もう1人の自分
●●○
「やったぞ……!」
タイムホールから吐き出された俺は、初めて足からの着地に成功した。これは幸先が良い。きっと良いことがあるに違いない。
俺の見立てが外れてくれていれば、だが。
「見事な着地でございます、太陽様」
拍手で迎えてくれたテスト君に「ありがとう、テスト君。俺が戻るまでここは頼んだ」と気分良く返し、彼の「承知いたしました!」という爽やかな電子音声を背中に受けながら研究室を出る。
前回と同じように、しかし、前回よりも軽やかに階段を上がり、玄関まで移動する。
「よし」
ベルト部分のボタンを押し、ヴァイスの迷彩機能をオンにする。そして、時増駅近くのあのカフェに走って向かう。
「……やっぱりな」
カフェの店内、アイスコーヒーを飲みながら書類を眺める片庭さんの後ろに、本来座っているはずの俺の姿はなかった。
つまりここは、俺が知っている、俺が生きている世界とは異なる並行世界のようなものなのではないだろうか。
そう考えれば、片庭さんを助けたはずなのに、元のタイムラインの状況に全く変化がなかったことも頷ける。
恐らく、俺は並行世界の片庭さんを助け続けていたのだろう。
全く、虚しいことこの上ない。出来ることなら時間を返してもらいたい。まあ、無理だろうが。
「……帰るか」
ここが並行世界なら、何をやっても無駄だ。さっさと元のタイムラインに戻って、並行世界に跳ばないようタイムホールの改良をヴィーナに進言した方が生産的だろう。
そう判断した俺はカフェを出て、歩いてヴィーナの家に戻った。
迷彩機能を解除した後、暑苦しいマスクを外しながら階段を降り、パスワードを入力して研究室の扉を開く。
「成る程、君が別世界の俺か」
そう言ったのは、俺と同じ顔をした、しかし、ボディビルダーのような鍛え抜かれた肉体を持つ男だった。
「お前は俺、なのか……?」
「そうだ。俺は並行世界の君だ」
「それにしては、随分とデカいな」
並行世界とは言え、とても同一人物とは思えない身体の差だ。
こいつのことは、心の中で筋肉と呼ぶことにしよう。
「そう言う君は随分と細身だな」
「……俺は標準的だ。お前がデカ過ぎるだけだろう。そんなことより、さっき別世界と言っていたな? お前は並行世界の存在を認識しているのか?」
「勿論。そう言う君はヴィーナから教えてもらってなかったみたいだな」
「こっちのヴィーナはタイムホールの出口が並行世界に繋がっていることは知らないはずだ」
そうでなければ、ノヴィコフの首尾一貫の原則の話なんて持ち出さないだろう。
「成る程。ところで、君はどうしてタイムホールを?」
「助けたい人がいてな。お前こそ、並行世界の存在を認識しているということは、タイムホールを使ったんだろう?」
「……ああ、俺も助けたい人がいてな。並行世界ではなく、この世界の過去に跳ぶ方法も見付け出したが、結局、助けることは叶わなかった」
筋肉の話に、俺は思わず「ちょ、ちょっと待て」と言った。
「自分の世界の過去に跳ぶ方法が分かっているのか……?」
「ああ。タイムホールは通常、並行世界にしか繋がらないが、その並行世界から再度タイムホールを生成すれば、元の世界の過去に行くことが出来る。これがその資料だ」
筋肉が俺のEXtENDに送って来た資料を、空中ディスプレイに映し出す。
成る程、並行世界を使って三角形を作るイメージか。確かにこの方法なら、一手間加える必要はあるが、自分の存在している世界の過去に跳ぶことが出来そうだ。
「悔しいが、お前の方が一歩進んでいるようだ」
俺がそう伝えると、筋肉は苦笑した。
「並行世界とは言え、俺は君だ。自分に対抗心を燃やすなよ。それに、いくらタイムホールの謎を解き明かしても、助けたい人を助けられないんじゃ意味がない」
「なんだ、お前はもう諦めたのか?」
「諦めた……ということになるんだろうな。タイムホールは暫く使っていない。あいつが死ぬところを、これ以上見たくなくてな」
悲壮感を全身にまとう筋肉に対し、俺は「おいおい、デカいのは図体だけか?」と煽った。
「失敗したら、何度だってやり直す。それが成功するただ一つの方法だろう」
「……それは、君が実際に経験していないから言えるんだ。間近で見る友の死は、想像以上に重い。絶対に揺らがないと思っていた決意が、バラバラに砕けるくらいにはな」
「忠告はありがたいが、俺は自分の目で見たものしか信じない
「だったら、どうすると言うんだ……?」
「タイムホールに関するノウハウを全て俺に託せ。俺がお前の代わりに運命を変える方法を探して来てやる。何度
俺がそう宣言すると、筋肉は観念したような表情で大きな溜め息を吐いた。
「……分かった。俺も出来る限りの協力をしよう。だが、無理はし過ぎるなよ」
そう言って、筋肉はタイムホールに関する追加の資料を俺に送って来た。
「馬鹿言え。ようやくここまで来たんだ、思いっ切り無理するに決まってるだろう」
俺の言葉を受けて、筋肉は苦笑いを浮かべた。
「まさか、並行世界でここまで違うとはな。ちなみに、君は誰を助けようとしてるんだ?」
「片庭ルナ、俺の運命の人だ」
俺がそう答えると、筋肉は眉を顰めた。
「片庭ルナ……聞いたことのない名前だな。いつから付き合ってるんだ?」
「初めて見たのが先週だぞ。付き合ってるわけがないだろう」
俺がそう答えると、筋肉は絵に描いたような呆けた表情になった。
「は? そんなほぼ初対面の相手を助けるためにタイムホールを使ったのか……?」
「そうだ。お前も会えば分かる。彼女は時間の摂理に逆らってでも助けるべき素晴らしい女性だ」
「……いや、うん、まあ、動機は人それぞれか」
「ちなみに、お前は誰を助けようとしていたんだ?」
「
筋肉が口にしたのは、俺の数少ない友人の名前だった。
「……新垣の奴、この世界では死んでいるのか……?」
「そうだ。死因は毎回変わるけどな」
「成る程……それは、なんとかしなくてはいけないな」
並行世界と言えども、自分の友人が死んだままというのは如何せん寝心地が悪い。自分の世界のことではないから、というわけにはいかないだろう。
「ひとまず俺は元の世界に戻らせてもらう。すぐに繋ぎ直すから、ここで少し待っていてくれ」
「分かった」
筋肉に見守られながら、俺は隣の部屋に移動し、慣れた動きでタイムホールに跳び込んだ。
並行世界ではない、俺が生きる世界に戻るために。
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