第3話 五行と料理
「ええと、雨流さんの付け合わせには、火を抑える五行、つまり水の食物を取り入れているんです。水は鹹味。塩辛いものですね。これらを決めるのは、生年月日から五行の過不足を出しているんです」
つまり、占いと同じ原理だ。
天干 地支
癸→丁火 未土木火
戊→丙火 午火
戊土 申金
戊土 午火
雨流の五行は火が多く、水がない。木は酸味で肝臓と関連し、怒りを表す。火は苦みで心臓を表し喜び(興奮)を。土は甘みで脾臓に関連し憂いを表す。金は辛味で肺に関連し悲しみを表す。水は鹹味(塩辛さ)で腎臓に関連し恐れを表す。
先程、雨流の名前を聞いて、五行の均衡が取れていると言ったのは、雨流の名前に水が入っていたからだった。雨流の親は恐らく、五行を加味して名前をつけたのだろう。雨流は夏の生まれだから、本来なら夏にちなんだ名前をつけるのが普通だ。そういった点では、雨流はやはり高貴な生まれなのだと思う。占いで名前を考えるのは、貴族たちのやり方だった。
「そっちのお客さん」
「爆(バオ)だ」
「爆さんは、水と木が過多だったので、それを剋する土(甘味)と金(辛味)を中心にした付け合わせを出していましたが」
普段の食事で、芋ばかり食べていたのでは、今度は土が過多になって憂いが強く出るだろう。辛味はカリーにも使われる唐辛子で補えるとしても、過ぎたるはなお及ばざるがごとし。五行は中庸を良しとする。多くても少なくてもだめだ。いくら月花の店で五行の均衡を取っても、普段の食生活までは管理できない。爆は芋や粟などの炭水化物ばかりの食生活で、五行が崩れていたのだろう。こうして月花の話を信じられないことが証拠だった。
「ああ、ん?」
「どうしました?」
「いや……」
月花が爆に説明をしている間に、雨流の顔がみるみる青く染まっていく。しまいには、爆の家の厠を借りて、出てきたときには脂汗をかいていた。背中を丸めて腹をさすり、雨流は死にそうな面持ちで帰ってくる。唇がカサカサで、爆と同じ症状だった。爆が驚き月花と雨流を見やる。
「どうだ、食中毒の原因は、この芋だと証明できたか?」
「う……そんなはず」
「そんなはずもなにも。わたしが今日食べたのは、この芋だけだ。ソナタのせいで、カリーを食べ損ねたからな。うっ……」
雨流は口を押えて、今一度厠へと走った。背中をできる限り丸めるのは、高貴な人間でも変わらないらしい。月花はあとで、雨流に電解水を飲ませようと思った。水に酢と砂糖と塩を混ぜたものだ。ひとは吐き下すと体の電解質の均衡が崩れる。それは心の臓に負担がかかるから、吐いたあとは電解水を飲ませるといいのだ。
厠から聞こえる雨流のうめき声を背景に、爆はすまなそうに月花に頭を下げて、月花はフルフルと首を横に振った。太陽の光が月花の黒々とした髪の毛を美しく飾り立てた。
「お礼なら、あの雨流さんに。身を張って証明してくれたのですから」
雨流があらかた落ち着くまで、月花は厠の外で雨流を待った。その間に爆から厨房を借りて、電解水を作っておいた。
雨流と連れ立って来た道を引き返す。竹筒に入れた電解水を飲みながら、雨流はまだ猫背に歩いている。腹がしくしく痛むらしく、月花は雨流に合わせて歩幅を狭くした。食中毒が辛いということは知っていただろうに、雨流が体を張る理由が月花にはわからなかった。もう、今日はカリーどころじゃないだろう。月花は雨流をちらりと見やる。外套を頭からかぶるようにまとうせいで、どんな顔なのかは見たことがない。しかし、ここ半年、定期的に月花の店に訪れる常連客なのは確かだった。生年月日から見たこの青年は、火の気が強くてどうにも頭に血が上りやすい性格に見えた。実際、最初のころときたら、注文から品物が運ばれてくるまでの数刻でさえ、耐えられないように貧乏ゆすりをしていた。いらつきを隠すことなく、つくえを人差し指でとんとんと叩く。周りの客の話し声がうっとうしいのか、耳を塞ぐこともあった。つまり、火の気が多いため神経が興奮状態なのだ。
だから月花は、付け合わせに水の気を多く含むものを取り入れた。塩辛いもの、漬物や塩辛などの塩蔵品、みそ汁、そして、カリーの味付けもやや濃いめにした。それに、この青年は木の気も不足していたので、酸味のあるもの、隣国のキムチなどは塩気と酸味の両方を取り入れられてちょうどよかった。この時代のキムチは、ニンニクや山椒で漬けたもので、唐辛子は使われていない。唐辛子は渓国でも外来からもたらされたばかりで、今のところ使える料理は限られていた。その唐辛子が、月花のカリーにはふんだんに使われている。
白色のキムチは保存食のため塩気は多いし、発酵食品だから乳酸菌の酸味もきいている。雨流にはちょうどいい食べ物だった。漬物は発酵に際して乳酸菌や酪酸菌が増えるから、酸味が出るし、腸の調子を整える。腸は金が司るものだから、五行の均衡はさらによくなる。木火土金水、これらを同じくらい、同じ量、取り入れることが、月花の学んだ料理の秘訣だ。
実際、この付け合わせを食べるようになってから、雨流の性格はだいぶ落ち着いたのだから、雨流はこの店の秘密が知りたかった。それが、今日先ほどの爆という男の食中毒の件で、種が分かった。雨流はげっそりとこけた頬で、月花を見て、笑った。やはり雨流は美しく、なぜ月花の料理屋に来るのかまるでわからない。高貴な人間は、月花のような小料理屋は好まず、贅沢三昧な妓楼に行くのが常だった。
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