわ。銀貨二枚で金貨一枚だから、金貨は二つで充分のはずよ。」

「いいや、四つでいいんだ。俺の作ったかけそばと、爺さんのトッピングオードブルそば、親父のバブリー天玉そばを合わせればちょうど金貨四枚になる。へへ、魔王も最後の最後で粋なことをしやがるぜ。にくいねえ。」

「どこが粋だよ! 食ったものの代金を払うなんて当たり前のことを当たり前にしただけだろうが!!」


 ・・・


 魔王が倒れ、王国につかの間の平和がやってきた。だが勇者たちはいまだに冒険を続けている。魔王の配下の残党たちがまだ各地で悪事を起こしているからだ。だがそれも、だんだんと下火になりつつあった。そしていま、勇者一行は旅の途中で立ち寄った町の牛丼屋で昼飯を食べていたのだが……


「この調子で行けば、そろそろ俺たちもお役御免になる日は近いな。」

「まったくだ。ああ、でも最近雑魚ばっかりが多くて手ごたえが全然ないなぁ、弱い相手はもう飽きた、強い相手はどこにいる? なーんて。」

「戦士? 世界は広いのよ。もしかしたら残党狩りの最中に私たちより強い奴と出会うかもしれないわよ。」

「そうだぞ戦士。」

「ああ、だけどよ、俺が欲してる強い奴ってのはあくまでも戦いに強い奴だ。この前の魔王みたく、その、立ち食い道のプロとかいう意味の分からない存在はもう勘弁願いたいもんだね。」

「大丈夫よ。立ち食い道のプロたちはほとんど絶滅状態だし、その筆頭格たる魔王が倒れた今となっては、もう目につくこともないでしょうけど。」

「まったくそう願いたいが……」


 勇者たちが楽しく談笑していたその時、ドシン、ドシン、という地ならしの音とともに、牛のような角に牛のような鼻輪を付けた、一人の巨漢が入店してきた。彼は勇者たちのテーブルから離れたカウンターに座ると、回転いすがずずっ、という悲鳴を上げて沈んでいく。相当な質量の持ち主だ。


「いらっしゃいませ、ご注文はお決まりですか?」


 店員が注文をうかがうと、巨漢の男は手短に注文を返した。


「並。」


 店員はすぐに牛丼の並盛を持ってきた。さすがにファストフードチェーンというだけあって提供速度が速かった。


「お待たせしました。牛丼の並盛で……ひゃっ!!」


 だが、男の牛丼を食べるスピードもまた、音速のごとく速かった。店員がどんぶりを卓に置いたその瞬間に、男はすでに牛丼を間食していたのだった。そして、きょとんとしている店員に、一言。


「並、おかわり。」

「え、えっ!?」

「……並、おかわり。」

「か、かしこまりました……」


 それからというものの、男はまるでわんこそばのごとく牛丼の並盛を秒速で完食してはお代わりを持ってこさせ、そしてまた持ってきたそばから疾風のごとくどんぶりを空にしていった。


「並。」

「並。」

「並。」

「並。」

「並。」

「並。」


いつの間にかどんぶりは山高く積み上がり、天井まで届くくらいの高さまで迫った。勇者たちはその異様な光景をかたずをのんで見守っていた。


「なあ、賢者。あれって、まさか……!」

「ええ、勇者の考えている通りよ。あれは原初の立ち食い道のプロ……クラッシャータイプ……!」

「おいおいうそだろ!? また立ち食い道のプロかよ!!さっき絶滅寸前って言ったじゃんかよ!!」


 巨漢はわき目も振らずに牛丼の並盛を頼んでは食べ、頼んでは食べを繰り返し、そして、ついにどんぶりでできた四つのお化け煙突が卓上に五つできたころ……


「お客様、もう勘弁してください!! もううちにある今日中の牛肉、つゆ、玉ねぎ、紅ショウガのストックが底をつきました!! お代は結構ですから、どうかもう帰ってください!! うう……」


 ついにこの店の店長が、頭を地につけて巨漢に敗北を宣言したのだった。それを聞いた巨漢は満足そうに、最後に頼んだ並盛牛丼を平らげて、ようやく椅子から立ち上がって店の出口へとその巨躯をズシン、ズシンと揺らしながら出口の方へ向かっていった。そして、勇者たちの近くで立ち止まり、彼らを一瞥した。


「ふーん、君たちが、あのケツネル・コロッケルを打ち負かした勇者ニュドロム御一行様なんだな?」

「なぜ、俺の名前を知っている?」

「僕たち立ち食い道のプロは狭い世界なんだな、情報が伝わるのは早いんだな。おっと、申し遅れたんだな、僕は並盛牛丼のミノタなんだな。どうぞよろしくなんだな。」


 そう言って彼は脂ぎった手でポケットから名刺を取り出して勇者に渡した。


「あ、ああ、これは、ごていねいに、どうも……」

「ケツネル・コロッケルは、立ち食い道開祖、唐揚げのトリニティの教えを受けた最後の一人だったんだな。それを打ち負かすとはお前たち、なかなかできるんだな。……そんな君たちに、いちおう、僕からの警告を与えておくんだな。」

「警告だと……?」

「ケツネル・コロッケルの死で、それまで死に体だった立ち食い道各流派たちがこの機に乗じてわれこそは立喰の本流だと蜂起して、群雄割拠の時代に突入したんだな。そして君たちは、各流派の過激派たちに最重要人物としてマークされたんだな。これから君たちは”ケツネル・コロッケルを殺した勇者を倒せば、われらこそが立ち食いの本流になれる”と信じている連中から常に付け狙われるんだな。」

「あんたも、その一人か?」

「僕は違うんだな。僕は”穏健派”だからそんなことはしないんだな。立ち食い道の流派も一枚岩じゃないということを覚えておくと、もしかしたらいいことがあるかもしれないんだな。じゃあ、今日はあいさつ程度だから、ここで僕は失礼するんだな。」


 そういうとミノタは再びその巨躯をズシン、ズシン、と揺らして、店を後にした。……当然のごとく、代金を払わずに。


「大変なことになっちゃったわね、勇者。」

「……」

「勇者?」


 勇者はしばらく黙ったのち、すっくと立ちあがると、絶望に打ちひしがれている店長に雑嚢から金貨の入った袋を何個か手渡した。これらは魔王の討伐クエストを達成したときに王国からギルド経由でもらった賞金の一部だ。


「店長、ご馳走様。これには彼の食った分も入ってるから。おつりはいらないよ。」

「よ、よろしいのですか!? こんな大金を……!」

「いいからいいから。さあ、みんな何してる、行くぞ!!」


 そして勇者は、さっさと牛丼屋を後にした。二人も遅れてその後を追った。


「ちょっと勇者、そんなに急いでどこに行くのよ!」

「決まってるだろう? 新しい戦いのために装備を買いそろえるんだ。さあこれから忙しくなるぞ!戦士、お前も一緒にこい。お前用の新しい武具を……」

「いいや、俺はいかないぞ!! 俺はもう立ち食い道のプロとかいうわけのわからないのとかかわるのはもうごめんだ!! やりたきゃ俺抜きでやってくれ!!」

「戦士、本当に抜けるの?」

「ああ、もう決めた!!」

「でも、立ち食い道のプロを倒すと、立ち食い蕎麦とかの料理が一日一回食べ放題になるデイリーバフが付くのよ? ほら、ステータスログをみて? 私たち魔王を倒したから、立ち食い蕎麦が一日一回食べ放題よ? パーティを抜けたらそれも消えちゃうけど……本当に抜けるの?」


 賢者が取り出した巻物に、パーティのそれぞれのステータスが表示された。なるほど確かに、彼らのステータスログに”バフ:打倒立喰! 効果:一日一回立ち食い蕎麦無料”と書かれた記録が乗っているのが確認できる。


「でも、仕方ないか、無理に引き留めるのはかわいそうだしね……戦士?」


 すると、戦士は態度を急変させてステータスログをむんずと鷲づかみにした。


「さあ、どうしたんだよ二人とも、新しい武具を買いに行こうぜ! 俺たちの戦いはこれからだ!!」


 まるでさっきのあきれ顔は嘘のように、武器屋に向かって我先にと走り出していった。勇者と賢者はそれを見てやれやれ、とため息をついた。


「もう、戦士は食い物の話になるとコロッと態度を変えるんだから。単純ねぇ。」

「本当だな。さあ、俺たちも行こうか。」

「うん!」


 二人も戦士を追いかけて走った。勇者たちと立ち食い道各流派たちの新しい戦いが、これから始まる。まだ見ぬ敵への恐れと、新しい戦いが待っていることに対しての期待に、勇者の胸は、満ち溢れていたのだった。


【なおこの話の直接の続編となる立食戦記第四巻以降は存在は確認されているもののその書物の入手は困難に等しく、事実上の絶版状態であることを明記しておく。】

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