第4話 城砦
ラディッキオとは、複数の大きな葉が球状に重なり合う、食用として重宝される野菜のことだ。
だが、クラーレンシュロス領では、西を守る二つの砦の内、北側にある砦、という意味でしか呼ばれていない。つまり、名付けの親は、かつての攻め手の誰か、ということになる。
だからこの場合、野菜のように食べやすい砦、という意味では無さそうだ。攻略困難なカーテンウォール群に守られた、縦深防御に優れた砦、という意味が最適解と見るべきだ。
丸一日を移動に費やし、全軍の終結地へと移動を果たした一向は、山肌に聳えるその威容を目の当たりにした。
「名前を聞いただけで、嫌になる」
山並みの裾野に構築されたその砦は、今は視界の中に収まっている。
「姐御、ではこうやって実物を見た感じ、ラディッキオ砦の印象はいかがでありますか?」
山肌に張り付くように建造された砦は、傾斜の継ぎ目を補うように設けられた、いく層ものカーテンウォールに守られ、威風揚々。正面に見える鉄で補強された大きな正門は、固く閉ざされたまま。その両側を守る一対の塔からは、弩を手にした兵士がこちらの様子を監視している。
こちらから窺い知れる相手の軍用は、その程度でしかない。見える範囲の数十人であるかも知れないし、あるいは、その百倍であってもおかしくは無いのだ。
「砦なんて、攻めたことないから、分からない」
「懸命ですわ。分からないことを、安易に理解しようとはしない。未知なるものを、正しく未知であると理解することは、凡人には難しいことですのよ」
「虚栄心は死刑台に通ず」
「いや、褒めすぎだろ、二人とも」
「褒めてませんッ!」
剛を煮やして、ルイスが叫んだ。彼は汗と唾を飛ばしながら、従事する主人たちに抗議する。
「どうするんですかっ、こんな本格的な砦の攻略なんて、昨日今日、武装したばかりの村人たちでどうなるもんじゃ無いですよっ」
「訛りが消えてる」
つぶやいたグレイスは、ルイスに睨まれる。
ナタナエルはジト目で彼を見返すと、ボソリと呟いた。
「昨日今日じゃないだろ、勝手に輸送部隊を襲ったのは誰だ?もう、実践済みだろ?」
「あぁ、それは、何度も謝ったべさ、もう堪忍してくっさい」
「本当の意味で堪忍するのは、私じゃないだろ」
ナタナエルはそう返しながら、戦場となるであろう丘陵地を見渡した。
砦から1kmほど離れたなだらかな丘の斜面に、男爵からの要請に応え、各地から参集した農民兵たちが天蓋を広げ、野営地を構築している。後方には、木製の防御柵が張り巡らされ、柵の中には軍馬と重武装の傭兵たちが駐屯している。そこがクリューニ男爵の本陣だ。
「傭兵たちが、二千程度、馬が多いな…半分くらいは騎兵なのか」
ナタナエルの独り言に、グレイスが加わる。
「周辺からかき集められた農民兵たちは、なんだかんだで三千はいる模様」
シャーロットも加わった。
「この田舎に、こんなに人がいたなんて、まったく驚きですわね。でも、その中でわたくしたちは…この烏合の衆のうちの、たった41人なのですわ」
「身の振り方を考えないとな…」
双子たちは、姉の独り言に目を丸くして、顔を向き合わせた。
最終集結地に、クリューニ男爵が到着した翌日。
早速とばかりに、大量の物資がどこからか運び込まれて来た。護衛付きの荷馬車の列が運び込んだものは、食料や武具もあっただろうが、それには誰も目を止めない。
注目の的は、大量の木材だ。
荷下ろしを手伝わされているうちに、誰もが、これらがただの木材ではないことに気づく。
必要な長さに切り揃えられ、各所にほぞが空けられ、所々に錆が浮いた鉄板や、太い荒縄で補強が成されている。10人がかりでなんとか持ち上げられる、巨大な車輪もあった。
二日目は、これの組み上げ作業に費やされた。
手の空いている者たちは、梯子や弓矢の製作を命じられる。その者たちは、鏃を天糸で締めながら、組み上がっていく木造建造物が、徐々に巨大になっていく様が気になって仕方がなかった。
横倒しの状態であったものが、荒縄を引く大勢の男たちの手により、ついに直立した際には、歓声が湧いた。
仕上げに獣の毛皮を前面に貼り付けて完成したのは、巨大な攻城塔であった。
「もう、皆さま方は勝利したも同然の気勢ですわね」
濡れた布を手に、シャーロットは力仕事から戻ったナタナエルを出迎えた。
「士気は大事だ。それにしても、準備がいいな。クリューニは。意外だったよ」
布を受け取ったナタナエルは、額と首筋の汗を拭い、顔と手の土汚れを拭き取った。
「そうでしょうか。些か考えなしに、わたくしには思えて仕方ありませんでしたわ。作業の最中に、敵が攻めては来ないかと、ヒヤヒヤしていましたの」
「一応、見張りはいたけど。でも、これで砦の兵の数は少ない、と証明されたようなもんだ」
「…だと、いいのですけど」
砦から視線を戻し、シャーロットは話題を変えた。
「今日一日、いろいろを噂話を集めて参りましたの。それによれば、いつも側を離れない副将、その男が随分と有能らしいですわ」
ナタナエルは、布を返さず、首に巻きつけて縛る。
「だらしないですわ」
シャーロットはそれを荒々しく、奪い取った。
「冷たくて気持ち良かったのに」
「早く、甲冑を着てくださいな。騎士ともあろう者が、戦場で甲冑を脱ぐのは縁起が悪いですわ」
シャーロットは、ルイスを呼びつけ、支度を手伝うように命じた。
「グレイスは?」
「彼女は、村人たちに祝福を授けています。いよいよ、戦いが始まりますから」
「そっか、立派に神官の役目を果たしてるんだな…嬉しいような、寂しいような」
二人はルイスが待ち受ける天蓋に入り、甲冑の装着にかかり始めた。
一度下着になり体を清めると、贅肉の無いしなやかな四肢の肌が、水気を帯びて光を反射し、美しい流線美を際立たせた。
適齢期をやや過ぎつつある、熟れた女性というよりも、まるで伸び盛りの少年のような躯体。
その背中を拭うシャーロットは、自分とは似ても似つかない血を感じずにはいられなかった。
「ところで…」
背中の妹に、ナタナエルは語りかけた。
「さっき話していた、副将というのは、どんな…奴なんだ?」
ルイスと協力して、姉の首にわた詰め通しながら、妹は答える。
「名をデオラ・ド・エルネスト」
「パドヴァの出か?」
「その通りでわ。なんでも、パヴァーヌに併合された領主の軍指南役だったとか」
「本業か…じゃぁ、パヴァーヌ王オーギュストとは敵対しているのか」
「ところが、そうでもないらしいですの」
薄手のマーリアを被せると、ブレストプレートを前後から挟み込み、両サイドについた革のバックルを絞める。父から贈られた甲冑は、長年身につけているが、未だ目立つ傷も付いていない。
「オーギュスト・ファン・セラテーヌは、デオラを捕らえると、たちまち意気投合して彼を夕食に招き、親交を深め合ったそうですわ。勢力争いで多くの血族や知人、友人を失ったばかりだというのに、まったく、互いにどういう神経をしているのやら…ですわ」
「…いい話じゃない?」
シャーロットは手を止め、姉の後頭部を見つめ、次に従者のルイスの顔を見た。
「ぇ。二人とも、そう感じますの?」
金髪の少女は、顎当てのプレートを留める革紐を、キツく締め付けた。
「信じられませんわッ」
翌早朝。
クリューニは、春の風が吹き抜ける丘に兵団を整列させ、戦に向けての訓示を述べた。
彼によれば、クラーレンシュロス伯は北方の民と同じ言語を話し、独自の通貨を発行することで、パドヴァやラステーニュ地方の繁栄を阻害する害虫のような存在であるらしい。彼がアマーリエ地方を併合し、パドヴァの言語、パドヴァの通貨の流通を広めることで、一大共栄圏が誕生するのだ。
さらに、クリューニは五千の兵に向けて声を張る。
「故に、ラディッキオの攻略は、ただの片田舎の勢力争いには留まらない。その門扉を開くための布石であると同時に、新たな時代への試金石とも言える一大事業であるのだ!諸君らの栄えある時代は、輝かしい未来のその幕開けは、全てここから始まるのである!」
声が届いた者たちも、そうでない者たちも、一斉に手を突き上げて司令官の名を叫んだ。
「アマーリエの征覇とは、大きく出たな」
ナタナエルは、傍に控えるルイスに皮肉を言ったが、彼は小さな司令官の姿を見ようと、首を伸ばすだけで、聞こえていない様子だった。
「漠然とした大きな目標に、大衆は思考を奪われる」
代わりに応えたのは、グレイスだった。
「あながち、本気かも知れませんわ。確か、今は北方でトーナメントが開催されているはず、ですのよ」
シャーロットが、いつになく険しい表情でつぶやいた。
「鬼の居ぬ間に…とは良く言ったもの」
「ああぁ、行きたかったなぁ…トーナメント!」
「そんなお金、どこにもございません!」
「皆、静粛にっ!」
クリューニは、ざわめき始めた兵団に一喝した。
傭兵たちは誰も私語などしていないが、農民兵たちはこういうしきたりに慣れてはいない。
静寂の波が行き渡るのを待ってから、彼は告げた。
「これより、栄誉ある先鋒を選出したい。まず、我らこそと思う者たちは、名乗り挙げよ!」
どよめきが行き渡る。
そして、沈黙。
「素晴らしいッ!其方の名前は、名乗らずとも覚えておるぞ!アムベリーの騎士、ナタナエル・ギャンビット!其方に先鋒を任せよう!」
再び、どよめきが起きた。
皆の視線が、天高く片手を掲げる、一人の女性騎士に集中した。
拍手をする者までいた。
だが、アムベリーの農民兵たちは、無言のままだった。
彼らは、石と化して動けなかったのだ。
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