喪失
●○●
「太陽がお熱のあの女性――片庭ルナは、毎週水曜日の午前10時から11時の間、あのカフェにいるみたいよ」
というヴィーナの情報に盲目的に従い、俺は翌週――9月4日の水曜日に、再びあのカフェを訪れた。
「いた……」
前回と同じように片庭さんの後ろの席に陣取り、彼女が店から出るのを、彼女が飲んでいるものと同じアイスコーヒーを飲みながら待つ。
それにしても、まさか片庭さんの名前が
月と太陽……これはもう、運命の相手と言っても過言ではないだろう。
「あら、真中じゃない」
もうすぐ11時になろうというタイミングで、白井ロボティクスのご令嬢が現れた。
長い黒髪に、眼鏡を掛けた彼女は、上から下まで見るからに頭が良さそうで、まあ、実際頭は良いのだが、正直、俺は彼女のそういうところがあまり好きではなかった。
「白井……」
「貴方みたいな人間でもこういう所に来るのね」
そう言うと、白井は俺の隣の席に腰を下ろした。
「何故、わざわざ近くに座る」
「別に私がどこに座ってもいいでしょ? そんなことより、ヴィーナは? 一緒じゃないの?」
「見ての通りだ。別に、付き合っているわけでもないしな」
「ふーん、そう。二人、結構お似合いだと思うのに」
そう言うと、白井はホットカフェラテを口に含んだ。
「俺とヴィーナがお似合いに見えるなら、お前が行くべきはカフェではなく眼鏡屋だな」
「これ、お洒落用の伊達眼鏡だから。視力、両目とも裸眼で2.0だから」
「わざわざ視界を狭めるなんて、俺には理解出来んな」
「別に、理解出来なくて結構よ。アンタのためにつけてるわけじゃないし」
「…………」
相変わらず、口の悪い奴だ。
白井ロボティクスの実力は間違いないが、こいつが跡継ぎであることだけが残念でならない。
「それにしても、貴方のタイプがああいう女臭い女だったとはね」
そう言って、白井は再びカップを口元に近付けた。
「どんな女性を好きになろうと俺の勝手だろう」
「ま、それはそうね。ちなみに、貴方の気になっているさっきの女性、店出ていっちゃったみたいだけど」
「な……っ⁉」
白井に気を取られている内に、目の前に座っていた片庭さんがいなくなっていた。
「早く追い掛けたら? 今ならまだ間に合うかも知れないわよ?」
「言われなくても……!」
俺は急いで席を立ち、飲んでいたアイスコーヒーのグラスを片付け、店の外に飛び出した。
しかし、左右を見渡してみても、片庭さんの姿は見当たらない。
「くそ……白井なんかに付き合わなければ……!」
文句の一言でも言わなければ気が済まん。
そう思い、店内に戻ろうとした瞬間、遠くの方から女性の叫び声のようなものが聞こえて来た。
「なんだ、今の声は……」
何かの事件だろうか。
店内に戻るのを止め、声が聞こえた方へと歩みを進めると、建物の角を曲がった所に、人が集まり始めていた。
ざわざわしている野次馬達の間を抜け、声の発生源を確認する。
「嘘……だろ……」
建物にもたれかかっていたのは、
首から血を流した片庭さんだった。
真っ赤な血に塗れ、力なくうな垂れる彼女に、先程まで感じられた美しさや神秘性は微塵も感じられない。
ただただ醜く、ただただ怖ろしい。
見ているだけで、胃液と恐怖、そして今まで感じたことのないような怒りが際限なく込み上げてくる。
ようやく出会えた俺の理想の女性。
それが今や、あらゆる価値を奪われ、人間だったものに成り下がってしまった。
「…………」
許せない。
片庭さんをこんな目に合わせ、俺をこんな気持ちにさせた犯人が。
絶対に報いを受けさせてやる。
そう思った瞬間、俺の頭に一筋の光が差し込んだ。
「……そうだ」
俺にはあれがあるじゃないか。
過去を変え、現実を変え得るタイムホールが。
俺はEXtENDを展開し、すぐにヴィーナに電話を掛けた。
「太陽? どうしたの?」
「今どこにいる?」
「今? 家だけど」
「今すぐ向かう。タイムホールの準備をして待っていてくれ」
俺は通話を切った後、急いでヴィーナの家に向かった。
不都合な現実をなかったことにし、好都合な未来を手に入れるために。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます