第13話 視察

 しかし、皇后に決まったからと言って、即日即位式が行われるわけではないらしい。そもそも立后されてしまえば、月花は本当にこの後宮から抜け出せなくなる。だから、雨流はできるだけ立后の儀を遅らせて、それは半年後の春に決まったのだった。先帝や皇太后をだますのは気が引けるが、雨流はなんとしても政敵を排除したい。そのために月花を呼んだのだから。いや、そもそも月花は知らないだろうが――


「鈴。一緒に来てくれる?」

「はい、どちらへ行かれるのですか?」

「厨房に行きたいの」

「皇后さま自ら視察ですか?」


 鈴や華女官には、月花が偽物の皇后であることは言っていない。そもそも、まだ立后されていないのに、周りの女官たちは月花を「皇后さま、皇后さま」と呼んでご機嫌取りはうんざりだった。立后の儀は、雨流が嘘の占いをさせて、半年後の春に決まった。半年あれば、さすがに謎も解けるだろう。しかし、だからと言って悠長にもしていられない。毒の謎を解かなければ、雨流の立場が危うくなる。そうなれば、皇后である月花も共に排斥されるのは明らかで、いうなればこれは自分自身の為でもあった。こうなることを、雨流は見越して自分を皇后に据えたのだろうか。腹の内が読めなくて、月花は不満でいっぱいだった。

 そういうわけだから、皇后に決まった月花は、雨流の生誕の宴での毒の件を早く明かす必要性が出てきた。


「はあ、私が皇后に選ばれなかったらよかったのに」

「な、なにをおっしゃるんですか! そうなれば、側室にも戻れず、一生涯独身で皇帝陛下の女性として、お渡りもなく幽閉の身ですよ!?」

「それは知っているけれど」


 一度皇后候補となった妃嬪は、もとの側室に収まることはできない。かといって、後宮を出て自由の身になれるのかと言えばそうではなく、生涯『皇后候補』として、皇帝陛下の所有物として、しかし、皇帝のお渡りなどなく、幽華格と呼ばれる妃候補者たちにとっての牢獄で、一生を一人で過ごさねばならなかった。そこはじめじめして陰気臭く、幽鬼が出ると下女たちのもっぱらの噂だった。月花は幽鬼なんて信じていないのだから、そこに配属されてもなにも問題なかったのに。


「その方が、動きやすかったんだよなあ」

「動く?」

「いや、こちらの話。じゃあ、厨房に案内してくれる?」


 月花はまず、生誕の宴で出された月餅と点心を作った料理人に聞き込みをすることになったのだった。



 厨房には男たちがてんやわんやであちこち忙しく走り回って、月花はうらやましそうに指をくわえて料理人を見ていた。料理人たちは食材を吟味し、調理して味見し、毒見もかねて一人分を取り分けている。厨房には制吐剤も常備してあって、なるほど王宮なだけあって、設備は一等品だった。月花が見ていることに気づいた料理人たちが、足を止める。


「おい、あれって」

「ああ、こ、皇后さま、なぜこちらに」


 気づいた厨房の料理人が、月花に恭しく拱手礼をした。月花もつられて拱手礼をしようとするも、華女官に止められて、「そっか」と姿勢を正した。現状、皇后のふりなんて知られたら、月花だけでなく雨流の立場も危うくなる。ゆえに、きつく雨流から言いつかったのだ。



「絶対にばれるなよ?」

「しかし、陛下。私が皇后で本当によろしかったのですか?」

「なに。誰が皇后となっても、わたしには無関係ゆえ、気に病むな」

「まあ、そうでしょうけれど。でも、陛下もお好きなひとくらい、いらっしゃるのでは?」

「いたとして、わたしに自由などあるわけもない」


 皇后に決まって、なにより先に月花は雨流の部屋に呼ばれた。雨流の住む皇宮は、後宮とはまた雰囲気が違って厳かで重苦しい。雨流は人払いをして、月花と二人きりで今後について話している。月花の月の宮とは違って、寝台に薄織物の飾りはなかったし、調度品も質素なものだった。皇帝は民の見本でなければならない。雨流の人柄を垣間見た気がした。雨流は自ら、質実剛健を実行している。なんて崇高な志だろうか。――いけない、ほだされるところだった。


「婚姻の儀は半年後に伸ばす予定だ。その間に、ソナタには毒の真相を明らかにしてほしい」

「そうですね。半年」

「ああ、本当は、明日にでも答えが欲しい」


 漏れた本音に、月花が「あっ」と声を漏らした。確かに、月花が後宮に来てから日が浅いわけでもなく、かといってなんら手掛かりはつかめていない。月花は後宮になじむのに精いっぱいで、雨流の毒の件など頭から半分抜け落ちていた。しかし、自分の役割を再認識し、ふっとこぶしを握った。


「そ、そうですよね。陛下が宰相や諸侯に毒を盛っただなんて噂されていたら、信頼もなくなりますし」

「ああ。謀反を企てるものも出るかもしれない」


 月花はうむむ、と顎に手を添えて考える。アルミの器で、なぜ食中毒が起きたのか。アルミなら神経毒の食中毒はよくある話だ。しかし、聞いた話によれば吐き気に下痢の症状しか出ていないのだという。さらに、その日出されるはずだった菓子はまだ出されていないときに食中毒の症状が出た。いや、誰かが毒を乳酸飲料に仕込んだ可能性も捨てきれない。だったら、厨房周りの人間を洗い出す必要があるだろう。その前に、一応アルミの器を確認しようと思った。なにか手掛かりがあるかもしれない。

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