第14話 牢獄
見張りの守備兵6人を連れて、ナタナエルはドンジョンに現れた。
会話を許されていたのか、彼女が現れた時、牢内は賑やかであったが、村人たちが領主の姿を認めた後には、さらに騒然となった。
「ナタナエル様だ!」
「どうか、牢から出してください!」
「もう戦いは懲り懲りですだ」
「あっしは、脚に怪我をしてます、ほら、この通り、もう戦えません」
「村に戻りたいです」
「畑も心配です。猪や熊に、新芽を喰われてしまいますだ」
「帰らせてくだせえ」
「帰りたいです」
女騎士は、無言で手を挙げ、彼らが静まるのを待つ。
チラリと、脇に立つ髭面の守備兵に視線を送ってから、咳払いをして話し始めた。
「女々しく泣くな!みっともない!お前たちは、戦に来たんだ。捕虜になったくらいで、弱音を吐くな!まだ戦いの最中だ!私が戦争は終わったと言うまで、逃げることは許さない!」
「そんな…」
小さな声が、どこからか聞こえた。
「誰が、戦死した?」
村人たちは、互いに顔を見合わせながら、知る名前をポツリ、ポツリと語り出す。
「四辻の家のパウロ」
「粉挽の次男のアントン」
村人たちは、周囲の顔をキョロキョロと見渡す。
「…あ、煙突掃除のクレマン」
あぁ、そうだ、とうなづく。
「クリューニ軍に残った重傷者は?」
「グレイス様のおかげで、他の者は皆、動けるまでになりやした。エドメがびっこを引かないと、いけやせんが、歩く程度なら…」
「なら、私を含め、38名は生き延びてくれたんだな。ご苦労だった、ありがとう」
重い沈黙が、ジメジメとした臭いドンジョンにのしかかる。
「ところで、お前たちに言わなきゃならない事がある」
村人たちは、思わず唾を呑み込んだ。
誰も、敵軍の捕虜になった経験を持つ者は、ここにはいないはずだ。
しかし、自らにのしかかる不幸な未来をまるで想像できない、という訳でもない。
例えば、一生を費やしても払い切れない保釈金。あるいは、敵情を知るための拷問。もっと悪くすれば、敵の戦意を削ぐために、見せしめの絞首刑。導火線に火のついた、火薬を身体に巻き付けての突撃兵。
ちょっと想像しただけで、碌でもない未来が、誰しもの脳裏をよぎったはず。
「騒ぐなよ、落ち着いて聞いてくれ。実は、この牢獄は、夜になると霊が出るんだ」
村人たちは、首を捻った。
誰も、何も言葉が出ない。
「あぁ、衝撃だよな。でも、ずっと昔から、この砦の兵士たちを悩まし続けている、怖い奴らしい。いわゆる、悪霊というやつだ。いや、怖がらせよう、って訳じゃない。むしろ、逆だ。皆が泣き喚いて怯える事がないよう、夜になる前に、なんとかしようと、私はこうやって城代と掛け合って、ここにいる」
首を落として、村人はつぶやいた。
「幽霊の…話、でやすか?」
「一体、何の話を…」
村人たちの不信な反応に、ナタナエルは呆れたように、頭を抱える。
「いや、本当なんだって。一晩、ここで過ごしてみりゃわかるんだよ」
守備兵が、ナタナエルの脇を肘でこづくと、彼女は言い訳がましく、早口で捲し立てる。
「んん…だからさ、そうなるともう、幽霊の話ばかりで、全員が盛り上がっちゃうだろう?共通の体験をすることで…それは、ちょっとまずい。だから、私はその前に…」
村人たちの首が、再び大きく傾いだ。
「姐御の言う通り、ここに霊は存在します!」
グレイスが、村人を掻き分けて、進み出た。
「ビンビンと、感じます。でも、姿は見えない。しかし、とても強い霊力を持つ、怨霊の類です」
「確かに、姉様の言う通り、そんなところで寝泊まりしては、心を穢されかねないでしょうけれど、姉様は、いったい、何をしようとおっしゃるのです?」
シャーロットも、グレイスの後に続いて姿を見せる。
「霊退治だ。二人には、協力してもらう」
「霊、退治…ですの?それよりも…」
シャーロットは、ナタナエルの瞳を見つめながら、声に出さずに唇だけを動かした。
お・は・な・し・が・あ・り・ま・す。
ナタナエルは軽くうなづくと、守備兵たちの様子をうかがった。
「姐御がそうおっしゃるのならば、神官位を持つ、不祥このグレイスがお役に立てるやと」
間を取り繕うように、グレイスが珍しく声を張った。
ナタナエルは、守備兵たちに向き直り、命じた。
「開けろ、二人を出してやれ」
すると、髭面の守備兵は、舌打ちをしながら、渋々と錠前を開いた。
「おぉ、さすがナタナエル様だ…牢番を顎で使っていらっしゃる」
村人たちは、砦での彼女の発言力を知り、ひとまずは安堵した。
牢から出された双子は、姉の元に集まる。
「で、私たちは、何をすればよろしいですの?」
シャーロットは言いながら、焦れたように拳を握った手を下に伸ばす。
そんな素振りを片目で見ながら、ナタナエルは牢が並ぶドンジョンを指差しながら言った。
「ここのどこかに、隠し部屋があるはずなんだ。シャーロットには、それを見つけて欲しい」
戦場にも簡易ドレスで出陣する小さな女貴族は、姉の指先を追いつつ答えた。
「そうはおっしゃれても、わたくしが学会から学んだのは、新興魔術ですのよ。盗賊の真似事のようなことは、むしろ姉様の方が得意ではなくて?前の家で、よく食糧庫の鍵を…」
「みんなの前で、人聞きの悪いことを言うな。隠し部屋があるはずなんだ」
シャーロットの言葉を遮ると、守備兵たちが見守る中、ナタナエルは手を後ろに組んで歩きつつ、説明を始めた。
「しかし、鍵は見つかっていない。そうと分かるものがあれば、それがどこの鍵であるか探すはずだ。でも、鍵も部屋も、未だに見つかっては、いない」
「魔法による隠し部屋だと、おっしゃりますの?」
「そうだ。初歩的で、古い魔術だと思う」
「ならば、話は簡単ですわ」
彼女は、懐から小さな木の棒を取り出した。
守備兵がぼやく。
「武器を持っていたのか」
「ただの、木の棒、ですわ」
シャーロットは目を伏せ、古代語の呪文を口ずさむ。
それは、こんな場所で聞くと、なぜか背中に悪寒が走るような、不穏なイントネーション。
魔術師が霊力を込めて丹念に育て上げたワンドは、魔力の収縮と移動を助け、その速度と精密性を格段に高める効果を生み出し、事象に干渉する際に起こる「反動」による穢れをも緩和する。
彼女が視線を上げると、その青い瞳には、うっすらと、黄緑色の光の輪が生まれていた。
クリノリンスタイルのドレスの少女は、スッと手をあげ、薄汚れた石壁を指差した。
「あそこに、隠蔽の術と、施錠の術がありますわ。術式は古風で単純なもの…故に効力は長く、ゆうに数百年は持続しますの」
ナタナエルは手を握りしめて、言う。
「じゃぁ、それを…」
「もう、解きましたのよ」
皆の視線が、壁に出現した鉄の扉に釘付けとなった。
「扉が…」
守備兵の呟きは、些か間の抜けたタイミングだった。
「鍵も?」
「えぇ」
姉の問いに、シャーロットはさもありなん、と答える。
「古代の魔術を、そんなにあっさりと解けるのか?」
守備兵が、感嘆の声を上げると、シャーロットは貴族令嬢の礼をして返す。
「学会は、常に新しい魔術を研究しています。その成果を知らしめ、権威を高めるために、最も有効な手段は、何だと思われましょう?」
「サロンでの、発表ではないのか?」
守備兵の答えを、シャーロットは小さな白い指を振って否定した。
「そのサロンで、何を、発表するか、なのでございます。答えを申し上げますと、既存術式の解呪方法と、それに併せて、それによって解呪不可能な、新たな術式のお披露目ですわ」
「イタチごっこな訳だな」
「そうですね。特に施錠、隠蔽、遅効性の呪いの類は、古い術式の解呪方法の開示と、新術式の解呪方法の隠匿が、ひと組になって繰り返されるものです。常に新しい術式を学び続けなければ、術式は古びてしまい、誰もがすぐに解呪できてしまうものとなる。それが、学会が門下生を繋ぎ止め、その数を増やし続けるために取る常套手段なのです…まぁ、世知辛い言い方をすれば、利権の担保、ですわ」
「覚えたら、終わり、ではない。一生、学び続けるのは、人生もまた同じ」
グレイスが、神官らしい事を、10歳にも満たない唇から吐き出した。
「さて、じゃぁ、今度はグレイスの番だ」
「合点承知」
グレイスは、クロエのトリスケルを手に握り、扉の前に立った。
しばし、そのまま立ち止まる。
「…私の超感覚は、セービングの難易度が高いことを示している」
「何だよ、超感覚って…」
誰かが小声でツッコミを入れるが、少女はそれを無視して振り返ると、姉に告げた。
「彼女を理解する必要がある。人物像を知るための情報が欲しい」
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