第29話 食中毒

 舞踏の練習は相変わらずうまくいかず、月花は自分の才能のなさに嫌気がさしていた。しかし、踊れないからと月花のお披露目の宴会(舞踏会)が延期になるわけでも、ましてや中止になるわけでもなかった。

 そんな折、鈴が突如として倒れたのだった。


「鈴!?」

「こ、こうごうさま……」


 その日も変わらず食事を終えて、鈴がにこにこと月花の傍に立っていた。今日は珍しく雨流が月の宮に来ないので、月花はしかたなく書物を読んでいた。しかし、どうにも退屈で、外を見たり、華女官に怒られたりする中、鈴の顔色がどんどん悪くなったのだった。


「うっ、」

「鈴! 華女官! 制吐剤を!」


 苦しむ症状からして、食中毒だと判断した月花は、華女官を厨房に向かわせた。鈴の脈を診る。本来月花には医術の心得はさほどないが、なるほど、鈴の脈が乱れている。めまいや脈の乱れ、吐き気もあるのか、制吐剤を飲ませるまでもなく吐き戻した。

 この症状は。


「強心配糖体……モロヘイヤでも誤食した?」


 熟したモロヘイヤの種などには、強心配糖体が多く含まれる。吐しゃ物を見る。しかし、緑色の物は見当たらない。あるのは、どろどろの白い液体、おそらく米だ。月花は吐しゃ物を観察する。においに異常はない。腐ったもののようではなさそうだ。


「米……米で食中毒に?」

「皇后さま、せ、制吐剤をお持ちしました!」

「ありがとう! 医官は?」

「医官もすぐに参ります」


 華女官の手際の良さときたら、女官にしておくのはもったいないくらいだった。鈴に制吐剤を飲ませて、吐いたもので窒息死なように横向けに寝かせる。鈴がすべて吐き終えたら、月花が電解水を持ってくる。砂糖と塩と酢を混ぜた飲み物だ。鈴はいまだにえずき、苦しそうにうなっている。かわいそうに。怒りがわいてくる。誰が鈴にこんなことを。


「まだ気持ち悪いだろうから、落ち着いたら飲んで?」

「も、もうしわけ、ありません、皇后さま」

「いいの。それで、聞きたいんだけど」


 月花の寝台に寝かせた鈴に、月花はなるべく負担にならないように声をかける。鈴の顔は真っ青で、かなりつらそうなのは見て取れた。しかし、これが食中毒ならば、早く周りに知らせなければ。女官や下女たち、数百名の命に係わるかもしれないのだ。


「今日は、なにを食べたの?」

「はい……下女たちに、宰相さまがら差し入れがあり……米菓子を食べました」

「宰相? 名前は?」

「それは……宰相さまとだけ」


 鈴はこれ以上は苦しそうで、月花はいったん鈴から離れた。

 鈴がもらったのは、米を水あめで固めた菓子だ。しかし、それで強心配糖体の食中毒なんて聞いたことがない。月花はうむ、と顎に手を当てる。何の変哲もない、米菓子。さくさくとした食感が庶民にも好まれる。後宮でもよく出される菓子だ。


「皇后さま、今日はもう、舞踏の練習のお時間――」

「それどころじゃない! 私は陛下にお会いしてきます。華女官、鈴を頼みました」


 月花のこういうところが、鈴も華女官も好きだった。身分に関係なく、その人間を尊重してくれる優しさ。ほかの妃たちがどんなに陰口を叩こうと、絶対に味方でいようと思わせる魅力が、月花にはある。華女官は、そっと笑みを湛えて月花を送り出すのだった。



 雨流の執務室に足を運ぶと、雨流は上書を片付けていた。眉間を揉んで、疲れが滲み出ていた。月花は雨流の真ん前にたち、拱手礼をする。


「む。月花。ソナタ、まだ舞踏の練習の時間ではあるまいに」

「陛下、陛下、大変なのです。鈴が」

「なんだ、毒殺でもされたか?」

「はい、いえ、死んではいないのですが、意図的に毒を盛られました」

「なんと」


 雨流が立ち上がり月花のもとに歩く。上書がことりと床に転がり、内官がそれをかき集めて元の場所に戻していた。黒幕が、あの上書を書いているかと思うと腹が立つ。どの面下げて。月花の心など露知らず、雨流は月花の肩に手を添えた。


「ソナタは無事か?」

「はい、わたしはなんとも」

「そうか……おそらく、傍付きのものなどいつでも殺せる、ソナタの命も同じだ。という脅しかと」

「私を?」


 雨流が頷く。つまり、鈴は自分のせいで狙われたというのだろうか。そんな。しかし、月花はそれしきではめげない。鈴が食べた米菓子は、鈴だけに渡されたのだろうか。こちらを欺くために、多くの下女に渡された可能性も否定できない。


「へ、陛下。早く下女たちのところに行かないと」

「待て。なにしに行く気だ?」

「下女たちから、米菓子を取り上げねば、また被害者が出る前に」


 そんなもの、皇后である月花が自ら出る幕ではないというのに。雨流はその言葉を飲み込んで、月花とともに月の宮、そしてほかの妃嬪たちの宮へと走るのだった。


「ああ、ああ!」


 ある宮では、食中毒だと騒ぎが起き、ある宮では、間一髪で米菓子を回収できた。しかしどの宮でも、月花は歓迎されなかった。冷たい視線にさらされながら、月花は米菓子を奪うように取り上げる。


「米菓子に毒があるなんて。これは食事が原因の食中毒でしょうに」

「米菓子を独占なさって。皇后さまは度量の狭い」


 なんとでも言えと思った。すべての回収を終えて、さて月花は月の宮に戻る。雨流も一緒だ。雨流はよもや、と思ったが、月花は月の宮に戻ると、その米菓子を口に含み、そうして吐き出した。はぁ、と雨流がため息をつく。確かめるには、それしかないとはいえ自分が不甲斐ない。


「原因は、やはり米菓子」


 月花の舌が、全てをあばいた。材料は、米と水あめと、砂糖。たったそれだけだ。そして、舌先から感じる苦みとほのかな渋み。これが強心配糖体の毒の味だった。雨流が月花に目で問うと、月花はコクリと頷いた。


「しかし、米が毒なのか? 毒が盛られているのか?」

「これは、米の中に毒の味を感じました。盛られたのであれば、それらの味はバラバラに感じるものです。例えば、米、水あめ、砂糖、のちに毒の味。しかし今回は、米を噛んだ瞬間に、米の味と毒の味が広がりました。つまり、この米が毒なのです」


 本当に便利な舌だと思う。だからこそ、雨流の食中毒事件も安心して任せられる。だとしても、少し危ういところがあるのも事実だった。月花は下女の命も皇帝の命も等しく尊いものだと知っている。雨流のように。雨流は冷帝と噂されるが、実際は人間味溢れる皇帝だった。ただ、皇帝という立場が雨流を冷徹に変えてしまったのだ。誰も信じられない。玉座は魔物が住む。月花は、自分が皇后になって初めて、雨流の気持ちを理解したのだった。こんな孤独に耐えてきた雨流は、どれだけ辛かっただろう。


「それで、宛てはあるのか?」

「それがなんとも。だって、米が毒になるなんて、聞いたことがありませんもの」


 だが、この件を明かさなければ、今後も鈴をはじめとした女官や下女たちが狙われるだろう。下女の命などいつでも殺せる。そう脅すために鈴に毒を盛ったのだろうが、あいにく月花にはこの舌がある。それは黒幕も誤算だったのだろう。月花はこの舌で、どんな味でも暴く。米自体が毒だなどと、月花以外にはわからなかったであろう。


「でも、米を作る時点で毒を持たせることは、可能かもしれないです。例えば、接ぎ木などが最たる例です」


 月花によれば、毒草に接ぎ木した野菜の苗の実には毒が廻ることがあるのだという。だったら、それと同じような方法で、植物を毒に変える手法があってもおかしくはない。


「問題は、この国の貴族たちは、広大な土地を有しており、そのなかから毒のある米を育てている畑を見つけるのが、ひどく困難なことです」


 一つ一つ見て回るには、ほぼ不可能だ。せめて、この毒をもたらした人間が分かれば話は別なのだが。

 月花は顎に手を当て思案する。その月花の頬に、雨流の手が触れた。


「ソナタ。舞踏の練習で忙しいだろうに。またおのずから面倒ごとに巻き込まれるとは」

「ですが。鈴です。ほかならぬ鈴が毒に倒れたのです。ほかの宮の下女も……致死量ではないとはいえ、料理で人を殺そうとする犯人が、許せないのです」


 月花の目は、純粋無垢で美しかった。琥珀色が雨流をじっと見据えている。その色に吸い込まれそうになりながら、雨流は首を縦に振った。


「わたしも、注意深く宰相たちを観察することにする」

「そうしてください。米には当分ご注意を」


 そう簡単にしっぽは出さないとはわかっている。わかっているが、どうにもしっくりこない。この件は、明らかに月花への当てつけだ。月花にもわからぬことがあるのだろう、そう言われているようで、腹が立った。月花は料理だけは、誰にも負けたくない。そもそも、料理をはかりごとに使うなんて、もってのほかだ。


「絶対に、明かしてやる」


 月花の決意は、固い。

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