●◯◯


 俺は元の世界に戻った後、筋肉から受け取ったデータをヴィーナに渡し、すぐにタイムホールに跳び込んだ。


「……またこれかよ」


 タイムホールから吐き出された俺は、地面に大の字で寝ていた。


 身体を起こし、近くで様子を見ていた筋肉と向かい合う。


「出る時安定しないよな、それ」


 この反応、どうやら筋肉も同じ経験を何度かしているようだ。


「……やっぱりそうなのか。ところで、ここから元の世界に繋がるタイムホールを繋ぐとして、どこに生成するんだ?」


「勿論、今あるタイムホールの横に作るつもりだが。何か気になることがあるのか?」


 ヴィーナはタイムホールの座標を動かせないと言っていたが、どうやらこの世界では、その問題は既に解決しているようだ。


「いや、なんでもない。さっさとタイムホールを繋いでくれ」


「分かった」


 筋肉が装置を操作し、俺が出て来たタイムホールの隣にもう一つのタイムホールを生成する。


「それじゃ、行って来る」


 もう一つのタイムホールに飛び込み、そして、俺がいるべき世界の2058年9月4日10時25分に移動する。


「……なんかもう慣れて来たわ」


 俺は地面との頬擦りを解除し、立ち上がった。


「おや、太陽様。今日はどうされたのですか?」


 隣の部屋からやって来たテスト君に対し、「ちょっと人を救いにな」と返す。


「流石は太陽様、素晴らしい志です」


「まあな。それはそうとテスト君、俺はこれから外に出る。悪いが、タイムホールを見ておいてくれ」


「承知いたしました!」


 テスト君に見送られながら研究室を出て2階へ。玄関前でマスクを被り、迷彩機能を起動してから例のカフェに移動する。


「…………」


 カフェの店内に、俺がいる。


 中肉中背、決して筋肉質でもガリガリでもない過去デフォルトの俺は、片庭さんのことを見ながらアイスコーヒーを飲んでいた。


 この後、デフォルトの俺は、後から来た白井に邪魔され、片庭さんの離席を見逃すことになるわけだが、そこまで見ている必要はないだろう。


 俺はカフェから出て、例の曲がり角に向かった。


「来た……」


 並行世界でも見たパーカーの女がやって来た。ポケットに手を突っ込んでいるが、並行世界の時と同じであれば、ナイフを隠し持っているはず――


「誰かいるのカ?」


「っ!?」


 パーカーの女が、見えないはずの俺の方を見た。


「成る程、相当かくれんぼが上手な方のようダ。目的はウチの始末カ? それにしては、殺意が感じられないガ」


「………」


 こいつはやばい。


 並行世界の犯人とは、やばさのレベルが違う。


 恐らく、視覚情報としてではなく、第六感で俺の存在を嗅ぎ取っているのだろう。


 逃げないと殺られる。


 そう思った時には既に、俺はパーカーの女に回り込まれていた。


「……っ!」


「喧嘩を売った相手が悪かったナ」


 銀色に鈍く輝く刃が、斜め下から首元目掛けて振るわれる。


 その様子が、やけにゆっくりと見える。


 しかし、身体は全く動かない。動いてくれない。動かないと、避けないと、命が奪われてしまうというのに、刃が近付いて来るのをただじっと見ていることしか出来ない。


「ぁ」


 頸動脈の部分を刃が通り抜け、それを追い掛けるように赤い液体が噴き出した。


「さてと、次は片庭ルナだナ」


 パーカーの女が踵を返し、地面に倒れ込んだ俺の元から離れていく。


「…………」


 痛い、苦しい、熱い、寒い。


 雲一つない青空が、徐々に色褪せていく。視界がどんどんと狭まっていく。気のせいか、痛みも小さくなっているように思える。


 ああ。


 俺は、こんなところで死ぬのだろうか。


 せっかく時間に抗う術を手に入れたというのに、一目惚れした女性一人助けられず、自分がいるべきタイムラインではなく過去の世界で、しかも道端で一人消えていくのだろうか。


 だとしたら、なんて救いのない人生だったのだろう。


 こんなことなら、タイムホールなんて使わず、普通に働き、普通に恋愛して、普通の人生を送っていた方が遥かに幸せだったに違いない。


「…………」


 ヴィーナ。


 幼馴染のあいつにも迷惑を掛けてしまった。苦労の末にタイムホールを開発してもらったというのに、この無様な結末は申し訳ないとしか言いようがない。


 ああ、そうだ。


 筋肉にも悪いことをした。あいつの注意喚起をちゃんと聞き入れていれば、こんなことにはならなかったはずだ。


 だから。


 だからきっと、これは俺に対する罰なのだろう。


 誰の言うことにも耳を貸さず、突っ走り続けてしまった馬鹿な俺への。


「…………」


 でも。


 それでもやっぱり。


 片庭ルナは死ぬほどタイプだった。


 出来ることなら、1回でいいからデートしたかったなあ……――

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