第15話 たられば

 寒い。見上げれば黒より昏い曇天の闇夜で、雪がちらちら降っている。初めて見る雪に触ろうと、手の平を上に向けると、その手は真っ赤な血に塗れていた。辺りは火の海に囲まれ、右を見れば子供の晒し首が並べられ、左を見れば大人の晒し首が並べられている。それらが語り掛けてくる。


「何故生きている?」


「お前が、お前こそが死ぬべきなのに」


「さあ、死ね」


「死ね、死ね、シネ、シネシネシネシネシネシネシネ!!」


 糾弾する死者の合唱に、自ら血塗れの手で首を絞める子供が1人。苦しくて、涙が流れ、ここが地獄なら、ここで死ぬとどこへ行くのだろう。そんな疑問と共に気が遠くなる。


 それはふわりと温かい、人の温もりだった。子供の身体に掛けられたのは烏色のどてらで、白檀の香が甘く薫る。そして子供を抱き締める誰か。


「もう、大丈夫だからね。私が来たから」


 見上げれば、老齢に差し掛かろうかと言う女軍人が、泣きそうな笑顔をこちらへ向けていた。


「でも、死なないと」


 子供の言葉に、女軍人はもう一度子供を強く抱き締め、


「あんたは、生きて良いんだよ」


 と全ての罪を赦すような優しい声で、子供を諭す。生きて良い。その言葉は子供に初めて掛けられた言葉で、嬉しくて嬉しくて、先程の苦痛とは違う、温かい涙が溢れ、子供は女軍人の胸の中で泣き続けた。


 ◯ ◯ ◯


 左手に温かい感触がある。鍛えられてゴツゴツしていても、節くれた優しい手の感触に、エンマは覚えがあった。


「おばあちゃん……」


「目が覚めたみたいだねえ」


 エンマの声に反応がある。目をゆっくり開けると、赤紫の髪をした老婆が、優しくこちらへ微笑んでいた。


「おばあちゃん……」


 もう一度言葉を紡ぎ、脳が急速に覚醒していくのを感じ、エンマはがばりと上半身を起こした。


「う、梅ばあ!? え? 何で? え? ここは?」


 梅ばあの存在に驚き、現状確認の為に首を左右に振ると、見覚えのある病室に格子窓。どうやらここは医療院で間違いないようだ。では何故梅ばあがここにいるのか? 理解が追い付かないエンマ。


「お? 起きたのかエンマ。久しぶりだな。お前が円月流武芸皆伝昇格祝いの時以来か」


 そう廊下から声を掛けてきたのは、熊のように大柄な軍人。左胸に多くの記章をぶら下げており、相当な武勲を挙げた人物だと分かる。


「ゴズのおっさん……。何で……?」


 エンマがゴズと呼んだ、征龍軍総司令である海神わだつみの登場に、更に頭の上に疑問符が浮かぶエンマ。


「しかし相変わらず仲良いな」


 缶コーヒーを片手に、海神の視線は梅ばあとしっかり握られたエンマの左手に向けられる。


「うわっ!」


 慌てて手を解くエンマ。


「なんだい。今更照れなくても良いだろう?」


 と悪戯っぽく笑う梅ばあ。


「う、煩いなあ。何で2人がここにいるんだよ?」


 対してエンマは照れながら話題を逸らす。高校に上がろうと言うのに、養母と手を握っている姿を目撃されたのは、恥ずかしいらしい。


「何でも何も、息子が重篤とあれば、親が駆け付けるのは当然だろう?」


「はあ? 前回は来なかったくせに」


 人工龍血一号による昏倒でこの医療院に運ばれてきた時には、梅ばあはこの場にいなかった。だからエンマは今回ここにいる事に驚いている訳だが。


「ああ、それはこっちから情報規制していたからだ」


 それに答えたのは海神だった。


「情報規制?」


 これに頷きながら、海神は近くの椅子に腰掛ける。


「この医療院は一応軍の管轄でな。情報漏洩の可能性を考慮して、余程の事態でなければ、外部に連絡が行く事がないんだよ。子供に対して、高位の龍血で医療行為をしているなんて世間に知れたら、どんなバッシングを受けるやら」


 それには納得するエンマ。


「で、今回、俺は余程の事態だったと?」


「いや、梅さんの身内だったからだな」


 成程。とエンマは納得する。梅ばあはかつて征龍軍でもそれなりの地位にあった傑物だ。そんな人物が身内なら、連絡しても問題ないと判断されたんだろう。


「んで? ゴズのおっさんは何でここにいるんだ?」


「それは……まあ、事後処理と言うか……、償いと言うか……」


 痛いところを突かれたのか、海神はエンマから目を逸らして、コーヒーをすする。それが何なのか分からず、エンマは説明を求めて梅ばあを見る。


「今回の一件、龍神教による同時多発テロだったんだけどねえ、その中でこの医療院の優先順位が後回しになっていたんだよ。それで遍家のお嬢さんにお詫びに来ているんだよ」


「優先順位が後回しって……」


「いや、仕方なかったんだよ。電波塔とか発電施設とか、インフラ関係を優先するようにしていたし、国会議員の耄碌もうろく共は死にかけのくせして命に意地汚いしで、こっちまで……」


 言い訳をする海神を、じいっと見詰めるエンマと梅ばあ。


「ここの情報が俺のところまで上ってこなかったし……」


 じいっと見詰めるエンマと梅ばあ。


「すみませんでした!!」


 これはこれ以上言い訳出来ないと、2人に対して頭を下げる海神。


「はあ。情けない」


「いや、今後は兵等級にも対応した警備体制にするのは決定しているから」


「たらればで話すんじゃないよ。今回はたまたまエンマがいたから、ここで犠牲者は出なかったけど、そうじゃなきゃ、ここはとっくに更地になっていてもおかしくなかったんだよ」


「あう……」


 ぐうの音も出せずに項垂れる海神。


「本当です。もっと言ってやって下さい、梅子さん」


 そう言いながら入ってきたのは、ルリと看護師、そして海神の副官の男だ。


「ルリ先生。今回は? 今回も? お世話になりました」


 頭を下げるエンマに、いやいやと手を振るルリ。


「それはこっちの言葉よ。エンマくんがいなかったら、子供たちを守る事は出来なかったもの」


 これにエンマとルリの2人して笑顔になる。しかしすぐに顔をしかめるルリ。


「それに対して、こいつは」


 海神へ半眼を向けるルリ。その視線の圧に、海神は視線を逸らした。


「知り合いなんですか?」


「昔からねえ。海神家は遍家の分家みたいなものだから」


 そうなのか。世間は狭いな。とエンマは思う。


「まあ、なんだ。過ぎた事はもう良いだろう? 今後の話をしよう」


 これには全員の視線が海神を射貫く。


「ごめんなさい」


「その言葉は、俺たちじゃなく、あそこからこっちを見ている子供たちにこそ、言うべきだと思いますよ」


 エンマに促されて廊下の方を見ると、子供たちがこちらを覗っていた。


「エン兄、もう起きて大丈夫なの?」


「ああ。もう元気満々だよ」


 と両腕を上げるエンマに、子供たちが一斉に笑顔になる。


「でも、ちょっとルリ先生たちと話があるから、その間、このおじさんと遊んでいてな。話が終わったら、俺もそっちに行くから」


 エンマの無茶振りに驚く海神だったが、この場の大人たちの視線の圧力に負け、渋々子供たちと病室を出ていくのだった。


「さて、何がどうなったのやら、話して貰えるんですよね?」


「ええ。エンマくんも当事者だからね」


 ルリがいつの間にか、「司馬くん」呼びから「エンマくん」呼びに変わっている事は脇に置き、エンマは今回の事の顛末を聞く事とする。

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