入れ替わり


 ステージⅢ ①


 2059年8月13日、1年前の僕に救出されたその日の夜、僕は不思議な夢を見た。


 夢の中の僕(便宜上、1人目とする)は、キイさんからオルニスの存在を聞かされないまま2059年8月13日を迎えたにもかかわらず、オルニスを装着した1年前の自分に救出された。


 そして、1年前の自分が元のタイムラインに戻るのを見届けた瞬間、背中を思い切り押されたような感覚と共に、視点がその1年前の僕(便宜上、2人目とする)に移った。


 2人目の僕はオルニスを使用して1人目の自分を助け出すと、1人目が持つ記憶との差異に動揺しながらも、元の時間軸へと戻った。


 それから1年間、未来改変の影響が大きくならないようにオルニスとラプラスの使用を控えた2人目の僕は、来たる2059年8月13日、記憶の通り1年前の自分(便宜上、3人目とする)に救出された。


 しかし、1回目の救出時にはいなかったキイさんがその場に現れたことで、僕という存在が抱える差異は更に拡大してしまったわけだが、僕が驚いたのは夢の内容よりもリアリティの方だった。


 まるで、実際に体験したかのような感覚が、目覚めた今でも脳と身体に残っている。


 いや、残っているというより、ような、そんな奇妙で異質な感覚だ。


 僕がそのことをキイさんに話すと、テーブルの向こう側に座る彼女は神妙な面持ちで「もしかしたら、改変前の世界線の記憶が残っているのかも……」と呟いた。


「改変前の世界線、ですか……?」


「ええ。オルニスを使用して過去改変を行うと、それに則した世界線の移動が起きるみたいなの。私の時は改変による記憶の補填はなかったけど、のかも……」


「世界線の移動……でも、キイさん。僕が改変したのは過去ではなく未来ですよ……?」


 僕の問いかけに対して、キイさんは「そうね」と答えた。


「だけど、ウイ君が改変したのは、だった。だから、過去改変の時と同じように世界線の移動が起きたんじゃないかしら」


「確定した未来は、過去と変わらない。そういうことでしょうか……?」


「そうね……神様みたいな存在がいて、その存在から見れば、そうなのかも知れないわね」


「成る程……」


 ミクロとマクロの視点の違い、というやつだろうか。


 僕個人からすれば、固定されていても未来は未来に違いないが、キイさんの言う通り、全体を俯瞰している神様のような存在からすれば、最早それは未来とは言えないのかも知れない。


 とは言え、僕は神様なんて存在は信じていないが。


「起こるはずのないタイムパラドックスを起こす……ラプラスって一体なんなんでしょうか……?」


「現状は、普通じゃない力、としか言いようがないわね」


「普通じゃない力、ですか……」


 既にいくつもの違和を生み出しているこの力と、僕はこの先上手く付き合っていけるのだろうか。


「そんなに思い悩まないで、ウイ君。使用さえしなければ問題ないんだから」


「はい……」


 問題ない。


 果たして、本当にそうだろうか。


 まだ何か、これから起きるのではないか。


 起きるはずのないタイムパラドックスが起きた今、そう思わずにはいられない。


「あ、そうだ! ウイ君、せっかくだから朝ご飯食べて行かない? 昨日の夜、カレー作り過ぎちゃったのよ」


 キイさんの顔には、僕に対する気遣いが隙間なく張り巡らされていた。


 これは、断るわけにはいかないだろう。


「ありがとうございます。それじゃ、お言葉に甘えて」


 僕がそう返すと、キイさんの表情がパッと明るくなった。


「良かった。それじゃ、そこで待ってて」


「分かりました」


 キイさんは立ち上がり、キッチンの方へ小走りで向かっていった。


「ニュースでも見るか」


 EXtENDを操作し、空中ディスプレイにニュース番組の映像を映す。


 そして、


「……なんだ、これ……」


 僕は言葉を失った。


 番組ではニュースキャスターが、という事件を報道していた。


 今まさにインタビューを受けている小学生ぐらいの女の子は、まるで老人のような言葉遣いで自分の身に起こったことを叫んでいる。


「…………」


 これは、現実の出来事なのか?


 もしかして、間違ってバラエティ番組でも流してしまったか?


 そう考えてチャンネルを変えてみても、流れているのは入れ替わりに関するニュースだけだった。


 キャスターの話によれば、この現象はどうやら、昨日の夜中から始まったらしい。


 また、この入れ替わりは、Aの精神がBの身体に、Bの精神がAの身体に――というパターン以外にも、Aの精神がBの身体に、Bの精神がCの身体に、Dの精神がAの身体にというように、相互に入れ替わらないパターンも観測されているという。


 男性が女性に。


 子供が老人に。


 天才が凡才に。


 障害者が健常者に。


 お金持ちが貧乏人に。


 様々な人が、自分の身体を失い、他人の身体に押し込まれている。


 映像を通してでも、街が混乱しているのが手に取るように分かる。


 僕がオルニスを使用して経験した混乱とは比べ物にならない。地獄のような状況だ。自分の身体が他人の支配下に置かれるなんて、考えただけでもゾッとする。


 そんな風に思っていると、


「……っ!」


 着信の通知がEXtENDに表示された。


 発信者は桃山モモヤマくるみ――知らない女性だ。


 恐る恐るEXtENDを操作し、ビデオ通話に対応する。


 すると、高校生くらいの茶髪の女性の顔が、空中ディスプレイに映し出された。童顔で可愛らしい見た目だが、やはり見覚えはない。


「……えっと、どなたでしょうか……?」


『源! 俺だよ、新垣だよ!』


 新垣と名乗る彼女は、焦りを塗りたくったような表情でそう言った。


「新垣って……もしかして、勇人なのか……?」


『そうだよ! 良かった……源、お前は入れ替わってなかったんだな……!』


 ホッとした表情で、親友を名乗る女性はそう言った。


「……ドッキリ……とかじゃないんだよな……?」


『ドッキリだったら良かったんだけどな。源、この後少し会えるか?』


「……勿論。どこに行けばいい?」


『家に来てくれ。外は騒がしいからな』


「分かった」


『それじゃ、また後で』


 勇人とのビデオ通話が終わり、空中ディスプレイが消滅する。


 そしてそのタイミングで、2皿のカレーライスをお盆に乗せたキイさんがやって来た。


「ウイ君、どうかした?」


「キイさん……今、街で起こってること、知ってますか……?」


 僕がそう問い掛けると、キイさんは首を傾げた。


「街で起こってること?」


「大勢の人間の精神と肉体が入れ替わっているんです。友人の勇人も、知らない女の子と入れ替わっていました」


 僕がそう言うと、キイさんは訝しげな表情を浮かべた。


「……冗談、じゃないのよね……?」


「はい、これを見てください」


 僕はEXtENDを操作し、空中ディスプレイに先程のニュース番組を流した。


「これは……」


 ニュース番組を見たキイさんは、大きく目を見開いた。


「取り敢えず、今から勇人に会って来ようと思います。カレー、準備してもらったのにすいません。終わったら、すぐに戻ってきますから」


「……分かったわ。待ってるから、気を付けて行ってきてね」


「ありがとうございます」


 僕はキイさんに軽く会釈をしてから、彼女の家を出た。


「これは……」


 街に出ると、入れ替わった人達が混乱しているのか、凄まじい喧騒を形成していた。


 地面にしゃがみ込んで大声で泣いている人。


 大声で自分の身体の持ち主を探している人。


 入れ替わったのをいいことに、好き放題している人。


 そんな人達を横目に見ながら、僕は急いで勇人の家に向かって歩みを進めた。


「来たか」


 勇人の家の前に立っていたのは、先程ビデオ通話で映っていた高校生くらいの女の子だった。


 恐らくすっぴんだろうが、かなり整った顔立ちだ。


 服装は、Tシャツにジーパンというシンプルなものだが、それ故に胸の辺りが非常に悩ましい。


「……本当に勇人なんだよな?」


「残念ながらな。取り敢えず、中に入ろう」


 言われたまま、勇人について家に上がる。


 そして、勇人が自分の部屋の扉を開くと、そこには縄で両手両足を縛られ、口をタオルで塞がれた勇人の鍛え上げられた身体が転がっていた。


「勇人、これは一体……」


「この身体の持ち主だったら良かったんだけどな。中身は知らない男だ。俺の身体を悪用されても困るし、取り敢えず拘束させてもらった」


「よくその身体で制圧出来たな……」


「幸い、中身の男に武の心得がなかったからな。いくら身体が俺のものでも、動かし方が分からなけりゃただの木偶の坊だ。この身体でも、制圧するのはそう難しいことじゃない」


「…………」


 勇人は190センチ近い身長に加え、身体もかなり鍛え上げている。武の心得がなくても、それなりの相手だと思うが、流石は勇人。常識外れの強さだ。


「そんなことより、源。白井さんは? 彼女に入れ替わりは起こっていないか?」


「キイさん? 起こってないけど……どうして、勇人がキイさんを……?」


 僕の記憶では、勇人とキイさんに接点はなかったはずだが。


「稀代の天才、白井キイ。彼女なら、この現象をどうにか出来るんじゃないかと思ってな。確か、源と白井さんは従弟の関係だろ? 今回の現象の解明を彼女にお願いしてくれないか?」


「構わないけど……今回の件は流石に門外漢だと思うけど……」


「それでもだ。俺は俺の身体を一刻も早く取り戻したい。そうじゃないと、間違いを犯してしまいそうなんだ……!」


 勇人は自身の胸の前で両手の指をわきわきと動かした。


 成る程、成人君子だと思っていた彼も、一人の男だったということだろう。


「勇人が間違いを犯さないよう、キイさんには僕から誠心誠意頼んでみるよ」


「源、恩に着る……!」


 この後、僕はキイさんの家に戻り、彼女に事件の解明を頼んだが、やはり専門外だからか、彼女から返って来たのは「……ウイ君の頼みだから調べてはみるけれど、あまり期待はしないでね」というものだった。

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