第31話 乱心

 あらかたの挨拶を終えると、会場に曲が流れ始める。西洋の楽器は、渓国のものと違って、穏やかで重なり合いが美しい。初めて見る楽器の曲に合わせて、侯爵たちが踊り始める。


「……いよいよですね」


 月花の表情が、今日一番引き締まる。ごくりとつばを飲み込んで、雨流の手が月花の腰に回った。


「ああ、大丈夫だ。わたしの足取りに合わせていれば」


 早く終われ、そう思っているのは月花だけではなく雨流も同じだった。

 みな、月花に注目している。こと、西洋の貴族の老人たちが、嫌らしい目で月花を見ていることに耐えられそうにない。にたにたと、葉巻のやにで汚れた歯を見せて笑って、気持ちが悪い。しかし、あくまでここは外交の場所だ。ここは皇帝らしく振舞わねば。


「さあ、踊ろう」


 雨流が月花の手を取った。そのまま舞踏の恰好をとる。いち、にのさんで歩調を合わせる。月花の衣が優雅に揺れた。


「まあ、見て」

「ああ、さすが陛下の選んだ方だ」

「付け焼刃にしては上出来だこと」

「美しいわ」


 賛否両論である。しかし、月花の耳にはなにも入らない。とかく音楽を耳で拾って、足運びを間違ええないように足を踏み出す。

 右足、左足。足がもつれそうになりながらも、なんとか一曲が終わる。月花はふうとばれないように息を吐いた。ぱちぱちと会場に拍手が起こる。小雨のようなそれは、やがて大雨に変わる。会場中が、月花に注目している。まずい。


「ブラボー。王太子妃さま、わたしとご一緒してくださいませんか?」


 案の定、雨流に近づきたいのか、はたまた月花に近づきたいのか、西洋の貴族の男たちが月花に群がり始める。あたふたして、月花は断れない。雨流と貴族を交互に見てもたつく。しかし、雨流が月花の腰を引き寄せ、その額に唇を落とした。


「これはわたしの女性ゆえ。今日は誰にも渡さぬ」

「独り占めですか?」

「そうだ」

「そんなことおっしゃらずに。お妃さまのお披露目の席で、お妃さまとお話ができないなんてこと、あっていいんですか?」


 食い下がる男がいた。西洋国の大臣の一人息子、ムスクだった。端正な顔立ちは皇帝顔負けに美しい。しかし、その性根は隠せておらず、どう見ても月花を辱めるのが魂胆だった。雨流は月花の前に盾になる。


「あ、私……」

「おい、わたしの皇后に触れるな」

「行きましょう? 月花嬢?」


 半ば無理矢理、ムスクは月花の手を取って、再び舞踏会の会場の真ん中に歩みだす。

 月花は最後まで雨流に助けを求めるよう視線を向けていたのだが、何分場所が悪い。雨流は来賓に取り囲まれ、月花をみすみす手放してしまった。雨流の手が空を切る。月花の手も、雨流に伸ばされている。お互いがお互いを呼んでいるのに、その手は重なることはない。まるで偽りの皇后という関係を見えない存在にあざ笑われているかのようだった。


「月花さま。ダンスがお上手で」


 いちにのさんで足を運ぶ。足がもつれそうだ。かかとの高い靴は窮屈で、月花の足首は既に折れそうだった。ムスクが月花を主導する。曲に合わせて足を運び、月花の体が振り回される。西洋の人間は、渓国の人間よりも体格がいい。まるで振り回される舞踏は、雨流のものと違って自分勝手だ。


「あの女嫌いの陛下のことだ。月花さまもお寂しい思いをしておいでなのでは?」

「寂しい?」


 思わず聞き返せば、ムスクが、「夜のお相手なら、わたしのところに来てくださってもいいんですよ」と耳打ちした。

 むろん、本気でそんなこと言ったわけではない。ただの戯れだ。いや、これは月花を挑発しているのか、あるいは雨流を侮辱しているのか。

 後者だ。と確信したのは、ムスクが舞踏の最中に雨流に向けた、あざ笑うかのような視線のせいだ。バチン! 乾いた音が宴会場に響く。月花がムスクを叩いたのだ。ムスクがわざとらしく頬を抑えてその場に立ち止まった。会場の曲が凪ぐ。


「ああ、お妃さまはご乱心だ」

「アナタ、陛下を馬鹿にしたでしょう!?」

「わたしはただ、冗談で場を和ませようと」


 冗談にしては悪質だった。

 しかし、現状月花とムスクの会話を聞いていたものはいない。ならば、この場の誰もが、『皇后が乱心した』と思っても仕方のないことだ。はめられた。月花に白い目が向けられる。


「やはり平民は野蛮だ」

「今からでも追放すべきだ」

「陛下は騙されているんですわ」


 みんながみんな、月花を非難する。消えてしまいたかった。月花が涙を浮かべて会場の真ん中で非難される中、しかし、そんな月花の手を取ったのは、まぎれもなく雨流だった。


「わたしの皇后に、なんたる無礼を働いてくれた!?」

「え、陛下、わたしは」

「ムスク公。ソナタがいくら大臣の子息とはいえ、わたしの皇后が乱心だと?」


 その剣幕に、ムスクは恐縮し、こうべを垂れた。ハエの様に手をこすりあわせて、ムスクは自分の失態にようやく気付いた。雨流は、心からこの皇后を愛している。そうでなければ、このように怒るはずがない。それはムスクの誤算だった。


「も、申し訳ありません、陛下!」

「ソナタ、月花になにを申した」

「なにを……さて、なんだったか」

「月花? なにを言われた?」


 月花は言葉に詰まった。この場で言える内容ではないからだ。

 月花が黙ったことで、雨流は大方月花がなにを言われたかを察したようだ。ムスクを会場から追い出して、自身も月花を連れていったん会場を後にする。

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