第5話 挙手

 石化したアムベリーの民たちの中で、シャーロットがいち早く肉体を取り戻した。

「姉様、これがどういう意味だか…」

 ナタナエルの腕を掴もうとする彼女の肩を、グレイスが抑える。

「否、これでいい。どの道、41名だけではどうにもならない」

「でも、何も…」

 双子たちのやりとりを他所に、ナタナエルの表情は得意満面だった。

 上機嫌なのは、もう一人いた。クリューニ男爵だ。

「彼らに続こうという猛者は他におらぬか?どうだ、隣村の者たちが威勢を示したのだ。負けてはならぬと、思わぬのか?」


 農民兵たちは、地面を見据えて黙り込んだ。


「…なんだ、どうしたのだ?彼らだけに、戦わせるつもりではあるまいな?自分たちは安全な場所で、酒でも飲みながら、楽しく観戦するつもりなのか?一体、何の為にここまで来たのだ!お前たちが手にしている、それらは何だ!?ここを開墾して、種でも植えるつもりだったのか!?」

 クリューニの上機嫌は、長くは続かなかった。

 話しているうちに、語尾が尖り始め、眉間に皺が寄る。


「全員参戦だッ!」


 農民兵たちから、悲鳴に似た声があがる。

「半数は後方支援を命じるつもりであったが、貴様たちの性根を鍛えねば、安心して背中を預けることも叶わぬわ!どうせ、傭兵たちが全て片付けてくれると、高を括っておったな!卑しい者どもよ、恥を知れいッ!此度は傭兵は出さぬぞ、貴様たちだけで、城壁を登ってみせろ!」

 副将が近づき宥めるまで、彼は唾を散らして喚き散らした。

 クリューニは副将のデオラに後を任せ、ズカズカと自分の陣営へと帰ってしまう。

 デオラは農民兵たちへ告げた。

「副将のデオラである。本日、正午を持って、第一次攻撃を開始する。引き潮の合図があるまで、身勝手な撤退は許さぬ。命令無視、逃亡、許可なき略奪行為は死罪である」

 農民兵たちは動揺を隠せない。

 しかし、その様子を眺めながらも、デオラは淡々と話を続ける。

「これより、ビューグルの合図を教える。全員、良く聞き、聡く覚えるように!ビューグルの合図が、貴様らの命を大きく左右するのだと知れ。無意に死にたく無ければ、これから教える合図の意味をしかと覚え、常に耳を傾けておくことを忘れるな!」


 伝令官が単管楽器の乾いた音色を響かせる中、グレイスが珍しく口角を上げながら呟いた。

「姐御の一人勝ち」

 これには、シャーロットもため息でしか、返すことができなかった。


「ところで、砦に籠る武将は、どんな人物なんだ?」

 ナタナエルは愛馬スカラムーシュの上から、彼女の替え馬に乗る双子に尋ねた。

 ちなみに、従者のルイスは徒士で双子の護衛につくことになっている。

「ここに来て、その質問ですか…」

 シャーロットは眉間に手を当てながら、何度目かのため息をついた。

 その顔色は、いささか白さを増しているかのように伺える。

「名をラバーニュ・ローズルージュ。オレリア信徒。気さくな人柄の反面、粗野で横暴。あの砦を改築するほどには軍事に通じ、またその資金を自費で調達できるほどに、通商の巧者でもありますわ。自ら商いをするのではなく、人を使い、広く浅く利益を得る知恵者だと」

 ナタナエルは、口を尖らせながら、空を見上げた。

「どうにも、イメージが湧かないなぁ…つまり、どんな人物なんだ?」

「わたくしも、見知ったわけでは無いので、分かりませんよ。ただ一つ言えることは、愚か者ではない、ということですわ」

「それは、悪い情報だな」

「敵でも無ければ、良いことなのですが…」

 声色にいつもの辛辣さが欠けていることに、手綱を握る妹も気がついていた。

「ロッテ姐、魔法があれば、矢が抜けることもない。いつも通りで大丈夫」

「…兄弟揃って、初陣だというのに、グェスは姉様に似て気丈なのね」

「そんな事ない。手の平からの発汗が異常」


 そこへ、傭兵の一人が後方から近づき、小声で語りかけてきた。

「ギャンビット卿へ、閣下からのお言付です。年端もゆかぬ子どもは、此度の攻撃に参加せずとも良いと」

 いよいよ突撃開始、という段になって突然の助け舟。四人は、思わず顔を見合わせた。 

 最初に口を開いたのは、シャーロットだった。

「お心遣いには、心より感謝いたします。しかし、他の村からも子どもたちは参戦しています。我が姉の面子に掛けて、そのお申し出には、ご辞退させていただきます。ギャンビット家の三姉妹は、全員参戦すると、お伝えくださいませ」

 傭兵は8歳の少女の言葉に、思わず目を見開き、承りました、と一礼して戻って行った。

 ルイスが複雑な表情で、シャーロットに言う。

「お見事なお心構えでやすが、ナタナエル様が獲得した折角の特典を、無駄にしちまいやしたよ」

「従者の分際で、何を偉そうに。戦争をしに来たのだから、戦うのは当然ですわ。それに、この一度の攻防から逃れるために、後々まで他の村の者たちから敵意を向けられるような選択は、愚策ですわ」

 ぴしゃりと否定されたルイスだが、彼の表情は晴れやかだった。

「もし生き延びたら、今のお話は末代まで語らせていただきやすです」


 天高く太陽が白く昇る頃、丘陵に甲高い金管の音色が響き渡った。

「全軍、前進始めッ!」

「列を揃えろ!」

「遅れるな!」

 傭兵は出さない、と告げたクリューニであったが、副将は全軍の指揮を執り、さらに百人ばかりの傭兵を同行させた。

 農民兵たちは各集落の長、主に騎士階級に指揮されていたが、彼らだけに任せるには心許なかったのかも知れない。また、覚えたてのビューグルの指示を聞き漏らすことも懸念したのだろう。加えて言ってしまえば、背を向けて逃げ出す者がいないか、監視する役目もあっただろう。

 農民兵たちは、背中で怒鳴りつける傭兵たちの声に、事実、逃げ場を失った気になっていた。

 ゆっくりとした歩調で数分歩くと、次第に視界を砦のカーテンウォールが埋め尽くすようになる。


 それに従い、気が付いてしまう。

 メルロンが並ぶ、パラペットの上。

 塔の壁に細く空けられた、縦長の矢狭間から覗く影。

 塔上部に設けられた、櫓のマチコレーション。

 それらの隙間から、こちらに向けて虎視眈々と狙いをつける人影があることに、気が付いてしまう。


 狩人が使うような細矢なら、まだマシな方だ。

 長弓から放たれる雁股など、肉を断たれてひとたまりもない。

 弩の太矢ならば、甲冑を着ていても貫通するかも知れない。

 投げ槍をまともに喰らえば、骨をも砕かれる。

 石だったら…大岩だったら…煮えた油や熱砂、襲い来る物は、火のついた投げ輪であるかも知れない。


 猪や猿も恐ろしいが、それらは所詮は獣だ。

 人間を相手にすることの方が、よほど恐ろしい。

 農民兵たちは、乾いた喉が咳を出さないように、無理やりに唾を飲み込んだ。

 目立つのはやばい…自然と列を揃えるように、互いに気を配った。


「どうかしてる…なんで、こんなところに来てしまったんだ…」

 誰かがそう洩らしたとき、ビューグルが鳴り響いた。

「戦闘準備だ!盾を翳せ!」

 傭兵たちがご丁寧に、単管の音色を言語化した時、まるでそれが合図かのように、砦のパラペットに潜んでいた守備兵たちが姿を現し、一斉に矢を放って来た。

「盾なんて、持ってないべさ!」

 農民兵たちの頭上に、矢が降り注ぎ、肉を抉られた者たちが苦痛に喘ぐ。

「列を乱すな!前進を続けろ!」

「無茶言うなや!まだ、歩くのか!」

 一斉射は、一度きりで止む。

 鏃の重量に頼っただけの遠矢の撃ち下ろしは、しかし軽装の農民兵たちにとっては充分な痛手を与えた。

「こちらの士気を測っているのですわ」

 シャーロットが懐から短い杖を取り出しながらそう言う、グレイスが話を引き続く。

「あるいは、試し撃ち…この数年、砦は襲われていない。だから、その多くは新兵」

 グレイスは周りを見渡しながら、最後にこう言った。

「きっと、そろそろ走ることになる」

 シャーロットは、小さな杖を額に当てながら言う。

「全速移動に移る前に、防御結界を張ります。あまり長くは続きませんので、姉様も突出し過ぎないように願いますわ。離れ過ぎると、掛け直すことができなくなります故」

 そう告げると、彼女は目を瞑り、誰にも意味が分からない古代の言語を紡ぎ始めた。

「長くなるかも知れない。対価が高く付くような魔法は、ここぞという時まで使うな」

 ナタナエルは、妹たちに命じる。

「グレイス、お前もだ。傷付いた人たち全員を相手にしていたら、すぐに穢れに呑まれてしまうぞ」

「心得ました。容易に助けぬ方が、返って多くを助ける結果に繋がる、ですね姐御。ですが…まず、我が守護神クロエの加護をお受けください」

 シャーロットは、学会で習った古代の言語による魔術で事象に干渉し、グレイスは守護神であるクロエに苦難からの救済を祈願する。ナタナエルとルイスもまた、騎士の神であるアルノルドに戦勝を願った。


 戦記に記された古代の魔術師が行使する魔術の描写のように、天候を左右するほどの力は今は失われ、剣の神々たちがその隆盛を誇っていた時代のように、人が死を克服するまでの守護は今は得られない。

 だが、困難に立ち向かう時、今でも西方諸国の剣の民たちは、その力に縋って戦うのである。


 再び、無数の矢が天に放たれた。

 それに一瞬遅れて、全速前進の合図が鳴り響く。

 攻城戦の第一幕が、今まさに幕を開けた瞬間であった。

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