仕上げ


 ●◯●


 俺からすれば5日。


 片庭さんからすれば1週間が経ったが、彼女は今、何事もなく生きている。


 恐らく、俺の見立て通り、並行世界に行ったことで、運命の呪縛から解放されたのだろう。


 そのことを筋肉に伝えると、奴は涙を流しながら、感謝の言葉を繰り返した。先程、テスト君と共に過去の世界に跳んだから、今頃はもう並行世界の新垣を助けているはずだ。


「さてと。そろそろ最後の仕上げに向かうか」


 2度命を落としてまで片庭さんを助けたのは、別に慈善活動ではない。彼女を助けたのは、あくまで俺が彼女とお近付きになるためだ。だから、俺と彼女が結ばれなくては、今回の一件は終わらないし、終われない。


 そのため、俺は片庭さんが待つあのカフェに向かった。


「あ、太陽さん」


 先にカフェの前で待っていた片庭さんが、俺の方に駆け寄って来る。


 可愛らしいと同時に美しい。やはり、今日も完璧だ。数年後には、彼女の石像が美術館に飾られていてもおかしくないだろう。


「すいません、待たせてしまいましたね」


「いえ、ワタシも今来たところですから。ところで、太陽さん」


「なんですか?」


「最初に1か所寄りたい所があるんですけど、一緒に行っていただけますか?」


「ええ、勿論。片庭さんの行きたい所ならどこでも」


「ありがとうございます。それじゃ、行きましょうか」


 そう言って片庭さんに連れて来られたのは、カフェから15分ほど歩いたところにある金物屋だった。老舗なのか、店の外観はかなり古く見える。


「金物屋、ですか……?」


「はい。包丁とか良い物揃ってるんですよ、ここ」


 デートの途中に金物の購入?


 そう思いながらも、片庭さんの後に続いてお店の中に入る。


「いらっしゃい――お、片庭の嬢ちゃんじゃないか。1週間振りか?」


 店員と思われるスキンヘッドの男性は、片庭さんを見て嬉しそうにしていた。


「ええ。今日も奥空いてる?」


「勿論」


 そう言うと、店員の男性は1枚のカードを片庭さんに手渡した。


「ありがと、いつも助かるわ。さ、太陽さん。奥に行きましょう」


 張り付いたような笑顔の店員に「ごゆっくり」と言われながら、片庭さんについて店の奥に進んでいく。


「…………」


 001から003まで、3つの金属製の扉が並んでいる。


 一体、何の部屋なんだ?


 そう思っていると、片庭は001と書かれた部屋の入り口にある認証装置にカードをかざした。ピピッという電信音が鳴り、金属製の扉がゆっくりと開く。


「どうぞ中へ」


 片庭さんに言われて入ったそこは、何もないがらんどうの部屋だった。


 かなり綺麗に掃除されているようだが、どことなく鉄っぽい臭いが漂っている。片庭さんのような人には似つかわしくない場所だ。


 背後の自動ドアが、独りでに閉まる。


「片庭さん、ここは?」


 俺の問い掛けに対して、片庭さんは笑顔で「仕事場です」と答えた。


「仕事場、ですか……?」


「はい。ワタシ――」



「――を営んでいるので」



 笑顔の片庭さんの右手には、いつの間にか刃渡り30センチほどの刃物が握られている。


「……片庭さん? これは一体なんの冗談ですか……?」


「冗談? 冗談なんかじゃないですよ、太陽さん。ワタシは、貴方を殺すためにここに連れて来たんですから」


 現実離れした言葉過ぎて、片庭さんの言っていることが処理出来ない。


「殺す? 俺を? どうして……?」


 運命の呪縛から解放した、命の恩人とも言える俺を、助けられた片庭さんがどうして殺さなきゃならないんだ?


 意味が分からない。分からな過ぎて頭が痛い。


「それは勿論、依頼されたからですよ。ワタシはプロの殺し屋ですから。まあ、ターゲットが太陽さんだと知らされた時は、流石に驚きましたが」


「依頼……一体誰がそんなこと……」


「ワタシもプロですから、顧客情報は言えません。でも、貴方を恨んでいる人間だというのは間違いないと思いますよ? 殺しを依頼するくらいですから!」


 言うや否や、片庭さんが俺目掛けて走り出した。


 あの勢い、表情、目、まとう空気。


 本気だ。


 彼女は本気で俺を殺そうとしている。


「く……っ!」


 俺は片庭ルナから逃げ、入り口へ走った。しかし、金属扉は電子ロックが掛かっているのか、全く反応しない。指を突っ込もうにも、爪を差し込む隙間すらない。


「無駄ですよ、太陽さん。このカードがない限り、この部屋から出ることは出来ません」


 そう言いながら、片庭ルナは俺にカードを見せびらかして来る。


「だから、大人しく殺されてください。ワタシの給料のために」


 片庭ルナが加速し、気付いた時には刃物が俺の心臓を貫いていた。


「ぅぁ……っ」


 鋭い痛みが胸を中心として全身に広がり、真っ赤な血が零れ落ちる。


「良い顔……♡」


 片庭ルナが刃物を引き抜き、俺は受け身も取れずに倒れ込んだ。胸の穴から血が止めどなく流れ、俺の全身を侵食していく。温かくて鉄臭い。圧倒的な生と死の香りに溺れてしまいそうになる。


「…………」


 そうか。


 今になってようやく気付いた。


 あのカフェで片庭ルナが見ていた履歴書のようなものは、恐らく、殺しのターゲットに関する資料だったのだろう。


 ああ。


 全く、俺は本当についてないな。まさか、殺し屋に一目惚れしてしまうなんて。


「さようなら、太陽さん」


 片庭ルナがカードキーを使って扉を開き、外に出る。


 その後ろ姿を見送った瞬間、俺の意識は暗闇に侵食された。


 深く濃い、粘着質な黒色に――

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