Soul Exchange(魂の交換)
No.3
2059年8月14日木曜日。
「……ふぁ……って、あれ?」
目を覚ますと、そこはオレの部屋ではなかった。
ふかふかのベッドを囲むように取り付けられた桃色の天蓋に、同じく桃色のカーテン。食事をするには小さ過ぎるガラス製のテーブルの近くには、無駄に大きなウーパールーパーのぬいぐるみが鎮座している。
そして、この鼻を抜ける甘くて柔らかな香り。
どこをどう見ても、オレが昨日まで暮らしていたアパートの一室ではない。
「何がどうなってるんだ……?」
部屋もそうだが、身体も女性のものになっている。
「誰かと入れ替わったと考えるのが妥当だよな……でも、入れ替わりなんて起きるわけないし……つまり、これは夢だな」
そうに違いない。
果報は寝て待てと言うし、夢ならいつかは覚めるだろう。
オレは腰掛けていたベッドに飛び込み、目を瞑った――その瞬間、部屋の扉が乱暴に開け放たれた。
「……え?」
部屋に入って来たのは、オレ――細田数彦だった。
「あなたは誰?」
オレの前に立ったオレの身体はそう言った。
「いやいや、お前こそ誰だよ」
オレがそう言うと、オレの身体はこちらを指差した。
「森羅真理。その身体の持ち主です」
想定外の名前に、後頭部をフライパンでぶん殴られたかのような衝撃に襲われた。
「……え、もしかして、森羅さん……?」
「その反応、もしかしてわたしの知り合いの方ですか……?」
「話したのは昨日の1回だけなので、知り合いと言えるかどうかは微妙なところですが。その身体の持ち主です」
オレは対面するオレの身体を指差してそう言った。
「……もしかして、細田さん、ですか……?」
「ええ。もしかしなくても細田です。昨日のNumbers振りですね。残念ながら、見た目はオレですけど」
「やけに冷静ですね……入れ替わりが発生しているというのに……」
「そりゃ、まあ、夢だって分かってますしね」
オレがそう答えると、自称森羅さんは大きな溜め息を吐いた。
「成る程、道理で……いいですか、細田さん。これは夢なんかじゃありません、紛れもない現実です」
「森羅さん。夢というのは大抵、そこが現実だと思い込んでしまうものですよ」
「……でも、細田さんはここが現実ではなく、夢の中だと思っているじゃないですか。通常、夢の中を現実だと思い込むのであれば、細田さんが夢の中だと思っていることこそが、逆にここが現実であるという証拠になるんじゃないですか?」
「いや、それは証拠にはならないと思いますよ。明晰夢の可能性もありますし」
オレの反論に対し、森羅さんは「想像以上に厄介だ……」と小さく呟いた。
「それじゃ、どうしたらここが現実の世界だと信じてもらえますか……?」
「うーん、ここが夢の中ではないと証明するには……どうすればいいんでしょうね?」
「ああ、もう! じゃあ、夢の中でもなんでもいいですよ!」
森羅さんは面倒臭そうに吐き捨てた。
「とにかく、これを見てください!」
森羅さんはEXtENDを操作し、空中ディスプレイを展開した。
表示されている現在時刻は午前9時30分。
映像では、ニュースキャスターの男性が『大勢の人間の精神と身体が入れ替わっている』旨を説明している。
「成る程。今のオレ達と同じ状況ですね」
「はい。ただ、入れ替わったのがお互いの身体だったのは不幸中の幸いでした」
「確かに、一対一の方が色々と話が早いですもんね」
「まあ、入れ替わったのが女性だったら言うことなかったんですけどね……」
そう言って、森羅さんはオレを疑うような目で見て来た。
「いやいや、まだ何もしてませんって!」
「まだってことはする気じゃないですか!」
しまった、口を滑らせてしまった。
「……まあ、いいです。そんなことより、細田さん」
「なんですか?」
「わたしのことを見て、『目の前の人間は、本当に森羅真理か?』と頭の中で唱えてもらえますか?」
「いいですけど、一体なんのために……?」
「やってもらえれば分かりますから」
「分かりました」
オレは森羅さんに言われるがまま、頭の中で『目の前の人間は、本当に森羅真理か?』と頭の中で唱えた。
瞬間、目の前に青い文字で95%と表示される。
「森羅さん、なんですかこれ? 95%って表示されてるんですけど」
オレがそう伝えると、森羅さんは眉を顰めた。
「……んん? 他に文字列とかは表示されてないですか?」
「今表示されているのは数字だけですね」
「成る程……もしかしたら、力を引き出しきれてないのかも……」
「力……?」
「こんな状況なので打ち明けますが、実はわたし、頭で思い浮かべたことに対する答えを知る力を持っているんです。正確には、持っていた、ですけど」
「それじゃ、この95%という数字は、貴方が本物の森羅さんである確率ということですか?」
「そうですね。本来なら、数字と共に判定の根拠も表示されるはずなんですが……」
「成る程」
オレは頭の中で『森羅さんに彼氏はいるか?』と唱えた。
瞬間、目の前に金色の文字で100%と表示された。
おいおい、テンション上がるぜ……!
「とは言え、過信は禁物です。勿論、悪用なんてもってのほかですからね?」
「分かりました」
とは言え、どこまでが悪用なんだろうか。
そう思いながら、オレは頭の中で『森羅さんは処女ですか?』と唱えた。
瞬間、目の前に金色の文字で100%と表示された。
うーん、マーヴェラス……ッ!
「それにしても、どうしてこの力のことをオレに教えてくれたんですか? 言わなければ、気付かなかったかも知れないのに」
「放っておいてもいつかは気付くと思いましたから。それに、この入れ替わり事件を解決するには、その力がだったので……まあ、それも今この瞬間、計画倒れに終わってしまいましたが……」
森羅さんは酷く残念そうに呟いた。
「ああ、成る程。『この入れ替わり現象の原因は?』と聞けば、原因が分かるはずだったわけですね」
「はい」
「それで、どうするつもりです。オレが森羅さんの力を引き出せるようになるまで待ちますか?」
「そんな悠長なことを言っている場合じゃありませんよ……ほら、早く着替えちゃってください。外に出ますよ」
森羅さんは入り口の扉を指差してそう言った。
「分かりました。でも、いいんですか? 着替えるってことは、服を脱ぐってことですけど」
オレがそう確認すると、森羅さんはそれはそれは嫌そうな表情をこちらに向けた。
「……嫌に決まってるじゃないですか。でも、今は非常事態ですから、そこは目を瞑ります」
森羅さんはクローゼットから袖部分が白い黒のシャツワンピース、洋服箪笥から黒い靴下を取り出し、オレの方に差し出した。
「ナイトブラはつけたまま着替えてくださいよ」
「了解です」
オレは森羅さんから受け取った洋服をベッドの上に置き、今着ているウサギとニワトリのイラストか描かれた白いシャツと無地の黒い短パンを脱いだ。
それにしても、肌が白いしキメ細かい。オレとは天と地の差だ。森羅さんはオレと同い年くらいか、オレよりも1個か2個上のはずだから、相当ケアに気を使っているのか、そうでなければ類稀な肌質の持ち主ということだろう。
あんまりゆっくりしていると森羅さんに怒られそうなので、素早く脳味噌に焼き付け、シャツワンピースを着てから黒い靴下に足を通した。
「終わりました」
「……見れば分かります。さっさと行きますよ」
森羅さんは僅かに赤い頬を隠すように、急ぎ足で部屋を出て行ってしまった。
恥ずかしがる森羅さん、可愛過ぎん?
そんなことを考えながら、オレは彼女の後を追って廊下に出た。
「森羅さん、ご家族は?」
「一人暮らしなので、この家にいるのはわたしだけです。両親とは、もう5年近く会ってないですね」
木製の階段を下り、リビングへ出る。
何畳くらいあるのだろうか、3人暮らしでも持て余しそうなリビングは、かなり整理整頓されていて生活感が見えない。
「一人暮らしには、この家は広過ぎませんか?」
「そうでもないですよ。自分の部屋以外は基本押し入れ状態ですし、掃除もお手伝いさんにやってもらってますから。あ、細田さん。これ、ちゃんと差してくださいね。日に焼けちゃいますから」
玄関口で差し出されたのは、黒い日傘だった。
やはり、こういう一つ一つの積み重ねが、彼女の白くキメ細かい肌を守っているのだろう。
オレとしては、面倒臭いことこの上ないが。
「分かりました」
オレは玄関を出て、すぐに日傘を展開した。
日傘のお陰で直射日光は当たっていないが、酷く暑い。軽く40℃近く出ているのではないだろうか。
「暑いですね……」
久し振りに直射日光を浴びたのだろう、森羅さん(オレの身体)はぐったりした表情をしていた。
うーん、我ながら全然可愛くない。
「そうですね。そう言えば、昨日聞きそびれちゃったんですけど。森羅さんはどうしてNumbersで働き始めたんですか?」
「なんでって、それはNumbersがわたしにとって癒しの場所だからですよ」
「でも、それなら働かないで客として行けばいいんじゃ?」
「勿論、お客として行くNumbersも好きですけど、わたしは店員として働くNumbersも好きなんです」
「成る程」
確かに、カウンターの向こうでコーヒーを淹れている森羅さんは、とても穏やかな表情をしていた気がする。
益田さんも言っていたが、働く理由は人それぞれということだろう。
そんなことを考えながら歩いていると、一人の金髪の女性がこっちに走って来た。
「はぁ……はぁ……っ」
「……ヴィーナ? どうしたの?」
肩で息をしている女性と森羅さんは、どうやら知り合いらしい。
ヴィーナと呼ばれた女性は、森羅さんとオレを交互に見た後、もう一度森羅さん(オレの身体)を見た。
「もしかして真理、この人と入れ替わってるの……?」
「残念ながらね。そう言うヴィーナは入れ替わってないんだね。真中君は? 彼は入れ替わってないの?」
「……太陽も入れ替わってないよ。そんなことより真理、『THE ANSWER』は? もしかして、使えないとかないよね……?」
「残念だけど、この身体だからね……でも、どうしてヴィーナはそんなに焦ってるの? 真中君も無事なんでしょ?」
「……新垣勇人」
「ああ、真中君の友人の。彼がどうしたの?」
「……今、太陽と一緒にいるの。桃山くるみって子の身体でね」
ヴィーナさんは、嫌そうな表情でそう答えた。
「ああ、成る程。気が気じゃないから、わたしの力を使ってさっさとこの現象を終わらせようとしたわけね」
「分かってるならなんとかしてよ……!」
「そうしたいのは山々なんだけどね……」
そう言って、森羅さんはオレを見た。
視線が痛い……。
「それで、今真理の中に入ってるのは誰なの? 真理が入ってるこの身体の持ち主?」
「細田数彦です。その身体の持ち主の」
「相互の入れ替わりだったのは幸運だったね、自分の身体がどこにいるか分からない人も結構いるみたいだし。それで、細田さんはTHE ANSWERは全く使えないの? と言うか、そもそも力のことは話した?」
「さっき話したよ。力も一部は使えるみたい。出るのは数字だけみたいだけど」
森羅さんがオレの方を見てそう言った。
「ふーん、数字か……それなら、わたしがこの現象の原因か確認してもらえない?」
ヴィーナさんの発言に対し、森羅さんが「え?」と反応した。
「ヴィーナがこの現象の原因か調べるって、どうして……?」
「いや、だって、殆どの人が入れ替わってる中でわたしと太陽には何も起きてないし。それに、少しだけ心当たりがあるしね。というわけで、細田さん。宜しくお願いします」
「分かりました」
オレはヴィーナさんの言う通り、頭の中で『この人が入れ替わり現象の原因ですか?』と唱えた。
瞬間、10%の表記が目の前に現れる。
「10%と出ました」
オレがそう言うと、ヴィーナさんは顎に手を当てた。
「10%か……やっぱり、全く関係ないとは言えなそうだね。となると、エキゾチック物質が原因かな……悪いんですが、調べて欲しいので一緒に来てくれませんか?」
オレは意見を仰ぐため、森羅さんの方を見た。
「どうしますか?」
「勿論、行きますよ。わたしとしても、この現象は出来る限り早く終わらせたいですしね」
オレの身体に入っているのも、オレが森羅さんの身体に入っているのも嫌なのだろう。
まあ、オレはそこまで嫌じゃないのだが。
「分かりました。それじゃ、行きましょう」
こうして、オレと森羅さん、ヴィーナさんの3人は、この入れ替わり現象を解決すべくヴィーナさんの家に向かった。
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