タイムマシン
ステージⅠ ④
「はぁ……はぁ……っ!」
ラプラスが解除された瞬間、僕は酷い不快感と共に目を覚ました。
逸る心臓の鼓動が煩い。胃の中が、直接掻き混ぜらているかのように気持ちが悪い。着ている服も粘着質な汗でビシャビシャになっている。
「ウイ君⁉ ちょっと、大丈夫……⁉」
焦った表情のキイさんが僕の元に駆け付け、取り付けられていた装置を外してくれた。
呼吸を落ち着けてから、「ええ、なんとか……」と返したが、勿論、大丈夫なわけがない。自分が事故に遭う未来を見てしまったのだ。大丈夫な方が異常だろう。
「……ウイ君、ラプラスで何を見たの?」
「僕が……未来の僕が、トラックに轢かれるところを見ました……」
僕が答えた瞬間、キイさんの目が見開かれた。
「……本当に轢かれるところまで見たの?」
「いえ。ラプラスで見たのは、轢かれる直前までです」
キイさんの表情が、僅かに緩んだ。
「そう。それじゃ、事故の起こる場所と時間は? 何かヒントになりそうなものは見えなかった?」
「2059年8月13日、時刻は午後3時22分。場所は時増駅に向かう途中の交差点です」
「……うん?」
キイさんが首を傾げた。
「ラプラスでは、時間や場所を特定することは出来ないのよね? 場所はともかく、どうしてそんなに正確な時間が分かったの?」
「未来の僕が事故に遭う前に時間を確認していたんです。それで分かりました」
「成る程」
キイさんは口元に手をやりながらそう言った。
「それで、キイさん。事故の起こる時間と場所を特定してどうするつもりですか……?」
「どうするつもりって。そんなの勿論、事故を防ぐに決まってるじゃない」
自身に満ち溢れた表情で、キイさんはそう言った。
「防ぐって……ラプラスで見た未来は変えられないのにどうやって……?」
そう、ラプラスで見た未来は変えられない。必ず訪れる。
未来というものは未だ来ていないから未来なのであって、来てしまえばそれはもう未来ではない。
恐らく、ラプラスで未来を見ることは、通常の時間軸を無視し、見た未来を現在の延長線上に縫い付け、固定する行為なのではないだろうか。
だから、ラプラスで見た未来は変えることが出来ないのだろう。
それはもう、純粋な未来ではないから。
それなのに、キイさんは、僕が見た未来を変えることを諦めてはいないようだった。
彼女の目からは不思議と、確かな自信と決意が感じられる。
「ついて来て」
キイさんはそう言うと、僕に背を向けて歩き出した。
ずんずんと進んでいく彼女を追い掛け、階段を下りて地下一階へ。そして、金属製の扉の前で、キイさんが認証装置の前に右手を掲げる。
『ユーザー、シライキイ。承認しました』
無機質な音声の後、重々しい扉が左右に開く。
現れた部屋の中は、真っ白な空間だった。一階の研究室よりも整理整頓されており、機械らしいものは何もない。
「キイさん、ここは……?」
「ここは第二研究室よ。まあ、端的に言えば秘密の部屋ってやつね」
そんな場合ではないのだが、秘密という言葉に、僕は僅かながら胸を躍らせてしまった。
「秘密の部屋、ですか。ここではなんの研究をしているんですか?」
「タイムマシンよ」
と。
まるで当たり前のことを口にするように、キイさんは言った。
「ちょ、ちょっと待ってください……タイムマシンって、今のは流石に冗談ですよね……?」
「冗談なんて言ったつもりはないわよ」
そう返すキイさんの目は真剣そのものだった。とてもじゃないが、冗談を言っているようには見えない。
と言うことは。
本当にあるのか、タイムマシンなんて現実離れした代物が。
「……分かりました、信じます。キイさんが、僕のラプラスを信じてくれたように」
「ありがとう。それでこそ、ウイ君だわ」
そう言って、キイさんは笑った。
その表情は、とても満足げだ。僕の誕生日に、彼女が作ってくれたケーキを食べて「美味しいです」と言った時に見せたものとよく似ている。
「それで、キイさん。タイムマシンはどこにあるんですか?」
「ここよ」
そう言うと、キイさんは右手の指をパチンと鳴らした。
瞬間、部屋の中心から筒状の箱がせり上がり、扉が開く。
中から現れたのは、どこかで見たような黒色のアーマードスーツだった。アメリカの某スーパーヒーローが装着していそうなデザインで、忖度なしに格好良いとは思うが、タイムマシンには見えない。
「これが、タイムマシンですか……?」
「ええ。装着型時間跳躍装置――『オルニス』。これを装着すれば、過去でも未来でも好きな時間、場所に行けるわ」
どこからどう見ても真剣な表情で、キイさんはそう言った。
「成る程……つまり、オルニスを使って2059年8月13日に行き、未来の僕を事故から助け出す。そういうことですね?」
「ええ。ウイ君がラプラスで見たのは事故に遭う前までだから、助けることは出来るはずよ。轢かれそうにはなるかも知れないけれど」
キイさんの言う通り、ラプラスの映像はトラックに轢かれる直前で終わっていた。
つまり、轢かれることはまだ確定していないわけだ。
それなら、助けることが出来るかも知れない。
未来の、一年後の僕を。
「でも、轢かれるまでの僅かな時間で助け出せるでしょうか……?」
「それなら安心して。オルニスには、移動速度を約100倍にする
「…………」
想像以上の性能に僕は言葉を失った。
このスーツの存在が世の中に知れたら、大変なことになるだろう。最悪、このスーツを巡って戦争が起きるかも知れない。
「それじゃ、オルニスの使い方だけど――」
僕はキイさんから使用方法を教えてもらいながら、オルニスを装着した。
かなりの重量があるはずなのに、アシストが働いているのだろう、身体は寧ろ軽くさえ感じる。
「座標と時間は大丈夫?」
僕の視界には、到着先の座標と時間が表示されている。
場所は時増駅前の交差点近くの商業ビルの屋上、時間は事故が起こる5分前――つまり、2059年8月13日3時17分に設定されていた。
「はい、大丈夫です」
「それじゃ、気を付けて。成功を祈ってるわ」
「はい、行ってきます」
僕はキイさんを一瞥してから、時間跳躍のボイスコマンド――「ジャンプ」を口にした。
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