1年後の自分
ステージ0 ②
身体を包み込んでいた浮遊感が消滅すると、僕はオルニスで設定した時増駅前の交差点を見下ろすことの出来る商業ビルの屋上に立っていた。
「ここが1年後の世界……なのか……?」
何せ、人目のつかない商業ビルの屋上のため、時間を確かめようがない。頼りになるのは、視界に表示されているデジタル表記の時計だけだ。
「今は信じて動くしかない、か」
透明化のボイスコマンド――「トランス」を口にしてから、屋上から飛び降りる。地面まで20m以上あるというのに、僅かな反動すら感じない。
しかも、透明化状態にあるからか、誰も僕の存在に気付いていない。
「本当に凄いな、このスーツ……」
これさえあれば、一人で戦争に勝つことも出来る……いや、そんな機会そもそもないか。
僕のことを全く気にしないで向かって来る人達を避け、事故が起こる予定の交差点へ向かう。
「あれは……」
横断歩道の前に、1年後の、就活用の黒いスーツを着た僕が立っていた。
左腕につけたEXtENDで時間を確認している。ラプラスで見た映像の通りだ。
僕は周りの人達にぶつからないように、1年後の僕の背後に回った。
「…………」
進行方向の信号はまだ赤だ。赤、黒、銀。何台もの車が目の前を通り抜けていく。
1年後の僕がポケットからハンカチを取り出し、額の汗を拭う。カバンからペットボトルの緑茶を取り出し、一飲する。
瞬間、信号が青に変わった。
1年後の僕が左右を軽く確認した後、横断歩道を渡る。それに続いて僕も渡る。
(来た……!)
ラプラスで見た通り、左側から大型のトラックが猛スピードで迫って来た。
1年後の僕がそれに気付き、動きが止まる。身体が硬直し、岩のように微動だにしなくなる。
「……バースト!」
加速装置を起動した瞬間、視界に映る全てがゆっくりになった。
1年後の僕も、トラックも、殆んど止まって見える。
「マジで凄過ぎるな……」
このオルニスがあれば、本当に一人で世界を征服出来そうだ。
勿論、キイさんはそんなことのために作ったのではないだろうし、僕もそんなことのために使用する気は毛頭ないが、興奮してしまうのも致し方ないだろう。
「さてと。そろそろ未来の僕を助けるか」
背後から1年後の僕を抱きかかえ、交差点から離れる。そしてそのまま、最初にいた商業ビルの屋上に向けて跳躍する。
「オールアウト」
僕は1年後の僕を抱きかかえたまま、透明化と加速装置を解除した。
瞬間、視界に映る景色が、耳から入る音が動き出す。世界が、あるべき時間の流れを取り戻す。
「ここは……」
1年後の僕は、驚いた表情で僕を見た。
「それに、貴方は一体……?」
僕はオルニスのバイザーを開け、自分の顔を1年後の僕に見せた。
「僕が助けたのさ」
「君は……僕、なのか……?」
1年後の僕の反応に、僕は無視し難い違和感を覚えた。
彼を下ろし、目の前に立たせる。
「僕なのか……? ちょっと待ってくれ。君は僕、なんだよね……?」
「恐らくは」
「それじゃ、どうして僕が助けに来た記憶が君にはないんだ……?」
未来の僕は、現在の僕の延長線上に存在する。
つまり、ここにいる僕と同じ記憶を持っているはずなのだ。そうでなくては、現在の僕と未来の僕との間に記憶のズレが生じてしまう。
だが、僕の目の前にいるこの1年後の僕は、僕が助けに来た記憶を有しているようには見えない。
これは、一体どういうことだ……?
「そんなこと言われても……ないものはないとしか言いようがないしな……」
1年後の僕は困った様子でそう言った。
恐らく、僕と同じで本当に分からないのだろう。
「……1年後の僕。ラプラスはいつ発現した?」
「10歳、銀行強盗に頭を打たれた時だけど」
合っている。僕の記憶と一緒だ。
「それじゃ、タイムマシンは? このオルニスに見覚えは?」
そう言って、僕はオルニスを見せるように両腕を広げた。
「いや、ない。それを見たのはこれが初めてだ」
「…………」
違う。
持っている記憶が明らかに異なっている。
「一体何がどうなってるんだ……?」
意味が分からない。混乱で頭がパンクしそうだ。
もしかして、これが俗に言うタイムパラドックスなのだろうか……いや、そんなはずはない。
タイムパラドックスが起きるのは、過去を変えた時だけのはず。未来を変えたとしても、変えた後の未来を僕が後からなぞるだけだ。時間の流れに逆行していない限り、そこに矛盾は発生しないはず。
だが、現実として、ここにいる僕と1年後の僕の間には、明らかな記憶の
「もしかして……」
ラプラスが何か関係しているのか……?
あり得る。ラプラスは未来に干渉する能力だ。その能力が、この矛盾を生み出した可能性は十分にあるだろう。
「なあ、1年前の僕。そのオルニス? とかいうタイムマシンは、どうやって手に入れたんだ……?」
「ああ。これは、キイさんが貸してくれたんだよ」
僕がそう答えると、1年後の僕は目を見開いた。
「キイさんが? そのタイムマシンを?」
「ああ。でも、1年前の僕にはその記憶はないのか」
「全く。そもそも、僕の知っているキイさんは、既にラプラスの研究から手を引いているし」
1年後の僕の言葉に、僕は驚きを隠せなかった。
「キイさんが研究から手を引いた……? 一体いつから……?」
「ちょうど1年前くらいかな。それ以来、僕もラプラスは使用してないし」
「それじゃ、最後に見たラプラスの映像は……?」
「うーん。確か、キイさんとカレー屋さんに行く映像だったかな」
「…………」
カレー屋の映像。
僕が轢かれそうになる映像を見た、一つ前の映像だ。
ラプラス1回分の差異が、僕と1年後の僕の間に存在している。
1年後の僕は、ここにいる僕の延長線上にいるはずなのに。
どうして、という考えが、頭から離れない。ぐるぐると、脳細胞を傷付けながら駆け回っている。
「大丈夫か? 頭から煙が出そうな顔してるぞ?」
「……え? ああ、ごめん。少し、考え過ぎたみたいだ」
「止めとけ、止めとけ。僕等みたいな門外漢の凡人がいくら考えたって時間の無駄だ。答えなんて、出るわけないんだから」
「まあ、それもそうか」
1年後の僕を助けることには成功したわけだし、こういった難しい話は専門家であるキイさんに任せた方がいいだろう。
「それじゃ、1年後の僕。目的は果たせたし、僕はそろそろ元の時間軸に戻るよ」
「あ、帰る前に一つお願いしてもいいか?」
「別に構わないけど、お願いって?」
「写真、一緒に撮ろうよ。記念にさ」
そう言うと、1年後の僕は左腕につけたEXtENDから、撮影用の超小型ドローンを飛ばした。
「はい、チーズ」
「…………」
仕方なく、1年後の僕と一緒に写真を撮った。ピースサインをしたのも、勿論仕方なくだ。
「ありがと。良い思い出になったよ」
「それは良かった。それじゃ、今度こそ本当に帰るよ」
「ああ、元気で」
そう言って、1年後の僕は右手を上げた。
「1年後の僕こそ。もう事故ったりしないでよ」
「勿論。善処するよ」
「それじゃ――ジャンプ」
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