第12話 皇后選び

 皇后選びの席で、三人で横並びに座って、遠くに御簾が張られている。その先にいるのは雨流と先帝、そして皇太后で、さて月花は今度こそ自分は場違いなのだと恐縮した。御簾はこちらからは皇帝は見えずとも、向こうからは妃嬪たちがよく見える造りになっている。

 月花は椅子に座って、そわそわとせわしなく辺りを見渡した。調度品がたくさんある。金の亀の置物、銀の西洋の器、硝子でできた筆(ペン)。そのどれもが、懐かしかった。月花は世界各国を旅してきたので、これらにはなじみが深いのだ。


「で、ではき、聞く。皇帝陛下の民への愛情は、い、いかばかりか」


 先帝はお年を召したため王位を譲ったと聞いていたが、どうやらそれだけではないだろうなと月花は思った。しかし、どこでアルミを食べているのかわからない以上、口出しすることすらできないのだが。先の紅茶の試験でもそうだったが、先帝は体調がお悪いのは明らかだった。雨流にあとで伝えようにも、しかし確証がない。月花が試問に関係のないことを考える間に、宇露が最初に答えた。


「太陽までの距離と同じかと思います。すなわち、太陽はどこに行っても我々を見守ります。陛下の愛情は分け隔てなく我々に注がれ、それは毎日変わることなく空にあります」

「宇露妃は先ほどといい、距離で表すのが好きだな」


 宇露が苦笑いする。口頭試問は、本来ならば孟子、孔子から出題されるのが通例だが、この皇帝は少しばかり意地が悪い。今回の試問を考えたのは皇帝だ。普通の答えではわからない、その妃の人となりを見たいらしかった。

 宇露が苦い笑みを浮かべる中、次いで答えたのは美姫だった。


「こ……子が親から受け取る愛情と同じでございます」

「それは先と同じ答えだな」

「そ、それは」


 美姫妃が口ごもる。美姫妃は、どうも学問には弱いらしい。その容姿と、後ろ盾があり妃となったのだろうが、今回の紅茶の試問は、ただ単に、運がよかっただけか、後ろ盾――親が西洋かぶれだったのかもしれない。

 最後に視線を向けられて――そもそも、御簾の向こうの雨流の姿は見えないのだが、月花にはそう見えた――月花は答えた。そっと口を開き、その声音は笛の音のようだった。


「米を炊くときの水の量と同じです」

「はっ、ソナタもまた、料理に例えるのか」

「はい。それしかわたくしは知りませんので」

「わかった。では、その真意を聞こう」


 月花は座ったまま、御簾の向こうの雨流を見やる。冕冠の飾りがシャラシャラと揺れていた。冕冠は目をふさぎ耳をふさぐことで、民の声に耳を傾けよとの意味が込められているそうだが、重くて大変だろうなと月花はのんきにそんなことを思った。気負いは一切なく、ただ、自然と答えは出ていた。米を炊くときの水は、重量比一・五倍、容積比一・二倍。羽国と渓国では、コメの炊き方が違う。渓国では粥を主とするが、羽国では『炊く』。米と水を釜にいれたら蓋をして、強めの中火で沸騰させる。沸騰したら弱火で四半刻のさらに半分。最後に強火にして余分な水分を飛ばしたら、蒸らすことまた四半刻の半分。そうすると、ふっくらとしたご飯が炊けるのだ。これらは羽国のニモノや焼き魚とよく合う。それは雨流も実際に経験済みだった。だからこそ、皇帝の民への愛情が、米の水の量と同じとは、どういう意味か興味があった。


「米を炊くには、水が多すぎても少なすぎてもうまく炊けません。何事にも、適量というものが存在します。このように、陛下の愛情は民に必要なだけ届いています」


 月花は座ったまま、御簾の向こうの雨流を見やる。冕冠の飾りがシャラシャラと揺れていた。冕冠は目をふさぎ耳をふさぐことで、民の声に耳を傾けよとの意味が込められているそうだが、重くて大変だろうなと月花はのんきにそんなことを思った。気負いは一切なく、ただ、自然と答えは出ていた。米を炊くときの水は、重量比一・五倍、容積比一・二倍。羽国と渓国では、コメの炊き方が違う。渓国では粥を主とするが、羽国では『炊く』。米と水を釜にいれたら蓋をして、強めの中火で沸騰させる。沸騰したら弱火で四半刻のさらに半分。最後に強火にして余分な水分を飛ばしたら、蒸らすことまた四半刻の半分。そうすると、ふっくらとしたご飯が炊けるのだ。これらは羽国のニモノや焼き魚とよく合う。それは雨流も実際に経験済みだった。だからこそ、皇帝の民への愛情が、米の水の量と同じとは、どういう意味か興味があった。


「米を炊くには、水が多すぎても少なすぎてもうまく炊けません。何事にも、適量というものが存在します。このように、陛下の愛情は民に必要なだけ届いています」


 宇露が虚をつかれたように月花を見て、美姫は悔しそうにこうべを垂れた。この場の誰もが納得せざるを得なかった。宇露妃が月花を見直したように横目で見る。しかし、美姫妃はそうではないようで、憎々し気に月花を見るのだった。


「では、最後の質問だ。この世で最も恐ろしいものはなんだ?」


 試されているのは明らかだった。ここで求められる答えは、「皇帝」であり、そのほかの答えなど皇帝を否定するも同然である。当然、宇露も美姫もなんなく答えたのだが、月花の番が回ってきて、月花は長考の末、重々しく口を開いた。自分は間違っていない。この世界で一番恐ろしいもの、それは――


「太陽です」

「な、なん、なんだと!」


 怒ったのは先帝である。そかし、立ち上がろうしたのか、足を躓かせてその場に膝をつき、雨流が先帝をいさめ、その場に座り直させた。ゆっくりと椅子に座り、先帝が息を荒らげている。先帝のみならず、皇太后もまた、怒りをあらわにしている。しかし、皇帝だけは違った。笑いたいのをこらえるように、咳払いして、月花を促した。


「真意を聞こう」

「はい」


 言葉を選ぶ。事の次第では打ち首にされるだろう。それでもよかった。月花には政治はわからない。皇帝陛下が尊いことはわかっているし知っている。しかし、それでも、この世で最も恐ろしいのは、太陽なのだ。それをわからせたいのは、ほかならぬ雨流に対してである。太陽とすなわち、五行でも最も強い力を持つ丙。丙は命式に一つしか必要ない。力が強すぎるからだ。世界に太陽が一つしかないように、命式にも太陽は一つしかいらない。


「太陽は作物を育てますが、太陽ばかりではやがて作物は枯れ、人間も死にます。過ぎたるはなお及ばざるがごとし。この世界に太陽が一つであるように、後宮にも太陽は一つしかありません」


 ハッとしたように、宇露と美姫が顔を見合わせた。御簾の向こうで雨流が今度こそ声を上げて笑った。月花の額に汗が流れた。処罰されるだろうか。真意は伝わっただろうか。


「はっは、なんだ。ソナタは私に説教を」

「いえ。ただ、王宮に太陽はひとつです。帝は太陽であるがゆえに、民を殺すことも生かすこともできるのです。ゆえに私は、太陽が一番怖いのです」


 一本取られたとでも言いたげに、先帝までもが笑っている。はっは、と笑う雨流と先帝は、声音はほとんど同じだった。違いと言えば、先帝の笑い声が時々途切れることくらいだろうか。皇太后がふと思い出したように、


「ソナタ。先日のわたくしの食中毒の原因を突き止めたという、美人か?」

「や、あの」

「さようです、母上」

「そうか。ソナタ、ソナタの知識には本当に驚かされる」


 皇太后が先帝に頷き、先帝が雨流に頷く。三人の意見は一致したようだ。三人ともなにも言わずに頷いて、月花は三人の言葉を待った。


「満場一致だな。李 月花。ソナタを正式にわたしの皇后とする」

「え、え?」


 月花としては、まさか本当に皇后になんて選ばれるとは思っていなかったため、青天の霹靂であった。御簾の向こうから雨流が歩いてくる。冕冠をかぶり、正式な漢服を着ていると、まるで別人のようだなと思った。龍の刺繍が美しい、重い衣は民の命を背負う覚悟を表している。雨流は月花の手をぎゅっと握ると、ふわりと花のように笑った。これには美姫妃も宇露妃も驚き目を見開いていた。


「よろしく頼む、月花」

「うええええ!?」


 月花皇后の誕生である。

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