第3話 男爵

 野営地に散らばり、思い思いに過ごす強面の男たち。

 陽の光を反射する煌びやかなマーリア。

 戦闘用に生み出された大きな戦斧や、ハルバード、長剣といった武具の類。

 牛皮を何重にも張り合わせた、円形盾の表面は傷だらけ。


 戦場で生きる、男たちの姿。


 クリューニ男爵の軍勢を目の当たりにして、アムベリーの農民兵たちの心は、完全に呑まれてしまった。体躯そのものは、日々の労働で鍛え抜かれたアムベリーの民たちが見劣りするわけではない。しかし、装備の貧弱さ…いや、不釣り合いなのは、分不相応なのは、それだけとは、やはり言えない。


 瞳だけをギョロリと動かす、神経質そうな眼光。

 飢えと渇きに慣れた、ひび割れた唇。

 手入れを省くために、固く結われた長髪。

 身体中に刻まれた、傷創痕。

 他者を寄せ付けない、冷たい空気。


 まるで、猛禽類の群れの中に、使い慣れない武器を手にしただけの、野うさぎたちが紛れ込んだようなものだ。アムベリーの男たちは、自分たちが「草食動物」の類の側にある事を自覚した。


 村を立って2日後、クリューニ男爵軍の野営地に到着したアムベリー勢は、誰何を受けたのち「ここに設営せよ」と土地を割り当てられた。

「傭兵たちに近ぇじゃねぇか、怖ぇよぉぉ」

 村人の囁きを耳にしたナタナエルは、馬を降りながら答えた。

「そぉか?友軍だぞ?」

「いや、それでも、何か因縁でも吹っかけて来られたら…」

 ナタナエルは怯える男の肩を叩いた。

「そん時には、私が殺してやるさ」

「…ぇ、殺さなくても、友軍だし」

「姉様は、アムベリーの民を第一に考える、とおっしゃているのです。それに、ご安心ください。あの傭兵部隊は、クリューニ軍の本隊です。傭兵隊でのし上がった彼なのですから、他人に金を払って間借りした傭兵ではなく、長年、自前で直接雇い入れている私兵、というわけですわ」

 シャーロットは、裾の汚れをハンカチで払いながら、そう注釈した。

「…何が、違うんだ?傭兵は、傭兵だろ?」

 後ろを振り返って、同僚たちに尋ねようとした彼は、胸の高さにあるグレイスの頭に気づく。

「本隊から離れると、各個撃破される恐れがあります。だから、ここは特等席」

 男は、クロエ神官の言葉を、ひとまず信じることにしてうなづいた。

「見ろ、ラーシャ村の連中だ」

 アムベリーの農民兵たちに、ほっとしたような空気が生まれる。

 彼らと同じように、周辺の土地から徴兵された農民兵たちが、小集団ごとにこの集結地に合流して来ているのだった。

「見知った顔があると、安心するな」

 脱穀用のフレイルはまだしも、鍬、鎌、木の棒など、アムベリー勢の装備品よりも劣る集団さえある。

「見ろよ、あれは盾のつもりか?桶の蓋にしか見えない」

 シャーロットは姉の元に寄り、小声で話しかけた。

「自分たちの相手が、そこの傭兵たちに劣らぬ者たちだと知ったら、虚勢を張ってもいられないでしょう。そうなれば、姉様は、兵たちの戦線離脱を罰せねばならなくなります。どうか、お含みおきを」

 ナタナエルは鞍からアーメットを外し、小脇に抱えながら、眉をへし曲げた。

「そんな事言われたって、私にできる事は、訓示で諌めておく事くらいしかない」

「それは必要ですが、姉様。背に…姉様の後ろには、いつも民たちが怯えた視線を、姉様の甲冑の背中に向けている事をお忘れなきように願いますわ」

「…まぁ、私が引いたら最後だわな。引かないとは、言い切れない。場合による」

「姉様っ」

 ナタナエルは、妹の言葉を遮った。

「これから、クリューニ男爵に挨拶に伺う。ルイス、一緒に来いっ!お前たちは、ここに残れ」

「姐御にお供します」

「…わたくしも、姉様と」

「二人とも、ここに居るんだ。侮られる」


「侮る?…侮るとは?」


 異質な声に、ナタナエルたちは身を固くした。

 割と甲高いが、声色だけで人を畏怖させ、忖度を促さずにいられなくする。

 言葉尻だけで、人の人生を左右させる力を持つ。

 それを、まるで自負しているかのような、高圧的な五音。

 見上げれば、太陽を背に、四対の人馬。

 豪華な装飾を施した全身甲冑を纏う、細面の男と、まるで岩から削り出したかのような、屈強な甲冑の男、そして軽装で地味な風体の男が二人、うち一人は軍旗を握っている。

 ナタナエルたちに話しかけたのは、細面の男。肌は白く、金色の口髭は似合ってはいないが、真っ直ぐに伸ばした背筋は馬上に慣れた体躯を示し、甲冑姿にも気品が漂い、着慣れた風格。

 護衛が携える軍旗の紋章を、わざわざ検めるまでも無かった。


「これはクリューニ男爵閣下、こちらからご挨拶に伺おうとしておりましたのに、ぐずぐずしており、申し訳ございませんでした」

 ナタナエルは足を揃えると、首を少し垂れ、騎士の礼を示す。

 彼女の対応を見て、村人たちは慌てて足を揃える。貴族の前では背筋を伸ばした直立姿勢、それが礼儀だ。

「アムベリーより馳せ参じました、ジルネット侯爵麾下、ギャンビット家のナタナエルと申します」

 妹たちは、貴族令嬢のお辞儀と、神官の儀礼とで応じた。

 それを見据えたクリューニは、無表情のまま、口髭をぴょんと、摘み上げた。

「誰も責めてはおらぬ。請願に応じて遠路はるばる馳せ参じてくれた援軍勢に対して、出迎えるのが我の立場であろう。所詮、我は成り上がりのバローネに過ぎぬ。そう、畏まるな」

 自然体のナタナエルの脇で、シャーロットの口元がピクリと痙攣し、グレイスは無表情であった。

「ざっと、40名ほどか。欲を言えば仕方ないが、もう少し、期待していたのだが…」

 ナタナエルは黙って首を垂れることで、それに応えた。

「それとだ。しかしながら、侮る、とは遺憾だと申しつけておこう。戦場に小さき勇者たちまで連れて参るとは、一族挙げての戦勝の決意と見た。それは、敬服に値するものだ。決して、侮られるような事ではないぞ」

 ギャンビット家の応対を見守っていたルイスは、クリューニの言葉を聞いて、内心ほっとした。だが、それも束の間のことに過ぎなかった。

「昨今は、戦場に妾を連れてくる者たちもおる。それが奥方ならば尊敬もしようが、戦場を鬼の目の届かぬ遊び場かとでも思っておるのか、不届な輩も多いのだ…おや、ギャンビット卿は女性であったか。これは失敬した。男ならば、戦場で不自由することも無かったな」

「それは…」

 口を開いたシャーロットの胸に、ナタナエルの手が当てられた。

 しかし、クリューニのニヤけた目は、ルイスに向けられ、それに気がついた様子は無い。

 クリューニは、ルイスに向かって言い放った。

「そこな黒い男よ、装備で分かる。其方が、従者であろう?名は何と申す」

 ルイスは、首を垂れ、名を述べた。

「ルイス・イーノックと申します、閣下殿」

「アルノルドの信徒か?」

「その通りでございます」

「ふむ。我も同じぞ。しかし、あまりに迂闊であろう。そう機嫌の悪そうな視線を向けられては、いくら余でも、それと勘づく。何、早とちりするな、我は怒りを覚えたわけではないぞ。安心するが良い。だが、気をつけるが良かろう。これは老婆心からの忠告と思って構わぬ。戦場において、そう簡単に血を頭に上らせては、大事な主人を守れぬぞ」

 そして、ナタナエルに視線を戻し、初めて口元を緩めた。

「飄々とした主人を見習うと良い」

 ルイスは、主人の背中を見つめるが、その表情までは窺い知れなかった。

「では、二の刻に移動を開始する。それまで、しばし休息をとるが良い。食事をお勧めする。次の宿営地は、すでに戦場となるでな、喉にものが通るうちに…」

 クリューニは派手な金系の刺繍が施された外套を翻し、他の援軍たちへの挨拶回りへ向かうため去っていった。


「噂にゃ聞いてたが、嫌な奴だべ」

 ルイスは首元の汗を拭いながら、毒付いた。

「主人を見習え、と言われたばかり」

 8歳のグレイスの忠告に、32歳のルイスは返す言葉も無い。

「彼は、何の為に、わざわざ直接、赴いたのか。兵の装備品が貧弱であることは、見るまでも無く、すでに想像に容易いことですわ」

 突然話を始めたシャーロットに、一同の視線が集まった。

「このところ、アムベリー周辺で本格的な戦闘が無かったことも、当然、彼には概知のはず」

 ナタナエルは、黙って妹の言葉の続きを待ったが、話を続けたのはグレイスだった。

「指揮官の力量は、兵を統率する能力」

 シャーロットは、ナタナエルを見上げて再び口を開く。

「不意を付いて軍様を視察するのは、おそらく彼のやり口なのですわ」

 ナタナエルは、面倒くさそうに、頭を掻いた。

「見た目ほど、馬鹿じゃねぇってことか?ま、それならそれで、いい事だ。それは存外、頼りになるって事なわけで」

 シャーロットは反論した。

「わたくしは、彼が善人だとは、一言も申しておりませんわ。狐男爵…それが、彼の異名ですわ。人に慕われずとも、愚か者ではない。そういう意味での、狐ですのよ」

「善人で馬鹿な人間の下にいるよりは、腹黒くても利口な指揮官の方が、頼りになる事も事実」

 グレイスの言葉に、シャーロットは異論があるようだったが、言葉には出さなかった。

 妙な沈黙を、革手袋の音が打ち破る。

「じゃ、まぁ、司令官閣下のご注言通り、飯にするか…」

 ナタナエルは手を叩きながら、一同にそう告げた。


 西方諸国の民は、日の出と共に簡単な朝食を済ませ、早朝から労働し、昼過ぎに性のつく食事をする。夜は寝るだけなので、酒類とチーズやナッツなどの簡単なつまみだけで終わらせるのが一般的だ。

 この二日間、荷を担いでの歩き詰め。午後の食事は、皆心待ちにしていた。

 熟成させた鹿肉と、輪切りにしたズッキーニを串に刺し、オリーブオイルと塩を振って焚き火で焼く。

 香りに誘われたのか、隣村のグループたちも、急いで火を起こして食事の支度を始めた。


 肉はなかなか口に出来ない、ありがたい食材だ。

 肉が焼ける匂いに釣られたラーシャ村の農民兵たちが、フェンネルや白ナスを手に、少しで良いので鹿肉と交換しようと持ちかけて来た。

 実のところ、鹿肉の他にも、塩漬けにした猪肉の蓄えもあったので、快くこれに応じることにして、草原での食卓はより一層に充実したものとなった。

 フェンネルは根本を生で食し、香草として使える葉は後日の煮込み用に取り分けておく。瑞々しい生の根はシャリシャリとした食感と共に、独特の爽快な刺激臭で男たちの鼻腔を楽しませた。淡白で味気の薄い白ナスは、串に刺して焼くと、水分を抱えた身がとろりと溶け出し、焼けた皮との相性がまた、格別だった。

 さらに、水で薄めた葡萄酒と、薄焼きパンが一切れずつ回された。

 ちなみに焼き物が多いのは、食器を減らすためだ。


「傭兵たちは、個人で昼を食べるんだな」

 誰もがムスッとした表情で、配給所で受け取った干し肉や乾燥パンを一人で齧っている。

「戦争のしすぎで、食に興味を失ってるんじゃねぇべか」

「ほな、まさか」

 ナタナエルは火を囲む円の一つに混じり、農民兵たちと一緒に串を齧りながらつぶいやいた。

「行先は、どこなんだろうな、遠いのかな?」

 ナタナエルの言葉に、一同の動きが、止まった。

「姉様…まさか、知らないでここまで…?」

 ナタナエルは、キョトンとしていた。

「何だよ、知ってるのか?だったら、教えてくれたっていいじゃないか。誰も何も、教えてくれないし」

「…いやいや、言ってましたわよ!小太りの油ぎった禿げ頭の…」

「ぁぁ…クリューニ男爵の使節とか言う、うざい奴か…あいつ、話なげぇよなぁ…全然耳に入って来なかった」

「確かに、要点は得ていなかったと、グェスは姐御に賛同するのです」

「だろ?話なげぇ奴、大っ嫌い」

「人間とは、得てしてそう言うものなのに、しかし惜しむらくは、話の長い人間はそれを知らない」

「あるいは、自覚してなさらないのですわ。自身が話の長い人間の類であると。けれども、わたくしとしては、好きな方のお話しでしたら、何時間でも聞いていたいものですわ」

「ロッテ姐、そんな人間は、この世の中に、たった数人しか存在しないものだよ」

「どうせ、話の長ぇ奴は、それが自分だとでも、思い込んでやがるんだよ」

「もしくは、万人にとって為になる、ありがたい話をしているのだと」

「くだらねぇ駄洒落を、知見に富んだ洒落たユーモアだと、勘違いして盛り込んできやがるしな」

「姉様、いい加減、お口が悪くていらっしゃるわ」

「とどのつまり、全く聞いていなかった、と姐御は申しておられる」

「適当に相槌打っている内に、居なくなって良かったよ、ほんと」

「…」

 シャーロットは、頭を抱えた。

「姐御は、戦の相手がかの騎士国パヴァーヌだと聞いても、きっと動じない鉄の心を持っておられる」

 抑揚の無い口調で話たグレイスの両肩を、ナタナエルははっしと掴んで揺さぶる。

「ほんごふぁッ?ひしごくぬ、かなぶわふぇがふぁい!」

 串を口に咥えたままの言葉は、その意味を掴みかねた。

「騎士国に敵うわけない、とおっしゃっているのですか?当たり前です。グェスは心構えを述べたのですから…そんな馬鹿げた事をクリューニ男爵が仕出かすはずもありません。そもそも、此度の軍事行動の後ろ盾が、パヴァーヌ王だというもっぱらの噂であるくらいなのですから」

 シャーロットの言葉を聞いて、ナタナエルは安堵して腰を下ろした。

「じゃぁ、どこなんだよ」

 串を手で持ち直し、それをくるくると回しながら、不貞腐れた顔で妹たちに尋ねた。

「時折、わたくしは思うのです。姉様は、とんでもなく大きな器の持ち主ではあるまいか、と」

「それは、錯覚」

「グレイス、今のはひどいぞ、訂正しろ」

「それは、妄想」

 ナタナエルは、あぁッと叫んで頭を掻きむしると、肩を落として脱力した。

「降参だ…まったく覚えていない!そろそろ、教えろ」

「目的地はクラーレンシュロス領、通称ラディッキオ砦。かの地では北の砦、と呼ばれている難攻不落の古い砦ですわ」

 そう返答したシャーロットの瞳には、暗い光が宿っていた。

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