第4話 皇帝陛下
「ソナタ、食中毒に詳しいようだな」
「いえ、芋の食中毒は有名な話で」
「だが、あれは俺も知らなかった。ソナタ、もしや、もやしが食中毒の原因になる理由を知っているか?」
「もやし……? あれは、日を当てずに育てた大豆ですので、育てた環境によるもの――例えば、水を適宜取り替えなかったとか?」
もやしは水を吸わせてからよく洗い、太陽を遮蔽した器で育てるが、毎日水を取りかえ、なおかつその際は水の濁りがなくなるまで振り洗いするのが安全に作るコツだ。
「いや、それはない。育てから出荷まで、徹底した衛生管理をしている」
「うーん、ならば、もやしに見せかけた、誤食ですかね」
「誤食。ソナタ、見たらそれがもやしでないかわかるか?」
雨流がやけに前のめりに聞いてきて、月花は後ずさりする。なにやら、面倒なことを押し付けられそうな気がしたのだ。しかし雨流は月花の目をまっすぐに見て、どこか切羽詰まっているような雰囲気さえあった。外套の奥に光る瞳は、月花と違ってやや紫色がかっていて、紫水晶のように美しい。もしやこの青年は、水晶の精なのではと思わせるほど、かんばせが美しいのは容易に想像がついた。
「食べれば、わかるんですけどね」
「食べれば……?」
月花がべっと舌を出す。小さな赤色の舌は木苺のように可愛らしかった。雨流が首を右に傾ける。月花は舌をしまうと、
「絶対味覚とか、絶対舌感とか。そう言うらしいです、この舌」
「もしや、ソナタも、『食べたものの材料がわかる』のか?」
「『ソナタも』ということは、雨流さんも?」
「ああ、なんだ、そうか。ソナタの店のカリーも、そのほかの料理も。どれも美味で、なおかつ毎回味付けが完璧だった。ソナタの舌は、すべての味を感じるのだな」
雨流が嬉しそうに笑うも、月花はいい顔をしない。料理人ならばこの舌は誇りとも言うべきだ。なのに月花には、素直に喜べない理由があった。月花の顔が険しいものに変わる。
「そんなにいいものではないですよ」
「なぜだ。料理人は天職だろう」
「私のは、食べた材料以外のものもわかるのです」
「食べた材料以外、とは?」
「含まれる成分、すべてがこの舌に伝わるのです。無味無臭の毒でさえ、この舌には味として感じます」
ほう、と雨流がうなった。月花はうつむき、面倒なことです、とつぶやいた。この舌のせいで、感じたくもない毒や食中毒の成分がわかってしまう。そう言われれば、先程も月花は芋を一口口に入れただけで、芋が食中毒の原因だと断じた。あれは、芋の毒の味を確かめたのだ。知ったとたん、雨流の顔がパッと明るくなる。
「では、今からソナタに確かめてほしいことがある」
「ええ、嫌ですよ。毒ですか?」
「ああ、毒だ。ソナタ、俺が助けた恩があるだろう?」
「そういう魂胆で私を助けたのなら、軽蔑します」
「なんとでも言え」
はっは、と笑って、雨流は月花の手を握った。小さな赤切れだらけの月花の手に対して、雨流の手のひらは傷一つなかった。つるりとした手が月花を握って離さない。月花が手を引くも、雨流は月花を逃がさなかった。
「握らずとも、逃げませんよ」
「念のためだ」
ふたりは並んで歩いていく。五里の道を歩くと都について、段々と、段々と、遠くに見える王宮が近づいてくる。途中から月花も、もしやと思ったのだが、まさか、と懸念を振り払った。
そうして、月花が連れられたのは王宮ある。月花は恐縮して、そろりそろりと足音を殺して歩くので精いっぱいだった。この雨流という人間は何者だろうか。王宮の城門をなんなくくぐり抜けて、何食わぬ顔で歩いている。その二人の後ろから、武官らしき男が音もなく歩み寄ることに、月花は気づかなかった。
「陛下」
「え、陛下!?」
月花が振り向くと、先ほどまでは気づかなかったが、この雨流という青年を護衛するように、何人もの武官や内官がぞろぞろと歩いてきている。十はいるだろうか。みな、ほっとしたように脱力し、ぞろぞろと雨流を取り囲む。後宮に入ったため、武官も女官も内官も身を隠す必要がなくなり、ようよう雨流の周りに集まってきたのだ。絹の衣が冬の太陽にきらめいて眩しかった。
「お、お許しください!」
月花はその場に頭を下げて、皇帝陛下に拝礼する。雨流は頭から被っていた外套を脱ぎ去った。龍の衣に、冠簪。かんばせは美しく、黒黒した髪の毛は黒真珠のように美しかった。まるでこの世のものとは思えない出で立ちに、月花はその場にひれ伏した。
先の件で、雨流は腹を下し嘔吐した。皇帝の身体は皇帝のものであって民のものであり、天のものだ。それを傷つけたとあったのなら、死罪に処されて当然だ。はっは、と雨流が大げさに笑った。今日はよく笑うな、と月花は打首を覚悟で引きつった笑いを漏らした。
「よい、ソナタに知らせる予定はなかったのだが」
「へ、陛下がわたくしのような平民に、どのような御用でしょう」
「なに、先も言ったではないか。食中毒を調べてほしい、と」
「し、しかし、わたくしのような平民の言葉など、説得力に欠けるかと」
雨流が右手を上げると、内官が月花を立ち上がらせた。月花は目だけを伏せて、雨流の前に立ちすくむ。断っても、間違っても、食中毒を証明できなくても、月花の命はないだろう。そもそも、先の無礼を詫びるのなら、月花も命懸けでそれに応える必要がある。食中毒を明かせと言うのなら、死んでもそれを証明しなければ。
「へ、陛下……その、食中毒に遭った方というのは」
「ああ、わたしの母上だ」
月花は腹をくくった。ここまできてしまった以上は、この皇帝陛下に逆らうことはできないだろう。雨流への借りを返すより先に、これは命令なのだと思った。この国の唯一の太陽である皇帝の言葉に逆らえるものはいない。月花は拱手礼をして、「誠心誠意、努めます」震える声で答えるのだった。
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