上書き
●●○
死んでしまった人間を生き返らせることは出来ない。
だが、タイムホールを使用すれば、時間を遡り、人の命を軽んじるいかれた殺人鬼の魔の手から片庭さんを救い出すことが出来るかも知れない。
そう考えた俺は、痛む鳩尾を押さえながら、走ってヴィーナの家を訪れた。
「はぁ……はぁ……っ」
玄関から出て来たヴィーナは、俺の姿を見て心配そうな表情になった。
「ちょっと、大丈夫……?」
「大丈夫だ……それより、タイムホールの準備は……?」
「出来てるけど、何があったの……?」
「……片庭さんが誰かに殺された。俺はタイムホールを使って、それを阻止するつもりだ」
「……成程ね」
なんとも言えない表情のヴィーナと一緒に、地下の研究室に向かう。
「おかえりなさい。ヴィーナ様、タイヨウ様」
扉が開いた瞬間、部屋の中にいたテスト君が俺達に対して頭を下げた。
「それで、太陽。出口の時間はいつに設定すればいい?」
「一時間前にしてくれ」
「分かった」
ヴィーナが装置を操作し、ガラスで隔てられた奥の部屋に、時間の流れに干渉するための黒い球体が現れる。
「一回目の時にも言ったけど、タイムホールを維持出来るのは一時間くらいだから、それまでには戻って来てね」
「分かった」
奥の扉を開き、どこまでも真っ黒なタイムホールの前に立つ。
「行って来る」
「気を付けてね」
俺は心配そうなヴィーナに見送られながら、1時間前の世界に繋がるタイムホールに飛び込んだ。
そして、前回と同じく、強烈な浮遊感と気持ち悪さに襲われ、気付いた時には再び実験室の地面に濃厚な口付けをしていた。
「大丈夫ですか?」
揺れる頭をなんとか上げると、そこには想像通りテスト君が立っていた。
「……なんか、お前を見ると安心するよ」
「ありがとうございます。サポートロボ冥利に尽きます」
「それはそうと、テスト君。今の日時は?」
「2058年9月4日、時刻は午前10時25分です」
俺がヴィーナの家に来たのが午前11時20頃だったから、丁度1時間前の世界に来たということになる。
流石はヴィーナ、2回目にしてなかなかの精度だ。
「そう言えば、ヴィーナは? 今日も出掛けているのか?」
「コンビニに行っているようです。呼び戻しましょうか?」
「いや、いい。説明する時間が惜しいしな」
何せ、タイムホールは1時間しか維持出来ないのだ。再度繋ぎ直せば大丈夫なのでは? とも思うが、相手は未知。用心するに越したことはないだろう。
「そうですか」
「それじゃ、テスト君。俺はちょっと外に出て来るから、タイムホールを見守っていてくれ」
「分かりました」
俺は地下の研究室を出た後、再び走って時増駅近くのカフェに向かった。
「はぁ……はぁ……っ」
カフェの前でEXtENDを確認する。
表示された時間は午前11時45分――つまり、このタイムラインでの時間は午前10時45分ということになる。
恐らく、店の中には、片庭さんと俺がいるはずだ。
そして、あと15分ほどすれば、片庭さんが店の中から出て来るはず――
「……ちょっと待てよ」
11時になる少し前、俺はカフェにやって来た白井に話し掛けられ、それによって、片庭さんの離席を見逃してしまった。
と言うことは、このままここで待っていたら、俺はあいつに出くわしてしまうことになる。
それは不味い。
あいつが店の外にいる俺と中にいる俺を見たら、間違いなく何かを感じ取るだろう。
最悪、俺がやっていることがバレてしまうかも知れない。
そう考えた俺は、カフェに隣接している異国情緒溢れた雑貨屋に身を隠した。
それから15分後。
店の中から様子を窺っていると、片庭さんが雑貨屋を通り過ぎて行った。
急いで店から出て、片庭さんに「あの!」と声を掛ける。
「……えっと、なんでしょうか?」
足を止めてくれた片庭さんは、俺のことを不審に思っている顔をしていた。
「急に声を掛けてすいません。実は、あの曲がり角の向こうに不審者がいるんです。だから、申し訳ないんですけど、遠回りしてもらえませんか?」
俺が事件の起きた道を指差してそう言うと、片庭さんは更に訝しむような表情になった。
「……どうして、ワタシがあの道を通ることを?」
「……っ!」
やってしまった。
焦っていて、全く考えていなかった。
自分の行動を先読みされたら、そりゃ誰だって不審に思うだろう。俺だって不審に思うはずだ。
「えっと、それはですね……実は俺、少し先の未来が見えるんです」
考えた末に、俺は小学生みたいな言い訳を口にした。
「それで、貴女があの曲がり角の先で不審者に襲われる映像を見て、それで助けなくてはと思って……」
俺が言い終えると同時に、片庭さんは口元を押さえて小さく笑った。
「なかなか面白いナンパですね。でも、ごめんなさい。ワタシ、ちょっと急いでるので」
そう言ってその場を立ち去ろうとする片庭さんの手を、俺は咄嗟に掴んだ。
「……お願いです。あの道を避けてくれればそれでいいんです」
俺の必死さに気圧されたのか、片庭さんは「わ、分かりました」と言った。
「あの道は通らずに迂回します。それでいいですか……?」
俺は片庭さんの手を離した。
「はい。ありがとうございます」
俺は深く、出来る限り俺の真摯さが伝わるように頭を下げた。
「……えっと……それじゃワタシ、行きますね」
片庭さんはそう言うと、少しだけ早歩きで離れて行った。
そして、彼女があの曲がり角を避けて真っ直ぐ進んだのを確認してから、俺はヴィーナの家に向かった。
不都合な現実が塗り替えられたことを、確信しながら。
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