第7話 枡形
ナタナエルが足を踏み出すと、急拵えの梯子はギシギシと音を立てて揺れた。
アーメットが邪魔をして、梯子の上が良く見えない。
目を大きく開いてバイザーの隙間を見上げると、どっと流れ始めた汗が、容赦なく目に入って来る。
ガツンガツン、と何かが頭頂部にぶつかり、そのたびに首筋の骨が軋んだ。
ポレインという膝当てのパーツが、梯子にぶつかり、泥がこびり付いたフェルトのソールがよく滑る。
それでも、ペースを落とす事なく、ナタナエルは登り続けた。
…が、途中で腰に重みを感じ、体が動かなくなる。
誰かが、下から掴んでいるのだろうか?
バイザーの視界からは、確かめられない。
「なんだよッ、くっそ!」
梯子をメキメキと折りながら、ナタナエルは強引に上に登った。
すると腰の重みが急に無くなり、再び登ることができるようになる。
ふと、横を見ると、登頂途中に梯子を槍で押し戻された者が、悲鳴を上げながらバイザーの死角へと消えていった。
「ははッ!…はははッ!」
若き女性騎士は、笑いながら梯子を登る。
閃光が、バイザーの隙間からパシッと差し込んだ。
伸ばした右手が梯子を掴み損ねた。
そこにあったのは、クレノーの石。
梯子をもう一段登ると、右側のメルロンを掴むことができた。
パラペットの上まで、登頂したのだ。
「やったぞッ!」
言うも束の間、革鎧を着た兵士が、斧を振り翳して襲いかかった。
ナタナエルは咄嗟に身を屈めると、頭から相手の腹にぶち当たる。
斧は火花を上げながらメルロンの岩を砕き、その破片を飛ばした。
身を捩って左手を天に突き出すと、その手で守備兵の両腕を抱え込む。
斧の重みで前倒しになった守備兵を、ナタナエルはパラペットから引きずり落とした。
自身も不意に足場を失い、あわや落下、というところで、メルロンを掴んで堪える。
力一杯に踏ん張った上に、落下した守備兵が掴んだ所為で、登っていた梯子が横倒しになってしまったのだ。
「あぁ、ごめん…」
彼女の後を追って、登頂途中だった味方も、梯子と一緒に地面へと落とされてしまう。
シャーロットが、馬上で元気よく跳ねていた。
「上から見ると、馬は目立つな…」
ナタナエルは、ふと、そんなことを思った。
だが、シャーロットの手と、グレイスの手が、同じ方向を向いている事に、ようやく気づく。
そちらを振り返れば、守備兵の一団が槍を手に、ナタナエルに挑んで来た。
「戦争らしくなってきた!」
彼女はパレペット上のアリュールに立ち上がり、さっと身構えると、颯爽と剣を抜きはな…抜き…。
「ありゃ?」
剣が、腰帯ごと無くなっていた。
「あれーッ!?剣はッ?」
うろうろする女性騎士の姿に呆れたのは、敵守備兵たちの方だった。
味方同士、互いに肩をすくめ合いながらも、容赦する必要なし、と結論づけた彼らは武器を構え直して騎士に詰め寄る。
ナタナエルは、絶体絶命。
「あ…ちょっとだけ、待ってくれないかな?」
守備兵たちは、髭に覆われた口を緩ませながら、黙って首を振った。
「だよね…」
もう、飛び降りようかな…そう思って下を覗いた彼女は、自分の名を呼ぶ声に気づく。
見れば、大きく振りかぶったルイスが、彼女に向けて、槍を投げ付けるところだった。
日差しを反射した穂先が、まるで電光のようだ。
思わず腰が引けた彼女の目の前で、ルイスの槍は失速する。
「メルビリュ!」
守備兵たちは、ぼうっと様子を見ている訳ではなかった。
彼女が槍を掴むや否や、間髪おかずに切り倒さんと殺到する。
殺到した3人の守備兵たちが、一斉に尻餅をつき、代わりに女性騎士が立ち上がる。
ナタナエルはブンブンと音を立てながら、颯爽と槍を構え直し、カーテンウォールの下の味方に向けて拳を振り翳した。
農民兵たちは、喝采を浴びせ、我も続かんとばかりに梯子に手をかける。
アリュールには、すでに登頂を果たしていた味方もいた。
その数も徐々に増えていく。
喧騒と高揚で、まるで気が付かなかったが、攻城塔が壁にたどり着いたのだった。
守備兵たちは、女性騎士だけを相手にしていられる状況では、すでに無い。
ナタナエルに脛を削られた守備兵たちは、びっこを引きながら後退した。
騎士は守備兵たちの背中に槍を嗾けながら追うが、途中でやめて、身を屈めた。
落ちている盾や剣を、吟味し始めたのだ。
そこへ、飛来した矢が登頂したばかりの味方を襲う。
矢を放っているのは、10メートルばかり奥にある、櫓だ。
逃げた守備兵たちは、直角に曲がったアリュールを伝って、奥の櫓へと進んでいる。
途中から、アリュールの両サイドにはメルロンが無く、身を晒すばかりか、足を滑らせると落ちてしまう作りになっている。
この防御に適さない高台の通路の事を、バービカンといった。
直角に曲げることで、殺到した敵兵たちが団子状態となり、押し出された者が高台から落下するのだ。
そこへ、固まった敵兵相手に、矢を浴びせる。
ナタナエルが下を見ると、カーテンウォールに囲まれた石畳の空間がある事に気づく。
妙な広さが、気になった。
ナタナエルは盾を構えると、農民兵たちと共に敵守備兵を追う。
だが、最後尾が櫓の門に消えるや、羽橋が上げられてしまった。
その下には、橋台だろうか、細い木製の板が残される。
幅は20センチ未満…渡れるか…?
いや、こんなところで綱渡りのような芸当をしている場合ではない。たちまち、矢の餌食とされる。
「階段があるぞ!」
振り返れば、彼女が通り過ぎた場所に、第一城壁のパラペットに登るための、細い階段があった。それを見つけた農民兵たちが、降りていく姿も。
羽橋で隠された扉から視線を戻し、ナタナエルは階段を降りる事にした。
途中、背中に数本の矢を受ける。
降りた広間では、再び激しい飛び道具の攻撃が待っていた。
無事に櫓の中へ帰還した守備兵たちが、射手に加わったのだ。
ナタナエルは広間を見渡す。
東西に細長い広間には、東に階段、その上に扉。
西には金属で補強された木の壁、羽橋があった場所だ。
悲鳴が轟いた。
矢から逃れようと、櫓の下の死角に逃げ込んだ者たちが、櫓の下方に開いた隙間から、熱砂を受けて暴れ回っていた。
櫓の死角には、マチコレーションという名の殺人孔があるものだ。
熱砂は服や鎧の隙間に入り込み、直接肌を焼く。
油と異なり、後片付けも簡単な定番の兵器だ。
ドシンッ・・・。
地面から足が浮くほどの衝撃が、広間で狼狽える農民兵たちを一喝した。
「扉を破壊しろっ!」
第一城壁の上から、クリューニの副将デオラが叫んでいた。
そこから落としたのは、金属で補強した大木に持ち手を付けた、破城槌であった。
カーテンウォールの上から吊り上げでもしたのか、大した重労働と、事前準備の賜物だろう。
「盾を持つ者は、破城槌の周りを固めろ!」
他の村の騎士たちも広間に駆け降り、農民兵たちに指示を与える。
石畳の上を弾け飛ぶ、敵の飛び道具は勢いを緩めないが、全ての矢が当たる訳ではない。増してや、興奮と疲労で正気を失っている者たちは、多少の怪我をものともしない。戦況全体としては、どうやら、数の差でこちらが押しているように思えた。
破城槌の衝撃音が響いた。
扉の向こう側で身構える守備兵たちにとっては、恐怖の音だろう。
だが、金属で補強された扉は、まだ悠然と聳え立つ。
ナタナエルは、扉の前にある階段が、破城槌の突進力を削っていることに気がついた。
「なんか、嫌な感じだ…」
扉の前は味方の農民兵たちで溢れている。
飛来する矢が、そこへ集中している隙に、彼女は思案を巡らせる。
「なんだ…なんか、気になるぞ」
視線の先には、スロープがあった。
扉と反対側の西の壁。
木製の壁との段差を、石畳のスロープが埋めている。
「階段ではなく、スロープ…あの壁が、ただの壁でない…とすると」
ナタナエルは隣にいた農民兵の手から槍を奪うと、西へと走り出した。
彼女が辿り着く前に、重厚な木の壁は、ガタガタと揺れながら、ゆっくりと動き出す。
壁の左側に、縦にとまっすぐ、光の線が現れた。
「馬出しだ!」
ナタナエルの叫びは、どれほどの兵に届いたろうか。
スロープを駆け登った彼女は、横へ動き始めた壁の下に、勢いのまま槍を突き立てた。
壁全体がわずかに浮き上がり、スライドが止まった。
目の前の隙間から、甲冑を纏った騎兵たちの姿が見える。
スロープで加速した人馬は、東西に長い広間を駆け抜け、歩兵たちを薙ぎ倒すのだろう。
ここは単なる広間などではなく、「枡形」という防衛設備だったのだ。
たちまち、女騎士の身体に矢が殺到した。
盾を翳すために槍から手を離すと、扉に引き摺られてズレてしまう。
ナタナエルは槍の柄を脇の下に固定し、身体を丸めて必死に耐えた。
バイザーの端から、駆け付ける味方の姿が見えた。
「もう少しだ、あと少しだけ、持ってくれ…」
ピキリ、と細い悲鳴を上げる槍に、彼女は祈りを告げる。
不意に、全身に悪寒が走った。
矢では無い。槍でも、熱砂でも無い。
この異様な違和感と、寒気と恐怖…手先の感覚が、急速に失われてゆく…。
「なんだ…どういう…」
バイザーから見える自らの手は、まるで彫像のような石と化していた。
石が、砕けた。
それは、石と化した槍が粉砕される音だった。
扉がゴロゴロと音を立てて開かれ、馬の蹄が石畳を叩く。
農民兵たちの断末魔の声は、聞こえなかった。
その前に、ナタナエルの鼓膜は石となっていたのだ。
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