第22話 料理人

 不便があったらなんでも申せ。そう言ったのは雨流のほうであるし、だがそれは、ただの社交辞令かもしれない。いまだ雨流の腹のうちが読めない月花は、最初に雨流に相談する前に厨房へと向かった。


 忙しそうに料理をする料理人たちは、今日の二回目の料理を皿に盛り付け、美しくそうすで絵を描いている。まるで宝石箱のような美しさに、ついつい前のめりに見入ってしまう。ここの料理人たちの腕確かさは、先日目の当たりにした。だが、この食生活は正さねばならない。そう思って厨房に来たのだが、あまりにも料理人たちの料理の盛り付けが美しく、月花は思わず食い入るように見入っていた。今日は西洋の料理を出すようだった。近く行われる宴会の模擬練習のようなもので、それはもう、盛り付けの美しさときたら言い表す言葉がなかった。


「な、なぜ皇后さまがこのような場所に……!?」

「ああ。ああ、申し訳ありません。でもこの料理、本当に美しい……!」


 基本的に、月花は食べたものを分析はできるが、こういった盛り付けの技能だけは自分の努力で磨かねばならなかった。いつだって月花は料理に興味津々だ。

 もともとは、料理好きの母の影響で料理の腕が磨かれたのが発端なのだが、それが功を奏して、今も月花は自分のために、料理をしている。きらきらと、宝石の様に美しい料理たちに、月花の目は釘付けだった。

 料理屋を営んでいるころは、お客さんが喜ぶ姿を見るのがなによりも好きだった。


「ああ、食べてみたい。これは鹿肉に……キイチゴのソース?」

「こ、皇后さま、わかる人間でしたか。そう、これはキイチゴのソース。ただし、特別な隠し味が入れてあります」


 ああ、ああ、と月花が嬉しそうに目を輝かせるため、料理人も月花についいらぬことをしゃべりだす。先だっては、月餅を作れだの水晶包を作れだのと言うため警戒していたのだが、どうにもこの皇后は、根っからの料理好きだということは嫌でもわかった。同じ匂いを感じ取った、料理長の玄が、月花に恐る恐る問うてみる。


「味見しますか……?」

「え、いいんですか?」

「むろん、皇后さまの頼みとあらば。この王宮の人間は、どうせ料理なんて味わったらあとは吐き出して終わり。一瞬の娯楽としてしか考えてないようですし」

「わかります! 料理は作り手にとっては子供も同然なのに、この国の貴族は少しおかしいです」

「はは、変わった皇后さまですね」


 料理人が先割れの匙と庖丁様の匙を月花に渡した。銀製のこれは、美しさと衛生的な面、そして、毒によって変色するため西洋でもよくつかわれる食器(カトラリー)だ。

 月花は鹿肉を一口大に切って、キイチゴのソースをたっぷりとつけて口に入れた。口の中に、甘いそうすとしょっぱい鹿肉、これらが絶妙に絡み合って溶けていく。世界各国を旅した月花でさえ、ここまで美味いものは食したことがなかった。


「んふぅ!」


 あまりにも幸せそうに食べるため、料理人もまんざらでもないように鼻を鳴らした。


「鹿肉(ジビエ)……これは仔鹿ですね。丁寧に臭み抜きされてる。塩水に一、二時間つけたんですね」

「そこまでわかるのですか?」

「はい。あとこのキイチゴのソース……ショウユが入ってますね」

「なんだと!? 俺の隠し味がこうも簡単に……いや、そもそもショウユの存在を知っているなんて、皇后さまは本当に学がお深い!」


 ぴしゃりと言い当てられて、料理人は面目丸つぶれだ。しかし、それよりも、月花の正体が知りたいようで、月花に質問攻めである。ショウユは羽国のものであるし、このそうすにだって使ったのはごく少量の隠し味だ。それを一口食べただけでわかるなんて、料理長は鼻息荒く月花に詰め寄る。


「なぜ知っているのです? 皇后さまも料理人ですか? ならばあの店に行ったことがあるのでしょうか? 町はずれの、カリーを提供する、あの店に……それしか考えられません。俺はあそこのスシを食べて、このキイチゴのソースを思いつきました」


 早口にまくし立てられ、月花はさてどう説明するか迷った。そもそも、その料理屋の店主が月花なのだから、この料理の隠し味に気づいてもおかしくはない。

 とはいえ、月花には食べたものを分析する舌がある。だから、一口食べただけであの料理がどれだけ『丁寧に』作られているかもわかってしまうのだ。


「あーと。そうですね。私の舌は、すべてのものを感じ取るのです。無味無臭の毒の味さえ」

「なに……なんて羨ましい力」

「うらやましいとか、初めて言われました」


 もっと、国の役に立つような能力だったら、月花の人生も違ったに違いない。だが今は、この能力があってよかったと思っている。月花にとって料理は天職だ。この舌は、ひとを助けることができる、そう、月花がこの後宮に来た意味が、それなのだから。改めて、自分の責務の重さを感じ、身の引き締まる思いだった。


「でも、そうですね、このソース、改良の余地がありますね。バルサミコ酢を入れるんです。味がしまりますよ」

「なるほど!」


 牛酪の脂で炒めた玉ねぎに葡萄酒とバルサミコ酢、隠し味のショウユとメインのキイチゴを加えて煮詰める。最後に風味付けの牛酪の脂を加えたら、キイチゴのソースの完成だ。この、煮詰め加減が本当に難しい。これらは熟練の料理人にしか出せない深い味わいがある。この料理長は、どれだけの努力を積み重ねてきたのだろう。素直に尊敬の念がわく。


 月花は、その尊敬の念を抱きつつも、ささっとキイチゴのそうすを微修正(アレンジ)する。その手際に、料理長も感嘆の声を上げた。この皇后はただものではない。料理場の皆が、そう思ったほどだ。出来上がったキイチゴのそうすを、月花は匙に乗せて料理長に渡した。


「おお、これは……!」

「バルサミコ酢がいい味出してるでしょう?」

「ああ。それで、皇后さまは本当に料理が好きなんですね。味がすべてわかる舌をお持ちにしたって、こうも簡単に俺の献立を改良するとは」


 料理人が参った、と笑っている。料理人たちが「俺も、俺も」とキイチゴのそうすを味見して、皆で改良の余地を話し合っている。こんな和気あいあいとした料理人たちが、皇帝に毒を盛るだろうか。人を疑うにはまず理由が必要だ。その理由を、ここの料理人たちは持ち合わせていない。みながみな、料理に真摯でひたむきだ。

 そこに皇帝が顔をだし、料理人が恐縮してこうべを垂れた。


「ソナタたち、このものが誰だかわかっていてそのような口を利くのか?」


 月花のことである。料理人たちは顔を見合わせて、首こくこくと頷いた。


「ぞ、存じております。皇后さまが料理を召し上がりたいとおっしゃいましたゆえ……」


 恐る恐る口にすれば、


「わたしの妃だ。半年後に婚姻をあげる、わたしの大事な女性だ」


 ひ、と料理場の全員が青ざめた。雨流の形相は常軌を逸していた。月花が慌てて口をはさむ。あわあわと身振り手振りが混じってしまうのは月花の癖だ。取り乱すとどうにもてんぱってうまく言葉がまとまらない。だから身振り手振りが大きくなる。


「あ、陛下。私がこの方たちの邪魔をしただけで」

「ソナタもソナタだ。なぜ料理場になど足を踏み入れる? 例の件とは無関係なようだし」

「そ、それは……」


 もごもごと言い淀み、しかし月花は意を決して、


「貴族たちの食生活に、あまりにも驚きましたので……実態調査というか」

「実態調査?」

「はい。美食をたしなむのはよいことです。しかし、一日に五食食べるために、食べては吐いて、吐いては食べて。それでは、体を壊します」

「それは、わたしの体を案じてくれているということか?」

「まあ、そういうことになるのでしょうか」


 ふむ、と雨流が顎に手を当てる。雨流は少し抜けているところがあるようにも思う。しかしそれは、月花の前だけだ。雨流は逡巡し、


「ならば、ソナタが思う、体に良い食べ物とは?」

「そう、ですね……五行を整えることです。これは前にも申しましたが、陛下の場合、水の鹹味を含む料理が体にいいように、ひとには栄養の過不足があるのです」


 月花の声に、迷いはなかった。月花は今まで、いろいろな国の料理を食べてきた。

 この渓国では、体を温める香辛料や、あんかけなどの料理、また、食材も漢方に使われるようなクコの実や八角などが使われる。


 さらに羽国では、魚を中心にした食事が基本で、西洋と違い脂質の摂取量が少なく、それが体にいいのだと、月花は旅をする中で気づいた。

 もちろん、西洋の料理も体に悪いわけではないのだが、何分、魚の油や野菜よりも、肉や牛酪の脂などの脂の濃い食事が好まれる。


 だから月花は、西洋料理だけでなく、均衡のとれた羽国の食事も日常に取り入れればより健康になれるのだというところまでは知っている。

 さらに、とある占い師が、五行を整える食事で体の健康を保てると研究結果をまとめた本がある。残念ながら、彼の研究は先進的過ぎて、誰にも理解されないのだが。しかし月花は、この理論は間違っていないと思っている。それは、月花の小料理屋が答えだった。月花の店を訪れる客は、みな少しずつ元気を取り戻す。しかしそれは、平民が美食をたしなまないからであって、美食をたしなむ貴族王族が、一日五食食べるために食べたものを吐き出す習慣は、どうしても直さねばと思わされた。


「なるほど。それほどまでにわたしを思っているとは」

「いえ、そこまででは」


 雨流は月花のことになると少し前向きすぎる思考に陥るようだ。月花は苦笑しながらも、


「それで。陛下。私はこの王宮で、料理人として働きたいのです」

「なに? ソナタ、自分の立場はわかっているのか? ソナタはわたしの皇后となる。一国の皇后が料理などと」

「ダメですか?」


 しゅん、としょげる月花に対し、雨流がうっと言葉に詰まる。雨流は月花に弱い。それはもう、なんでも言うことを聞いてしまうくらいには。雨流が眉を八の字にする。こんな皇帝は見たことがない、と料理人たちがざわついた。


「わ、わかった……では、わたしの食事と毒見は月花、ソナタに任せよう」

「ありがとうございます!」


 にぱっと笑う月花を見て、雨流がくらっとめまいを催す。純粋無垢なこの娘にどうやって、自分の皇后だという自覚を持たせようか、頭が痛い。

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