第11話 怨念

 その昔、この砦がラディッキオと呼ばれるようになる前の話。

 クラーレンシュロス伯に忠誠を誓う、正統な領主がおり、ここをその居城としていた。

 彼の統治は公平で、人格は大らかで人好きな性格。おかげで、民たちは大いに安らむ。

 しかし、問題がまるでない訳では無かった。

 女性に大変、モテたのである。

 正妻はすでにいたが、その他に愛人ともなれば、減ったり増えたりを繰り返しながらも常に20を下らず、安定した統治と繁栄を基盤に、領主は床の楽しみを謳歌していたのだった。

 その派手な女性付き合いも、いずれ終止符が打たれる。

 妻を奪われた男が、彼を殺めたのだ。

 その襲撃は入念に準備されたものだった。


 まず彼は、領主が掛かり付けにしていた医師に接近した。

 巧みに賭博場に誘い、その魅力に誘い込んでから、大きな借金を担がせる。

 すると、その借金を肩代わりする代わりに、自分に医師の勉強をさせて欲しい、とねだったのだ。

 西方世界の医師とは、祭事を主とする神官とは異なり、守護神の恩恵の力を借りると共に、人体の構造をも研究する、治療回復に特化したエキスパートたちだ。

 しかし、下手をすれば彼らの行いは誤解と偏見を招きかねない。故に彼らは容易にその秘術を人へ教えず、医師を専業とする者たちも極めて稀な存在でしかない。自分は、ずっとそれに憧れていたのだ。と、男は借金を厭わず、彼に協力する理由をそのように説明したという。

 最も、没落貴族でしかない彼に、債務履行の能力があったとは疑わしい。だが、医師はそれを信じた。信じるより他に、むしろ道は無かった。お布施や、徴税が可能な神殿とは異なり、マイノリティな存在である医師には、身分が高く、支払いのいい上客の患者は稀なのだ。

 そんなこんなで、男は週に何度か、砦内に公然と入ることができる権利を得た。

 砦内と、医師の食事に遅効性の下剤を混ぜ、やがてその効果が発する深夜に「領主の元へ至急、参じるように」との通達を受けた時には、すでに準備万端であったことだろう。

 診察の結果「伝染する恐れがある」と偽り、守備兵たちを退室させると、彼は悠々と領主を殺めたのだ。

 領主の血縁にあたる者たちも、同じ要領で始末すると、賭場で集めたごろつきたちを呼び寄せた。


 彼は、不届き者と槍を向ける守備兵たちに、高らかと宣言する。

 自分はこの土地に古くから続く、貴族の血統である。

 長く踏み躙られていた正統な権利の行使を、今夜、先祖たちの祝福を得て実行せしめり。

 数年越しの復讐をやっと果たした男は、厚顔無恥にも僭主を名乗り、砦に居座った。


 たちまち、領土は荒れたという。

 離反する配下、村人たち、近隣の諸侯らの侵略を阻止できずに奪われた土地、さらには、伯からの政治的な圧力を受け、風前の灯となる。だが、僭主は起死回生のため、孤軍奮闘し、意外な才能と躍進を見せる事になる。

 まず初めに、前領主が裏で行って来たという、数々の穢らわしい汚職、猥褻、裏切り行為を次々と暴露し始め、代わりに清廉潔白な新領主としての態度と振る舞い、軍事行使、経済支援策においては己の力量を懸命に誇示し、特に伯に対しては慎重に関係性を築き、やがて恭順の姿勢を認知させるに努めた。

 その多くは、でっちあげであっただろう。

 しかし、数年の後、大きく衰退したとはいえ、再び、僭主のもとでこの土地に平和が戻る。

 だが、表向きは無害を装っていた僭主であったが、裏で粛々と進め続ける暗い行いがあった。

 実は、領主を殺めた夜に、殺し損ねた血族がいたのだ。

 平民との密かな関係を築いていた娘の一人が、逢引きのために不在であったのだった。

 それ以来、その娘の所在は知れないまま、数年が過ぎていた。

 僭主は、正統なる血筋の娘の登場を恐れ続けた。

 情報を知るであろう者を捕らえては、ドンジョンに縛りつけ、拷問を加えたという。

 

「その者たちは、何でも百人にも上り、この砦の地下深くに今でも怨霊となって、彷徨い続けているのだとか…」

 テラスペールは、上目遣いでナタナエルに向けて、そう締め括ると…。


 ドンッ!


 建て付けの悪い扉を、勢いよく開いて守備兵がやって来た。

 細い悲鳴を上げたのは、テラスペールだけだった。

「もう、暗くなります。不慣れでしょうから、そろそろ戻るように、ささやかな夕食もご用意があるから、とラバーニュ卿からのご伝言です」

 彼は股間を抑えるテラスペールを痛々しげに見やりながら、ナタナエルに告げた。

「分かったわ、すぐに向かうとお伝えを」

「承知いたしました。それと、これをお使いください」

 守備兵は、テラスペールにランタンを渡した。

 守備兵が戻ると、ナタナエルはすっかり暗くなってしまった部屋の窓から顔を出し、鎧戸を引き出して、しっかりと閉める。

「で、その話は…どこまでが本当なの?」

 一仕事を終えた女騎士は、灯りを持つテラスペールの側を通り過ぎながら言う。

 彼女に続き部屋を出た彼は、扉の閂を戻しながら、反論した。

「嘘なんてないですよ。信じないのですか?今でも、夜な夜な、怨霊の声が聞こえてくるんです!」

 オレンジ色の灯りに浮かぶ女騎士の顔は、ひどくジト目だった。

「じきに、分かりますッ!」

 テラスペールはご立腹のご様子で、足早に先導を務めた。


 夕食は、晩餐というにはあまりに侘しく、宴というには、あまりに淑やかだった。

 猪の肉の塩漬けと、根菜を煮込んだスープ。

 薄めた葡萄酒が木杯に注がれたが、誰も深酒はせず、話題はあくまで業務連絡でしかない。

 数倍の兵を相手に籠城戦をしている最中だということを、ナタナエルは今更ながらに思い出した。

 挨拶を交わされただけで、誰も彼女を疎む者はなく、ラバーニュさえ、杯を挙げて合図を送ってきたきり、騎士たちとの静かな会話に集中してしまっている。

 ナタナエルは、妙な居心地の良さを覚えた。

 絶えず監視の目を怠らない、世話焼きの双子がいない所為…ではない。今まで、双子のことを疎ましく思った覚えはないからだ。妹たちは、いつも精一杯に自分たちに出来ることを模索している。

 では、いったい何故だろう…?


「眠そうだな、今日は流石に疲れたろう。気にするこたぁない。先に休め」

 

 頬杖をついて思案する彼女に、ラバーニュが声をかけてきた。

 言われてみれば、今朝は城壁を踏破して、初陣を飾ったのだった。

 魔術で意識を失い、治療の奇跡を受けた所為か、疲労はそれほどでもなく、怪我の痛みもない。強いて言えば、起伏の多い砦を歩き回った疲れが、少しある程度。

 だが、客人待遇とは言え、敵方の人間だ。

 そんな奴がいては、話したいことも話せまい。

 ナタナエルは勧めを素直に受けることにして、席を立った。


 夜半、目を覚ます。


 充てがわれた寝室は、小さな部屋だが清潔で、立派なベッドも、厚手の毛布もある。

 石材を伝って、アリュールを歩く兵士の足音が伝わってくるくらいで、外も風がおさまり、静かなものだ。

 だが、いや、だからこそ、聞こえたのだ。

 

 “あの声“が…。

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