第18話 エピローグ

ひゃばい。

ひゃばい。

ひゃばい。

シャグリが、ナタナエルの耳の上を愛おしそうに、舐め続ける。

「戦場まで着いて来るんじゃなかと心配していたのですが、ちゃんとお留守番をしていたとは、偉いですわね」

 シャーロットは、姉の座る椅子に後ろ足、肩の上に前足を掛ける猫の背を、するりと撫でる。

「それは違うぞ、シャーロット。ちゃんと留守番をしていたら、今頃は餓死しているはずだ」

「シャグリの家は、アムベリーのすべての家屋」

 グレイスが、姉の手にあるアラバスターの杯に蜂蜜酒を注ぎながら話を続ける。

「つまり、鶏舎、牛小屋、馬屋も含む」

「シャグリの家は、この屋敷だけで十分ですわ」

「あぁ、そういやぁ、鶏の数が少なくなっていたなぁ」

「姉様、お黙りください」

「猫は狩人」

「てゆーか、この村の真の主人は、シャグリなわけだ…あ、全然関係ないけれど、今朝方、隣村の若者連中が抗議に来たぞ」

「それは、穏やかではありませんわね」

「先月、ウチの従者が手勢を連れて、航路から物資を調達してきた一団を襲ったとか、襲わないとか」

「襲った、に確定ですわね」

「ルイス、うっかり者」

「うっかりで隣村の若者を襲われては、困りものですわ。確か、ランゴバルドの商隊を正体を隠して襲った、とか抜かしておいででしたわよね?」

「商隊を、正体隠してご招待」

「グェス、上手くまとまらないのでしたら、黙っていてくださいまし」

「実はクリューニの商隊だったんじゃないかって、あん時は心配してたんだが…当分は、荒れそうだな…まぁ、あたり一面、どこもかしこも戦争中なんだし、どの道大差ないかぁ」

「世も末ですわね」

「ランゴバルドは、クリューニと連合を組んで、アマーリエ地方を侵攻中。隣村を敵にするより、マシだったかも知れないという可能性について」

「はい、黙ってくださいましね。それより、姉様はこんなにのんびりしていて、良いのですか?」

「ふぇ?なんでぇ?」

「騎士なんですから、妹相手とはいえ、そんな間抜け面を白昼堂々、晒さないでくださいまし。姉様はご自分の意思で、ラバーニュ卿の麾下に入ったのでしょうに。砦は、必ず再度の侵攻を受けますわ。何も手を打たずに、クリューニがアマーリエの奥深く、ハロルドへ向けて進軍するはずがありませんもの」

「ラディッキオを攻め陥せなくても、封鎖は必須事項」

「まぁ、用があれば呼ばれるさ。ジルネット侯爵との離縁は避けられないし、クリューニ一派からの報復だってあるかも知れない。ひとまず、根城を固めろ、というのが我らが大将からのお達しなんだし。だからこうやって、根を張ってるわけで」

「しかし、クラーレンシュロス伯は劣勢」

「今は、な。辺境での生存が確認されたって話だ」

「それどころか、辺境各地を征覇し、逆襲のための基盤をお造りになられている、という情報ですわ」

「相変わらず、シャーロットの情報はすげぇな」

「姉様が、グェスのことを愛称でお呼びになったことも、存知ておりますの」

「ぇ、言ったか?」

「姐御は、確かに言いました」

「わたくしの事も、愛称でお呼びになって欲しいものですわ」

「名前には、意味があるんだ。だから名前は、正しく使うべきだ」

「ラバーニュ卿の従者だって、愛称でお呼びになったくせに…」

「本当かぁ?いつだよ?」

「紅茶をご馳走される前ですわ」

「…ぉぃ…ちょっと、待て。なんで、シャーロットがそれを知ってるんだ?」

「姐御は、ロッテ姐が情報通であるところの起因をまだ、知らない」

「ちょ、余計な…」

「まさか、魔法を使ってるのか!?」

「こほんっ…そんな事よりも、その辺境征覇中の女騎士団長のことですが、どんな方ですのかしらね」

「お前、どうせ知ってるんだろ?」

「知りませんわよっ。だから、心配なのです。姉様がお世話になる主人だというのに」

「うわっ、抜け毛、すげぇな…」

「シャグリは、衣替えの時期なのですわ」

「…ん、なんだっけ?騎士たちの言葉によると、なんでも、サバサバしてるらしい。でも、ラバーニュは陰気臭い女だと言っていた」

「ラバーニュ卿の言葉は、信用できませんわね」

「俺、女にモテるぜ」

「それを公然と言える殿方は、きっと女性に幻想を頂いておいでなのですわ」

「つまり、女性を見る目は、アテにならんと?」

「言わずもがな、でございます」

「姐御なら、百戦錬磨の騎士たちにも、遅れは取るまいぞ」

「まぁ、人間相手なら、そこそこ自信あるしな。蛮族だって、何とかなるんじゃないかなぁ?…流石に、竜を倒せ、なんてことは、ルイーサ騎士団長はおっしゃらないだろう。知らんけど」

「そんな最強魔獣が、まだこの世にいれば、のお話ですけどね」

「竜殺し、は西方最強の称号!姐御に期待!」

「やめろ、拝むように私を見るな。身の丈は心得てるさ」

「ロッテ姐の情報網によれば、ラバーニュ卿は、狐男爵に劣らぬ、たぬき騎士とか」

「そりゃ、人を騙して私腹を肥やす、という意味か?私が鞍替えしたばかりの相手を、よくまぁ…」

「こほんっ。もちろん、商才がある、という、いい意味、ですわ」

「どうだか。そういやぁ、あの後、なんで商人の家なのに騎士を目指したのかって、尋ねたんだけど」

「姉様には共感するところが、あったのですね…で、なんと?」


「俺は、自分の知らないところで、他人が上手くやってるのを見るのが嫌いだ。何で、俺がそれに関わっていなかったのかと、悔しさを覚えてしまう。戦争は究極の政治であり、暴力を背景とした政治は、あらゆる利権を簡単にひっくり返す力がある。その中心に居座るために、騎士になってやった」


「…かなりの、問題発言ですわね」

「でも、私はそん時、思った。城代まで登り詰めるような奴は、こういう自己中心的で、身勝手で、傍若無人な振る舞いができて、尚且つ、それでいて周囲からも慕われるような特殊な才能の持ち主でないと務まらないんだなって」

「素直に生きる者は、返って好意を集め、過ちを犯しても許され易い」

「ある意味、今回の件で真の不幸者は、僭主の女主人、であったかのかも知れませんわね」

「悪霊の方で、なくてか?」

「姉様が申し上げていらっしゃった推察の根拠は、あくまで為政者として成功できる部類の、男性と女性との違い、でしたわよね。他人から買った恨みを忘れる事が出来ずに、その後の人生ずっと、報復に怯えるような人間は、男性にも少なからず、いるはずですわ」

「小人閑居して不善を成す」

「…辛辣じゃないか?」

「人の上に立つと言うことは、相応の重責が伴います。少なくとも、くだんの僭主は、そうでなかったからこそ、心を病んだのですわ。これが例えば、ラバーニュ卿なら、きっと平然としていたのでしょうに」

「姐御もお気をつけください」

「だから、身の丈は、心得ているよ…私は、自分が居心地が良い、と感じたところに身を置くことにしている。この、シャグリと同じで…ところで、民兵の訓練はちゃんと捗ってるのか?」

「ルイスのお役目」

「そのルイス・イーノックが些か頼りありませんので、ちょくちょく、わたくしも顔を出していますわ。現在のところ、教練を5回以上受けた者は、60名ほどかと」

「短期間で、見上げた成果」

「あたり一面、戦争だらけだ。みんな、腹を括ったってわけだな」

「姉様は、どうなのです?辺境騎士団の一員ともなれば、ここを出て、遠い地にて戦争に明け暮れる毎日が待っていることを、お忘れではないですわよね」

「分かってるよ。その時には、二人を連れていく訳にも行かないってことも、な。二人には、アムベリーの民と協力して、ここを守ってもらわないといけない」

「やはり、どうしても、ダメですのね」

「敵を作りすぎた。留守にはできない」

「願わくば、その日が少しでも先で在らんことを」

「何、今日ってことはないだろ。だから、もう少し、蜂蜜酒を…」


 突然、屋敷の扉が叩かれ、ルイスが血相を変えて転がり込んで来た。

「た、大変です。ランゴバルドの軍が、ラディッキオを包囲したと、今し方、伝令が…ナタナエル卿には、すぐにでも御出立のお支度を!」

 三姉妹は、互いに顔を見合わせると、切なく微笑んだ。

「仕方がないさ。ちょっくら、行ってくるよ」


 

 双子を残し、ルイスと共にアムベリーの村を出たナタナエルが、再び自領に戻るまで、実に8年の歳月を費やすことになろうとは、この日の三姉妹には思いも寄らなかった。

 その頃には、双子たちは16歳を迎え成人し、ナタナエルは三十路を迎えることになる。

 しかし、それはまた、別の機会に語られるべき話である。



「ご無事のお帰りを、セレスティーヌにお祈りしておきますわ」

「調子に乗って、また厄介事に首を突っ込まぬよう、クロエに願う」

「あぁ、じゃぁそのついでにもう一つ、女の敵を作らずに済むようにとも、願っておいてくれ」

「女性は、怖いですものね」

「違う、女性が、最強」

「なら、私は最強の騎士だ」

「そうやって、すぐにお調子に乗るのですわ」

 シャグリが、ニャァと鳴く。

 ギャンビット家の三姉妹は、互いに顔を見つめ合い、そして笑った。



 ナタナエルは小物騎士(了)

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ナタナエルは小者騎士 小路つかさ @kojitsukasa

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