第10話 皇帝の価値は?
「よろ。よろしい。月花美人、そして八嬪から淑媛・宇露(うろ)妃、容華・美姫(みき)妃。この三名を、最後の試問へ通るものとする」
先帝の言葉だった。月花ははてと首をかしげる。手足が震えているし、言葉がなかなか出てこない。この症状は月花もよく知るものだった。しかし、それらは魚をよく食べる村で起こる食中毒で、つまりこれは、アルミ中毒の症状を強く裏付けている。だが、皇帝がかかるような病では無い。あれは金属加工の仕事をする人間の職業病でもある。どこでアルミに触れるというのだろうか。
「やったあ! 月花さま、おめでとうございます!」
一度桜花楼を出て、各々付き人のもとに戻れば、鈴が嬉しそうにぴょんぴょんと跳ねまわった。傍ら、落ちた妃嬪たちは不満気に愚痴をこぼしていた。鋭い視線に刺されて、さすがの月花も居心地の悪さを感じた。
「なんで! あんな茶葉ひとつで私たちが落とされなければならないの!」
「そうよ。淑媛の宇露さまはわかるわ、宰相のご息女であられるし。それなのに、あの子。最近入ったあの、美人の月花って子。なんであの子が通るのよ?」
妃嬪たちから顰蹙を買って、さて月花は困り果てた。確かに、今日の試問はいささか理不尽なもののように思えるが、しかし、妃嬪たるもの、西洋、羽国、さらには西域まで、様々な知識は持っていてしかるべきだろう。だとしても、雨流が月花のために用意した試問のような気もするが。料理人である月花にとっては、朝飯前の試問だった。
「アナタ、本当は皇帝陛下の弱みを握っているとか?」
あながち間違いではないので否定はできなかった。月花が答えられずにいると、桜花楼の扉が開き、雨流が姿を現した。いつもの笑みは浮かべていない。ただただ、雨のように冷たい目で、文句を垂れる妃嬪たちを一瞥していた。皆が一様に雨流にこうべを垂れた。
「ソナタたちは、自分の無知を他者のせいにするのか?」
「そ、そうではありません。わたくしたちだって、口頭試問であれば、うまく答えられます」
「ほう、そうか。よかろう。では聞く。わたしの価値は何文だ?」
その場にいた誰もが答えを言うことをはばかった。そんなもの、値段などつけられるはずがない。皇帝は天子であらせられる。その価値なんて、仏をいくらで買うか?と言われているようなものだ。
「アナタ言いなさいよ」
「いやアナタこそ」
責任のなすりあいで、誰一人答えられない。そんな中、宇露が口を開いた。宇露は宰相の娘で、髪の毛と瞳は白銀で美しい。月花に比べて背が高くすらりと手足も長くて、彫刻のようだった。肌も白く、雪の妖精と見まごうほどだ。
「海よりも深く、山よりも高くあらせられます。すなわち、計ることができないのでざいます」
「ほう、ソナタ、名は?」
「淑媛・宇露でございます」
「ソナタは答えられぬか?」
雨流が投げかけたのは、容華の美姫である。美姫は桃色の髪の毛を持ち、それは美しい顔立ちだった。誰もが振り向く美貌は、実際男だけでなく女をも虜にする。美姫は少し考えた後、
「父と母が子供に掛ける愛情と同じ量でございます。両親の愛とは、計れぬもの。すなわち、皇帝陛下のご価値そのものです」
「なるほど。で、ソナタはどう思う?」
最後に聞かれたのは月花である。月花には教養なんてない。孟子も孔子も読んでいないし、知っていることと言ったら料理のことくらいだった。だから月花は、なんら臆することなく答えた。
「三文です」
その場にいた誰もがざわめき、憤慨した。皇帝陛下ともあろう方の価値を三文と断ずるなどと、誰がどう考えてもおかしな話だった。金に喩えるにしても、千両とか万両とか、ほかに答えがあるだろうに。しかし、月花は続ける。
「ある港では、三文で三匹の魚が買えます。しかし、隣の港では三文で一匹しか買えません。では、どちらの魚が美味しいでしょうか?」
「当然、一匹で三文の方であろう?」
雨流直々の答えに、その場の誰もが納得する。そして月花を見下しあざ笑う。そう来るのは月花も想定内で、しかし顔色一つ変えなかった。そもそも皇后になんてなりたくないのだから、もうどうにでもなれと思っていたくらいだった。結局ひとは、自分の知らぬものは認めたくないし、身分の低いものの言葉は、どんなものだとしても馬鹿にされる。
「答えは、三文で三匹の方です。隣の港は不漁で値上がりしただけで、鮮度がいいわけでもなければ、うまいから高かったわけではないのです。このように、値段が高いからといって価値までもが高いとは限らぬのです」
しん、と静まり返って、月花はやらかしたか、と周りを見た。みな、月花の答えに異議を唱えるものはおらず、雨流がはっは、と笑っていた。雨流が笑ったことに、この場の誰もが驚いている。冷淡と噂されるあの皇帝が声を出して笑うなど。
「わかったか。先の試験はなんら間違っていなかった。午後から、口頭試問を続けることとする。一問目は、月花。ソナタに分があったな」
ええ、と月花は後ずさりして、傍にいた華女官と鈴を見た。どうやらこの二人には少し難しかったようで、理解はしていないようだが、ほかの妃嬪たちの反応を見て、嬉しそうにふたりで拳を握っていた。
不本意ながら、口頭試問の一問目は、月花に分が上がったのだった。
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