第9話 城代
「あの外枡の部分だけ、石材の色が新しいように見える」
ナタナエルは、城代の間にあるクリスタルガラス越しに、砦の全容を見ろしながら、そう指摘する。
「俺が増築させた。えらい、金をむしり取られたがな」
答えたのは、城代ラバーニュ。
周囲には、彼の同僚となる騎士たちの列。そして、壁際には従者たち。彼らは、敵軍の騎士を来賓に迎えての接待、の最中なのだ。
「枡形は、あと3つもあったのか…まずは相手を三分割と小分けにして、飛び道具と馬出しで消耗させる。枡形の3つを突破された後は、最後の一つで、あえて相手を合流させて、馬出しと飛び道具で再び蹂躙する造り…まさに、最終試練。えげつないなぁ」
「単に斜面の面積と、金の問題もあったんだがな…。それはさておき、お前の活躍ぶりは、ここからたっぷり楽しませてもらったぜ」
ナタナエルは、振り返って腕組みをした。
「それで…?私にいくら払わせるつもり?」
「さっきも言ったが、お前には大金がかかっている…正確には、かかる恐れがある」
ナタナエルはエメラルドの瞳を、半分隠して眉間を寄せた。
「お前の動きを止めるために、学会から雇っていた魔術傭兵に石化を依頼した。石化ってのが、そういう術なのか…あるいは距離的に、かなりの負荷があったのかも知れない。おかげで、身体の半分が蕩けちまった」
「…とろける?」
「あぁ、こんな風に」
ラバーニュは、おどけた酔っ払いのようなジェスチャーをしたが、まるで伝わらない。
「穢れの反動…ってこと?」
「そうだ、その通り」
人差し指を差して、ラバーニュは同意する。
「反動は、戻る時もあれば、戻らない時もある。お前の石化も、実はそうらしい。戻る時もあれば、ずっと石のままである場合もある。その点、今のところ、お前の方が運が良かったらしい。身体を溶かされた魔術師も、大損こくかも知れねぇ、俺も、どうやら運が悪い」
「私が溶かしたわけじゃないだろ。自業自得だ。それに、大損こくか、こかないのか、どっちなんだよ」
ラバーニュは鼻頭を掻きながら、目を寄せておどけてみせた。
「魔術師の身体が変異して戻らぬ場合、その状態に応じて、雇い主に賠償金を請求する。そういう契約書なんだ。だから、普通は無理な要求を魔術師にはしないものだ」
「よほど、私を恐れたのか?こんなにまだ、距離があるのに」
「あのままだったら、死んでたろ」
「え?」
ラバーニュはすたすたと歩き、大広間の中央まで移動した。
「来い、腕試しをしよう」
ナタナエルは、首を突き出して笑った。
「捕虜とか?」
ラバーニュは、若干面倒臭そうに、黙ったままうなづく。
周りの兵士たちから、ため息が漏れた。
「武器がない」
ナタナエルの言葉に、ラバーニュは一度だけうなづくと、自らの帯剣を外し、歩み寄った兵に渡す。ラバーニュも全身甲冑は着ておらず、下着姿から上着姿へ昇格しただけのナタナエルと大差ない装備だ。
「素手でやろう」
彼の言葉を聞くと、ナタナエルは部屋の中央まで進み、手足を軽く揉みながら言った。
「…正気か?相手は女だぞ?」
ぷっと、ラバーニュが吹き出すと、ナタナエルはムッとした。
ラバーニュが自然体で近づく。
手が届く距離になった瞬間、その姿が左右にぶれた。
右拳のジャブが、咄嗟にのけぞったナタナエルの前歯に当たる。
「女性の顔だぞ、少しくらい遠慮するもんだ」
言いながら、ナタナエルは風のような左ジャブを送り出す。
スウェーで躱したラバーニュの左頬に向けて、半歩進みながら打ち込んだ右手が襲う。
ラバーニュは、それを左手で防御。
次の瞬間、その左腕を押し倒す勢いで、ナタナエルの右脚が強打を繰り出した。
兵士たちから、おお、と歓声が上がった。
首筋を労る素振りを見せながら、ラバーニュがにっと笑う。
ジャブ、フック、上段の防御を固めた途端に、ボディと、容赦のない連打がナタナエルを襲う。
頭が下がったところへ、左膝が強襲し、ナタナエルは両腕でそれをガードする。
しかし、膝蹴りには思ったほどの打撃力は無かった。
上段の防御が下がった瞬間を死角から狙う、トドメのフックが、本命であった。
そのフックは、空を切った。
代わりに顔面に食らったのは、ラバーニュの方だ。
ウェービングでフックを躱したナタナエルが、身を起こしざまに左ストレート打ち込んだのだ。
下がったラバーニュとの距離を詰めながら、さらに右ストレートを打ち込む。
そして、蹴り。
先ほどとは、軌道が異なった。
上段をカバーしようとしたラバーニュの、脇腹を狙う動きを見せたかと思うや、膝先が鞭のように回転し、上段へと変化する。
ラバーニュは手首でそれを受けたが、頭部へのダメージは免れない…と見えた。
ラバーニュはナタナエルの足を掴み、身体を回転させた。
ナタナエルは左足を蹴り上げ、自身の身体も同調させる。
二人の身体はタイル張りの床に倒れ込み、足をバタつかせながら、体勢を互いに変化させ合う。
短い悲鳴が、ナタナエルの口から漏れた。
二人の動きが止まると、ナタナエルは背中をラバーニュに乗っかられた形で、腕を捻りあげられていた。
「降参か?」
ラバーニュが尋ねると、ナタナエルは逆手で床を叩き、その意思を告げた。
勝者は拍手を贈られながら、敗者の手を取り、立ち上がらせる。
「いい動きだった。ギャンビット家の者は、皆、徒手をやるのか?」
腕を労わりながら、ナタナエルは首を振る。
「私くらいだよ」
「そうか、それは安心した」
ラバーニュは帯剣を受け取ると、兵たちに命じる。
「さぁ、お前たち、お楽しみの時間は、もう終わりだ。持ち場に戻って襲撃に備えろ」
甲冑を着た者たちが、互いに会話をしながらゾロゾロと移動を始めるが、10人ばかりの軽装の男たちはこの部屋に残るようだ。ここが持ち場なのか、あるいはラバーニュの従者たちなのだろう。
「私は…?」
ラバーニュは振り返って、女騎士の質問に答える。
「好きにするがいい。案内役は下人を一人、つけてやる」
騎士の一人が、踵を返して異論を述べに戻って来た。
「ラバーニュ卿、それは些か…」
「彼女はジルネット侯爵麾下の騎士だが、生まれは貴族だ。牢獄に閉じ込めるのは、忍び無かろう」
「では、見張りを」
詰め寄る騎士の胸に、ラバーニュは人差し指を当てて言い返した。
「何人付ける?」
「…は、人数ですか?」
「騎士の捕虜一人に、何人の見張りを付けるんだ?彼女の腕前は、たった今、見たろ?剣を持たせれば、並の兵士じゃ相手にならん。だからと言って、剣を返さねぇ訳にもいかん。そして、俺たちには人手が足らん。一人に対して、3人も4人も付けたら、採算が合わねぇんだよ」
ナタナエルが騎士に「私はどちらでも」というジェスチャーを送ると、騎士は諦めた素振りを見せ、立ち去った。
「その代わり、砦からは出るな」
「了解」
「テラー、お前が相手をしろ」
部屋の片隅から、栗毛を短く刈りそろえた可愛い少年が走り寄る。
「騎士見習いのテラスペールと申します。ラバーニュ卿にお仕えする者の一人です。何なりとお申し付けください」
頬の赤らみも消えぬ、まるでひよこのような子だと、ナタナエルは思った。
「よろしくね、テラー。では、まず、甲冑を着たいのだけれど、手伝ってくれる?」
「もちろんですッ!」
ナタナエルはさっさと、脱いだ上着を椅子に被せ、下着姿になる。
先ほどまでの雑多な空気はどこかへ消え失せ、司令室は暖かい日差しの中でゆっくりと戯れる、小さな埃たちの世界となる。
窓からの逆光の中、着替えを始めた彼女をしばし見つめ、ラバーニュはふと、思い出したかのように動き出した。
「じゃ、またな。巡回に行ってくる」
それだけ言い残すと、彼は甲冑も着ずに軍装のまま出て行った。
甲冑を纏い、剣を取り戻したナタナエルは、砦の散策をすることにした。
実のところ、帯剣は誰かが落としたものなのだが、それは黙っておくことにする。
初夏の太陽はせっかちで、夕刻にはまだ猶予があるというのに、さっそく黄色味がかった光を地上に投げかけていた。山肌を降りるてくる風は、丘で感じた時よりも涼しく、甲冑姿で歩くに丁度良い。
適当に歩いて扉を開くと、パラペット上のアリュールに出た。
この砦は、山の斜面をそのまま利用して、幾つもの枡形に分かれており、その数ごとにこのような細いアリュールが続いているようだ。
これは、散策のしがいがありそうだ。
「この砦の探検ですか?」
ぴたりと後ろから着いてくる、テラスペールが訪ねてきた。
「そうね。敵情視察と、砦の防衛力を調査するの。構造も知っておかないとね」
「この砦は、とても複雑ですから、記憶するには数日はかかりそうですね」
ナタナエルは小さな従者を見下ろし、プッと笑った。
テラスペールは、小首を傾げる。
ナタナエルが歩き始めると、彼はまるで、子犬のように小走りで追いかけた。
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