Vanity(自惚れ)
No.8
オレの人生において、森羅さんと関わることがなければ口にすることのなかったであろう品質の肉を、まるで格安店の食べ放題のように平らげたオレ達は、焼肉店を出て時増町に向けて歩いていた。
「お腹が痛い……」
森羅さんは膨れたお腹を押さえながらそう呟いた。その顔色は、栄養を補給したというのに、来た時よりも悪く見える。
「オレもです……ちょっと調子に乗り過ぎましたね……」
「過ぎたるは及ばざるが如し……食においては腹八分目が肝要ですね……」
「ですね……」
そんな毒にも薬にもならない他愛のない話をしていると、川に架かる橋の近くで数人、下を見ながら何かを話している様子が目に入って来た。
「なんでしょう、あれ」
「さあ? 迷い込んだアザラシでもいるんじゃないですか?」
「半世紀以上前にありましたね、そんなこと。昔を振り返る特集番組で見た気がします。ちょっと見に行ってみましょうよ」
ざわざわしている人混みを掻き分け、橋の上から川を覗き込む。すると、そこにいたのは可愛らしいアゴヒゲアザラシ――ではなく、溺れそうになっている小学生くらいの女の子だった。
「マジかよ……」
よく見ると、周りには女性や子供、そして年配の方々しかいない。中身はどうか分からないが、彼女達に、あの女の子の救助を期待するのは難しいだろう。
「…………」
THE ANSWERであの女の子を救助出来る確率を確認すると、赤みがかった色で10%と表示された。
10%……10回に1回の成功率だ。
決して高いとは言えない数字だが、大丈夫。オレは今日、1%を掴み取ったのだから。10倍の10%なら、十分いけるはずだ。
自分を奮い立たせるために、両の拳を握り締める。
「細田さん、まさか……」
「誰も行かなそうなんで、ちょっと行ってきます」
防護柵を乗り越え、そのままの勢いで川に飛び込んだ。急いで水面から顔を出し、平泳ぎで女の子の方へ――
「うぐ……っ!?」
――行こうとした瞬間、右足が攣ってしまった。
(クソ……こんな時に……!)
水を吸った服が重くて思うように動けない。右足が攣っているため、腕と左足だけで必死にもがくが、身体は全く浮いてくれない。少しずつ、着実に、まるで見えない何かに引っ張られているかのように沈んでいく。
「ぐごぼ……はぁっ……ごぼ……ぁっ」
遂に左足も攣ってしまった。エンジンを2つ失ってしまったオレの身体は、先程までよりも速いスピードで水面から離れていく。
(……あぁ。よく考えたら、10%って超低いもんな……)
そりゃこうなるか。
そう思った次の瞬間には、
オレは誰かに抱きかかえられていた。
「げほっ……げほっ……え?」
「大丈夫ですか、数彦様」
オレを抱きかかえていたのは、ヴィーナさんの家で見たテスト君と呼ばれるロボットだった。
気付けばいつの間にか、溺れかけていた女の子も地面に寝かされている。
オレはテスト君に降ろしてもらい、彼と向かい合った。
「キミがオレ達を助けてくれたのか……でも、どうして……」
「わたしが呼びました」
振り返ると、そこには森羅さんが立っていた。
「森羅さん……」
「テスト君が来てくれてよかったですね。あのままだったら細田さん、間違いなく死んでましたよ――わたしの身体で」
森羅さんが怒っている気がして、オレは反射的に「すいません……」と返した。
「お気に入りの服も駄目になっちゃいましたし」
「すいません……本当にすいません……」
「……でも、危険を顧みずに誰かを救おうとする細田さんのその姿勢は、嫌い、じゃないです」
森羅さんは、どこか恥ずかしそうにそう言った。
「森羅さん……」
「とは言え、死にかけたのは事実なんですから。こんな危ないこともうしないでくださいよ。いつでも誰かが助けてくれるとは限らないんですから」
「分かりました……」
森羅さんの視線が、オレからテスト君に向けられる。
「テスト君、今日はありがとうございました。ヴィーナと真中さんに宜しく言っておいてください」
「かしこまりました!」
敬礼をした直後、凄まじい風と共にテスト君の姿が消えた。恐らく、超高速でヴィーナさんの家に向かったのだろう。
「それじゃ、わたし達も帰りましょうか」
「はい」
オレ達は肩を並べ、森羅さんの家を目指して歩みを進めた。
なんとも言えないドブの臭いを、全身から漂わせながら。
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